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2011/11/07 | KAJIMOTO音楽日記

●P.ヤルヴィ&パリ管、来日直前特別編その2―― 音楽都市「パリ」と今回のプログラム(前編)

パーヴォ・ヤルヴィが音楽監督となって一段と注目がアップしたパリ管弦楽団(しかも就任半年の時点で2016年まで任期が延長になるとは!)。来日まであと少しです。
今回は音楽都市「パリ」とパリ管のルーツ、そしてそこにリンクしている今回のプログラミングについて少しご紹介しようかと思います。


今度の日本ツアー、まずは東京の2公演のプログラムを見て、「んー、これは」と思った方も多いのでは。
ウェーバー、メンデルスゾーン、ベルリオーズは皆19世紀初めに生まれ。そして前者2人はドイツ生まれとはいえ、パリでもその楽曲が盛んに演奏され、彼らはここに頻繁に足を運んでおり、3人ともによく顔を合わせていた間柄。
(ここにショパン、シューマン、リストらも加わります。ショパンやリストのリサイタルにはこの面々が皆よく聴きに行っていたらしい。こんな場面にタイムトラベルしてみたいものですね!)
そしてメシアン、ラヴェル、ストラヴィンスキーは20世紀初めにパリで活躍した大家たち。ストラヴィンスキーはロシア人ですが、その歩みや作風を見ても分かるとおり完全にコスモポリタンであり、当時パリを熱狂させた興行師ディアギレフによるバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の「今までに見たこと、聴いたことのないものを!」という発注によって、この世に、今回の「ペトルーシュカ」はじめ「火の鳥」や「春の祭典」ほか、たくさんの名曲を残したわけです。パリ発で。
つまり、この2つのプロは、19世紀と20世紀のそれぞれ初頭、芸術の都パリが特に輝きを放っていた、2つの「キセキの時代」のパリにまつわるプログラムなのです。





ところでオーケストラに話を戻しますが、パリ管弦楽団そのものの創立は1967年。しかし彼らの前身パリ音楽院演奏家協会管弦楽団(パリ管はこのオーケストラが発展的解消して再設立したものです)の創立は1828年!ベートーヴェンの亡くなった年であり、前述のベルリオーズらがパリでの活躍を始めた頃でした。
パリ音楽院管は、当時の「前衛(!)」であるベートーヴェンの交響曲全曲演奏会をはじめ、今回の来日公演で演奏されるウェーバーの「魔弾の射手」序曲メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」など数多くの曲を次々とパリ初演していきました。もちろんベルリオーズの「幻想交響曲」もその流れの中にあり、さぞや演奏会ではこの前代未聞の響きにあふれた交響曲に対し、理解不能に陥るお客さんも多かったのでは?この曲、そうして考えてみると、先人に怒られそうな、それまでなかった管楽器のソリスティックで独特の用法など、現在のパリ管の特質―― ヤルヴィもインタビューで語っていますが、フランス流管楽器派ともいうべき、木管のソロが輝かしくソリスト的に演奏するところなど―― が最も活かされる演目に間違いありません。

そうした当時のパリ音楽院管の先進的・進取的気質は19世紀を通じ、若き日のビゼーやデュカス、サン=サーンスらにどれだけ刺激を与えたことでしょう。すごく楽しく想像してしまいます。彼らを中心とするこのパリの音楽界の雰囲気――新しい創作、刺激を求める雰囲気が途切れなかったからこそ、20世紀初頭のドビュッシー、ラヴェル、メシアン、そしてパリで活躍し花開くストラヴィンスキーへと受け継がれていったのですね。そうして、現在のパリ管の中にもそのスピリットが脈々と生きているのだと思います。

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