NEWS

ニュース

ラドゥ・ルプーの訃報に寄せて ラドゥ・ルプーの訃報に寄せて

©Zdenek Chrapek

現代最高のピアニストの一人で、歴史的な一人ともいうべきラドゥ・ルプーさんが4月17日、スイスのローザンヌの自宅で逝去されました。76歳でした。

ルプーさんはルーマニア生まれ。大ピアニストの例にもれず、少年時代から才能を発揮してピアノを学び始めます。もっとも当初本人はピアニストになる気はなかったようですが、やはり自身の才の導きや、周囲も放っておかなかったのでしょう、1961年にモスクワ音楽院に留学してネイガウスをはじめとする名教師らに師事。その後はヴァン・クライバーンやリーズなどの国際コンクールで優勝し、カラヤンの招きでザルツブルク音楽祭に出演するなど、以来ルプーさんは常に世界における最上級のピアニストとして活躍しましたが、2019年に引退。療養生活をしていました。

「千人に一人のリリシスト」という謳い文句がよく使われたルプーさんですが、それは彼の美点の一面であり、モスクワ音楽院で学んだことが大きかったであろう強靭なタッチ、千変万化の音色、演奏設計にあたっての強固な構築力、そして人の心の奥底に触れる抒情の流れなどが混然一体となった独自の演奏を生みました。その楽曲によってそれぞれの要素が活かされ、ルプーさんはつまるところ、自分を前面に出すよりもただただ「音楽」に奉仕することで、魔法のような時を紡いでいった人でした。特にシューベルトの演奏において、彼独特のピアニシモがその抒情や陰の部分を神秘的に、そして人間的に響かせるさまは余人の追随を許さない優れたものでした。

音楽ファンからは至宝のように尊ばれ、同僚からも羨望の的であり、存在としてはスターそのものであったにも関わらず、商業主義とは性格が相容れず、だんだんと自分にとって気の置けない音楽仲間やオーケストラと共演を限るようになり、レコーディングも1993年が最後となりました。インタビューも拒絶し、まるで孤高な仙人のようなピアニストとなっていきましたが、一方でルプーさんはユーモアがあり、周囲を笑わせたり、いつも他者を思いやる人でした。その人間性が彼の音楽に密やかに直結し、またその演奏を限りなく大きなものにしていたのかもしれません。
昨年「ラドゥ・ルプーは語らない」という、タイトル通り本人は一切語っていない本が出版されましたが、そこでルプーに言葉を寄せる、彼を慕う多くの錚々たる音楽仲間・・・演奏家、マネジャー、調律師、レコード会社の元プロデューサー等など、一流の人ばかりが語るルプーさん像から、改めてそのことを強く確信させられます。

初来日は1973年。KAJIMOTOも長らくルプーさんと一緒にお仕事をさせてもらったことは光栄です。ソロでのリサイタルツアーはもちろん、イギリス室内管弦楽団を弾き振りしたモーツァルトのピアノ協奏曲集、ホルスト・シュタイン指揮バンベルク交響楽団とのブラームスのピアノ協奏曲第1番。すべてが良き思い出です。
1987年の来日公演で弾いたモーツァルトやショパンのソナタの独創性、1991年のシューマン「クライスレリアーナ」でのぞっとするような夜の世界の幻想性、2012年のシューベルトの最後のソナタにおける“冬の旅”のような孤独やドビュッシー「前奏曲集第2巻」での神秘的な音色。最後の来日となった2013年におけるシューマン「色とりどりの小品」での優しさ、そしてシューベルト「ピアノ・ソナタ第20番」では音楽のすべてがあったような気さえします。思い返せば、それがみな鮮やかに甦ってきます。

限りなく美しい魔法のようなときを与えてくれ、真の音楽や音楽家の矜持を教えてくれたラドゥ・ルプーさんに深く感謝の意を表わし、そのご冥福を心からお祈りいたします。

KAJIMOTO

LATEST NEWS

最新ニュース