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メッセージ

私たちは2021年、コロナ禍という大変な受難の時代の中、創立70周年を迎えました。
2009年に私たちは、そのときまで58年間使ってきた社名の「梶本音楽事務所」を「KAJIMOTO」と変えました。それまでも、もちろんこれからも大切にしていくクラシック音楽に軸足を置きつつ、ジャンルや国の境界線を越えた、驚きと発見に溢れる未来のアートを開拓していきたい・・・それには「音楽事務所」という名称をいくらか窮屈に感じ始めたからです。
アートディレクターの佐藤可士和さんに作ってもらったKAJIMOTOのロゴは、積み木のように縦に横に自在にレイアウトできます。そうした自由でしなやかな発想をスタッフ全員で磨いていきたいのです。
現在のKAJIMOTOは東京、パリ、北京のオフィスに10か国以上のスタッフが様々な言語や文化基盤を持ってぶつかったり溶け合ったりと、面白いケミストリーを生みながら働いています。

そもそも私たちには創立以来、先代社長のもとでも思い切ったことを自由にしてきた社風がありました。そのDNAが目に見えないところで今も引き継がれていることも振り返りつつ、では「大きく現在のような方向に舵を切ったのは何がきっかけだったのだろう?」と考えますと、それは1995年に東京で開催した「ピエール・ブーレーズ・フェスティバル」でブーレーズが私に語りかけてきた一言です。

「マサ、クラシックはこのままでは滅んでしまう。あまりに定番化、固定化されすぎていて、革新がない。音楽をプレゼンテーションする方法はもっと多様であるべきだ。その可能性を切り拓いていかないと、クラシックは過去の遺物になってしまうだろう」

当時(奇しくも)70歳だった、このクラシック音楽界の闘士にして巨星の言葉は胸に響きました。そして「このままでいいのだろうか? 新しい発想をもって新たな活路を!」という気持ちの高まりから、2001年にパリ・オフィスを開設したのです。それによって、音楽に対して違ったパースペクティヴを見出すことができ、そこから生まれたのがパリ・シャトレ座と共同制作した、武満徹の音楽を舞台作品に仕立てた《マイ・ウェイ・オブ・ライフ》であり、また大ソプラノのノーマンが歌ったシェーンベルクのモノオペラ《期待》とプーランク《声》、バロック・オペラの舞台にCGやヒップホップを採り入れたラモーのオペラ《レ・パラダン》でした。そして「ラ・フォル・ジュルネ」(LFJ)という破天荒な音楽祭に出会ったのもパリ・オフィス開設の年です。LFJはコロナ禍で現在中断しているとはいえ、東京で現在も続いている画期的な音楽祭です。クラシック音楽界の常識を覆した新たな可能性の中に、多くの人が集まり楽しんでいる様子を見て、私は嬉しくてたまりません。

このLFJを例年5月に開催しつつ、私たちは、所属していただいているアーティストたちのマネジメントをしながら、最前線で活躍する刺激的な音楽家を世界中から招聘し、みなさまにご紹介をしています。そのなかで「大切に愛され続ける伝統」と「誰も味わったことのない未知のもの」とのバランスをいかにとるか?ということがとても難しい問題です。その両方を皆さまに味わっていただきたいと思いながら仕事をしています。

しかしそんな矢先に世界は大きな危機に直面し、文化芸術は大きな暗礁に乗り上げました。私たちは孤独で不安な時間を過ごすことを余儀なくされました。
過去にも幾度となくその存続が困難となったことがありましたが、困難に直面した私たちに、安らぎと勇気を与え、明日への希望を与えてくれるものこそ文化芸術だと、私は信じています。
いま、私たちは再び広大な海へと新たな航海を始めています。
ばらばらになった人々の心が、また一つに繋がるように。