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マウリツィオ・ポリーニの訃報に寄せて マウリツィオ・ポリーニの訃報に寄せて

現代において最も偉大なピアニストの一人であり、クラシック音楽の世界の象徴ともいえる存在であったマウリツィオ・ポリーニさんが、3月23日、ミラノの自宅で逝去されました。82歳でした。

1942年にイタリアのミラノで生まれたポリーニさんは、1960年にショパン国際コンクールで優勝。その時の審査委員長で大ピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインが「彼はここにいる我々審査員の誰よりも上手い」と言った、というエピソードはあまりも有名です。もちろんこの優勝は一躍注目を集めましたが、当の本人はほどなく演奏活動をほぼ休止して「充電」。10年ほどして再デビューを果たします。それからの活躍はセンセーションを巻き起こし、当代きってのピアニストと呼ばれるようになるには、ほとんど時間がかかりませんでした。以後、世界各地での目覚ましい活躍は皆さまもご存じの通りです。

ポリーニさんのもつ、輪郭のくっきりした抜けきった音、正確無比な技巧と緊張感を伴って駆け抜けるカンタービレ(歌)はたとえようもなく美しいものでした。そして驚異的に広大なダイナミクスと、直感的な知性をはらむ感覚の冴えから響かせるあらゆる部分での明晰さは、他のピアニストたちとは一線を画した個性の刻印であり、ポリーニのピアノ演奏を特別なものにしていました。かつて評論家の吉田秀和さんは、ゲーテの「建築とは凍った音楽だ」という言葉を引き合いに出してポリーニの演奏を評しましたし、ほかにも多くの人々が「ミケランジェロのダビデ像のようなアポロ的な均整美」「ミラノのドゥオモのような壮麗さ」と口々に言ったように、ポリーニの弾くピアノは、きわめて美しい、あたかも彫刻作品か建築物のようでした。そういう意味で、これほどイタリア的なものを体現した音楽家もいないでしょう。

初来日は1974年。1986年以降はKAJIMOTOで招聘を行い、その来日回数は16回を数えます(来日総数は19回)。その内、中国公演も3度行いました。
日本公演では、ピアノ・リサイタルだけでなく、1995年の「ピエール・ブーレーズ・フェスティバル」、2002年「ポリーニ・プロジェクト」、2005年「ポリーニ・プロジェクト2」、2006年「ルツェルン・フェスティバル・イン東京」、2012年「ポリーニ・パースペクティヴ」、そして最後の来日となった2018年には「ポリーニ・プロジェクト2018」を行っています。それらにおいてポリーニさんは、独自の視点で選び抜いた同時代の“現代曲”を数多く取り上げました。これは若い頃からの彼の姿勢として一貫して行ってきたことで、同郷の先輩指揮者クラウディオ・アバドや作曲家のルイージ・ノーノ、またフランスの作曲家/指揮者ピエール・ブーレーズとはこの点で盟友でした。絶えず「従来とは違った新しい語法を用いた革新的な音楽」を人々に聴いてもらうことに、ポリーニさんは愚直なまでに熱い情熱を傾けていました。シェーンベルクやヴェーベルンはもちろん、シュトックハウゼンやブーレーズのピアノ曲の演奏における、精密さとダイナミズムが融合した明晰無比な響きは、これらの曲の真価を大きな衝撃とともに、否応なく私たちに教えてくれたものです。

考えてみると、こうした姿勢や個性があったからこそ、逆にポリーニさんの弾くベートーヴェンやショパン、シューベルト、シューマン、ドビュッシーなど、それらすべてが新しい光に照らされた鮮やかなものになった、と言えないでしょうか?

こうした高い志に支えられた、自他ともに厳しい天才ピアニストのツアーを私共がマネジメントするには相応の苦労もありましたが、またそれだけに達成感、喜びも大きなものでした。

これまでの長い日々、素晴らしく輝く音楽を私たちに届けてくれたマウリツィオ・ポリーニさんに改めて感謝の意を表したいと思います。
聴衆に今まで聴いたことのない音楽の新しい世界、その高みを見せてくれたポリーニさんのご冥福を心からお祈りいたします。

KAJIMOTO

2018年の最後の来日時、調律師とピアノのチェックやリハーサルを進めるポリーニ氏

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