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「ピエール・ブーレーズ・フェスティバル in 東京」25周年を迎えて── その思い出(4/最終回) オマケの裏話・エマール編 「ピエール・ブーレーズ・フェスティバル in 東京」25周年を迎えて── その思い出(4/最終回) オマケの裏話・エマール編

「ブーレーズ・フェスティバル」の思い出小連載、お楽しみいただけましたでしょうか?
最後に裏話を。
もちろんこれだけのフェスなので、実のところ裏話は大量にあるのですが、ちょいと「大人の事情」(?)で、さすがに表には出せないようなことも多々あり(汗)、また、連載の第2回目に書きましたように、全スタッフが様々な担当に分かれ、あちらこちらで同時進行していたため、今となっては「そんな話があったの!?」など、自分にも知らない話が恐らく多し…。

しかしながら、私の担当フィールド内で、「これはいいかな?」と思うものをひとつ、ご紹介させていただきます。
お恥ずかしいエピソードではありますが…。

©Marco Borggreve / DG

前回書きました、ブーレーズ「レポン」日本初演メンバーの一人としてこのフェスに参加していた、当時はアンサンブル・アンテルコンタンポラン(EIC)の専属ピアニストであったピエール=ロラン・エマール。今は押しも押されぬ現代最高のピアニストの一人です。もちろんこの1995年当時だって、彼の名は欧米でよく知られたものでした。ただ現代音楽中心だったこともあり、知る人ぞ知るピアニストだったことも確かですし、日本では…さらにそうでした。
だから、といってこれは言い訳にもなりませんが、EICを担当していた私と同期同僚(ここでは仮にAとしておきましょう)はエマールがそんなすごいピアニストだとは認識しておらず、オーケストラのピアニスト…いわゆる単にオケ中ピアニストだと思っていたのです。とはいえ、5/24のEIC公演ではリゲティのピアノ協奏曲を弾くソリストでありましたし、オケはオケでもEICという名手たちの中の一人なんだから、そこそこ優秀だろうなあ…くらいは思っていました。

で、そのエマールがEICと来日するやいなや、「ピアノの練習を1日どこかで長時間やりたいのだが…」とAに言ってきたそうです。(“そうです”というのは、そのとき私は別の現場にいて、Aに成田空港への迎えを任せていたからです)
ところがその時期はこのフェスだけでもピアニストは数人いますし、5月のオン・シーズンですから他社さんの招聘ピアニストも多く、都内のホールの練習室やピアノのあるスタジオなどが全然確保できません。Aが私に電話してきました。
「あのさ、石川。エマールさんがピアノを1日練習したいと言ってるんだけど、場所がなくてさ。オマエの家のピアノ弾かしてあげてくれない?」
「えっ!?いいのかよ?俺ん家で」
「大丈夫だよ。ポリーニとかアルゲリッチとか、そういうすごい人じゃないんだから」
「そっか…」

…まったくこの会話、今の私たちなら、若き日の自分を殴り倒しているでしょうね(大汗)

私の自宅では、祖母と母がピアノ教師をしていましたので、ヤマハのグランドピアノがあったのです。家に電話すると、エマールの希望日はちょうどレッスンもないそうで、軽く「いいよー」と。ただ、自分たちは外国語喋れないし、家に外国人が来たこともないから、何のおかまいもできないよー、と。
私は私で、自分もその日は現場にいて、自宅でアテンドすることもできませんので、地図をAに渡し、タクシーでその辺りまで行って歩いてもらってくれ、と頼みました。

その日、エマールは実に気楽に私の家に現れたそうで、丁寧にあいさつしてくれた上で長時間ピアノに向かっていたとか。祖母と母はああ言ってはいたものの、無類のもてなし好きなので、練習が終わったころにお茶とお菓子を出して居間に案内、言葉がわからないのにお喋りに興じ(どうやって!?)、しかもサインをもらい、一緒に写真まで撮っていました。

…ああ、書いていて、顔から火が出そう(笑)

もっともエマールはリゲティの協奏曲の練習はあまりしなかったようで(そんな難しそうな音は聞こえなかった、と母の談)、ドビュッシーやラヴェルなどをほれぼれするような美しい音で弾いていたとのことでした。
本人にもあとで話を聞くと、ゆっくり弾けたし、お喋りもできたし、とても楽しかったとの由。(数年後ですが、その時の非礼?を改めて謝りました。えっ?なんで謝るの?楽しかったのに、と言ってくれて、ホッ)

ところで、そのエマール。多分EICのリハーサルの前?後?だったか、ちょっと記憶が定かでないのですが、別の同僚の話によりますと、たまたまマウリツィオ・ポリーニが試弾をしているサントリーホールに居合わせていたそうです(ポリーニはこの数日後の5/26がサントリーホール・デビューでした)。
そのときにポリーニが、「誰かピアノを弾いてくれないか?私は客席で響きを確かめたいんだ」と言ったときに、ステージ近くにいたエマールが「では私が」と弾いてくれたのです。
そしてそのピアノを聴き、ホールの響きを確かめたポリーニは、「いや、ありがとう。助かったよ。キミはなかなか上手いじゃないか」と言ったそうな。
今となってはなんという話。ポリーニも当時はエマールを知らなかったのです。
いや、もちろんポリーニはそれでも良いのです。私たちスタッフはそれではいけません…。

しかし、その数日後、紀尾井ホールでエマールが弾いたリゲティの協奏曲を弾いた私たちは驚嘆しました。素晴らしくシャープでモダン、あの難曲がシンプルで明快、魅力的な音楽に聴こえてくるとは、なんという技量!
それから少し年数がたちましたが、21世紀に入って弊社主催でエマールのリサイタルを同じホールで開くこととなり、それから現在に至るまで彼の招聘を続けています。

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