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アレクサンドル・カントロフの日本ツアー初日、横浜公演を聴いて アレクサンドル・カントロフの日本ツアー初日、横浜公演を聴いて
2019年のチャイコフスキー国際コンクールに優勝して以来、フランス出身の若手ピアニスト、アレクサンドル・カントロフの活躍には文字通り「目覚ましい」ものがあります。2020年には母国フランスの権威ある「ヴィクトワール・ド・ラ・ミュジク・クラシック」の2部門同時受賞、つい先日にはベルリン・フィルの定期公演へのデビュー、そしてひと足先に2024年のギルモア・アーティスト賞も受賞しました。このギルモア賞はミシュラン的…覆面審査員たちが多くのコンサートを聴き歩き(もちろん対象者たちには内緒で)、4年に一度受賞者が決定する、というもの。この賞もまた、アンデルシェフスキやアンスネスが受賞した権威あるもので、カントロフも突然「あなたが今度のギルモア賞に選ばれました」と言われたそうですから、さぞや驚いたことでしょうね。
さて、そのカントロフはここのところ3年連続で来日していますが、今年のツアー初日公演は10/6(金)横浜みなとみらいホールで行われ、ここでもまた非常に「目覚ましい」ものとなりました。目だけでなく、全身の細胞が目覚めさせられる思いです。
彼の感覚はあくまで現代的なピアニスティックな部分に立脚し、スタインウェイの凛としたブリリアントな音や機動性というものをフルに活かしたものと感じます。そしてそれは「最高峰」のタッチと驚くべき技術として現れますが、いつだって…今回も同様にそれらを超えて響いてくるのは、それぞれの楽曲の「音楽」そのもの。
1曲目のブラームス「ピアノ・ソナタ第1番」のフォルティッシモで轟く冒頭こそ、やや響きが散漫になっていましたが、演奏がしばらく進むとそれはコントロールされたまとまりの良いものとなっていきます。そうして第2主題の内向的に沈み込むピアニシモあたりからは、聴き手の私たちもすっかりブラームスの音楽の世界に包み込まれ、その小宇宙の住人となってしまいました。陶酔と覚醒の間で。
そう!これがカントロフの演奏を聴くときの常であり、それを奇跡…という言葉にしたら些か大袈裟でしょうか?
この、作品1だけに若きブラームスの疾風怒濤、覇気と情熱、メランコリックと哲学的なものが混じりあった沈鬱と瞑想が、複雑なピアノ技法の中にてんこ盛りとなったソナタは、ややもするとカオスに聴こえたりするものですが、カントロフのピアノの中ではそうした“てんこ盛り”が明確に造型され、そしてそれこそ覇気満々の若者だけが書ける音楽作品として響きました。なんとも輝かしく!
続くブラームス編のJ.S.バッハ「シャコンヌ」。ここでの祈りの深さ強さは心の奥底まで沁み通ってきましたし(これが左手だけで弾かれているものとは…今年の2月の来日公演で聴いたトリフォノフの演奏にも劣らない…)、前半の2曲を通して、カントロフがいかにブラームスに共感しているかが強く感じ取れます。販売プログラム冊子に掲載されているインタビュー記事でも語っているように、「特に若いブラームスのバランスを欠きつつ、自発的な感情が噴き出す」あたりに、この20代前半の才能が共鳴するのだろうな、と。
最高峰の技術を超えて、それを意識させず「音楽」が聴こえてくる、と書きましたが、ブラームスのソナタで厚い和音のまま高速で驀進するパッセージなど、よくもああも濁らず美しい音で、しかも迫真的な勢いで弾かれるものだと唖然とします。もっともカントロフのピアニズムというのは、整然と精密にトレーニングされたもの…というより、とにかく内発的な音楽的テンペラメントが技術を凌駕して支配(?)するかのよう。それが煌々と音楽を形作っていく手応えがあって(なので、時に荒っぽいことがあったりもしますが)、そこに魅せられます。
ブラームスの覇気と情熱、その後のシューベルトの自然でしなやかな歌に満ちた旋律、そして両者のもつ内省と孤独。
どうしてこのプログラミングとなったかが、自ずと聴こえてくるようです。
このプログラム全体はシューベルトの「さすらい人」を基軸として組み立てられていることがよくわかりますが、シューベルト=リストの歌曲の中でも「白鳥の歌」からの2曲の空気がまた、さらに前半の「シャコンヌ」や、最後に弾かれる輝かしさと無限的な陰影が交替する「さすらい人幻想曲」の中にある種のエコーを響かせていたように思いました。
改めて恐るべき若者…。アンコールでは例の「あの曲」が弾かれ、コンサートの最後を飾りました。
こうしたカントロフの目覚ましいピアノを、10/11(水)の大阪・住友生命いずみホールと、10/17(火)の東京オペラシティ コンサートホールの公演で皆さまも共に体験し、確かめていただければ嬉しいです。
(A)