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スタッフが語る「あの演奏家・思い出エピソード」(2)── ルートヴィヒ編

第2回は違う演奏家にする予定だったのですが、前回、私が入社してまもなく経験したテンシュテットさんのことを書いていたら、もっと前、それこそ入社したての時のことを思い出しました。

20世紀最高、世紀のメゾ・ソプラノの一人、クリスタ・ルートヴィヒさんのことです。


ベーム、カラヤン、バーンスタインらかつての大巨匠たちに愛され、重用されたルートヴィヒさん。若い頃はウィーン国立歌劇場の専属歌手であり、ほか名立たるオペラハウスでの諸役はもちろん、コンサート、そして歌曲のリサイタル活動も多く、特に晩年になってからドイツ・リートの演奏に力を入れていらっしゃいました。

1990年に日本ツアーがあり、その時は日本にコーディネーター(?)がいらっしゃって、マネジメント役の弊社からは誰かが一人いれば…ということで、なぜか入社ペーペーの私が同行することになったわけですが、もちろんドキドキの緊張だったことは当然。歴史的な大歌手のアテンドですから。
そのツアーの東京公演では、オーケストラとのマーラーの歌曲などの公演のほか、Bunkamuraオーチャードホールで歌うシューベルト「冬の旅」のリサイタルがありました。
ピアノはチャールズ・スペンサー。
その当日は19時開演なのですが、コーディネーターさんから朝電話があり、「クリスタは18時くらいにホテルを出て、開場間際にホール入りすればいいから。ステージでひと声出せばOKよ」。「ええっ!?ちゃんとステージ・リハしなくてもいいんですか?『冬の旅』なのに?」。「最近はいつもこんなもんよ」。

その旨、ホールに行くスタッフに伝え、私は17時半くらいにホテルにルートヴィヒさん一行を迎えにいきました。ところがロビーでは待てど暮らせど、彼女はおろか、ご主人もコーディネーターさんも来ません。
18時くらいにたまらず部屋にコールしたところで、ようやく姿が。さあ、急いで!と焦る私を尻目に、彼女は「ちょっとお茶一杯ね」と言います。
「いや、マズいです。間に合わなくなります」
「一杯飲むだけだから、10分かからないわよ」
にこやかにゆったり仰られますし、コーディネーターさんも「そんなの当り前じゃない」という顔。アーティストに、しかもこんな大家にどこまで強く言っていいかわからない新米ですから、どうしていいか本当にわからない。
とりあえずホールに公衆電話から電話すると(ケータイはもちろんない時代です)、上司からカミナリが。「四の五のいわんと、早くこんかい!!もう開場やで」(←当然です)

ようやく車に乗ってホールに向かいます。
ところでルートヴィヒさんは、既にステージ衣装に着替えていて、その上にカーディガンをはおるだけの姿。車の中で「ホホホホホーー」と軽く発声しており、余裕シャクシャクです。「昨日テレビをつけたらね、〇〇〇さんが「大地の歌」を歌っていたけど、今一つねえ…」なんて話をしています。(←彼女の十八番レパートリーなので何も言えません)

ホールに着きました。私は弊社の上司はもちろん、裏方さんたちから一斉に怒号を浴びます。当然です。18時50分。開演10分前ですから。
当の歌手本人は「?」と顔をしてさっさとトイレに行き、廊下の向こうから「フンフンフーン」と口ずさんでいるのが聞こえます。それが既に実に通る声…感心している場合ではありませんけど!…ついに19時になりました。

舞台袖に現れたルートヴィヒさんは言います。「皆さん、お待たせしたわね。じゃ、開演しましょう」。
裏方スタッフ陣ははじかれたように照明、影アナをスタンバイします。ステージにライトがつき、客席の明かりが落ちるとともに、この大スターは舞台へと悠然と出ていき「冬の旅」が始まりました。

それから1時間20分の世紀の名唱。
孤独だけれどあたかかい世界の現出。
お客様はもちろん、裏方陣も(もちろん私も)感動で動けず。この歌唱がまさかのステージ・リハーサルなしで、しかもあんなドタバタ劇があったなど、聴いている方々の誰に思うでしょう?
そんなことどこ吹く風の偉大なるクリスタ。

私はこの時、音楽の世界の深さ、大きさを知り、未だに(ある意味)こんなスケールの大きなアーティストに出会ったことはありません。

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