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厳しくも愛に満ちた現代屈指のピアニスト、ピーター・ゼルキンの訃報に寄せて

演奏家からも聴衆からも、誰からも尊敬を集めた現代屈指の名ピアニスト、ピーター・ゼルキン(サーキン)氏が去る2月1日、ニューヨーク州レッドフットの自宅にて膵臓癌で逝去されました。72歳でした。

ゼルキン氏は1947年生まれ。父は大ピアニストのルドルフ・ゼルキン、母方の祖父はドイツの歴史的巨匠ヴァイオリニスト、アドルフ・ブッシュという恵まれた音楽一家に生まれ、父ルドルフ、ホルショフスキー、C.U.シュナーベルらにピアノを学びます。父の後押しで若くしてデビューを果たし、前途は洋々たるものでした。
しかし偉大なる父祖をもつ青年ピーターは、それゆえに葛藤や重圧に苦しみ、反抗心もあったでしょう、また経済の急成長やベトナム戦争、既成文化への反抗が軋みをあげるアメリカ社会の環境もそれに拍車をかけ、当時の若者たちのムーブメントであったヒッピーとなっていた時期もありました。そしてついに、1968年にはピアノからも音楽からも離れ、演奏活動を止め、妻子とともにメキシコに移住します。「自分の存在意義は何なのか?」
しかし、1年近くたったある日曜の朝、偶然ラジオから流れるJ.S.バッハの曲を耳にし、ピーターは音楽活動の場へと帰還します。彼は後に「私が音楽をすべきだということが明確になった瞬間だった」と述べています。

以来、ピーター・ゼルキン氏の活動はご存知の通りです。名だたる指揮者、オーケストラとの共演、室内楽、リサイタルなどを世界中で行い、レパートリーもバロックから古典、ロマン派、また音楽仲間と1973年に結成した室内楽グループ「タッシ」との現代曲の演奏まで非常に幅広いものがあり、常に称賛されていました。
しかし、それは時流とは別のところで静かな深いところに身を置き、常に“真”を極めようとするものでした。決して器用なピアニストではありませんでしたが、妥協しない求道的な姿勢の中に不思議な閃きや、ユーモアすらあったり、ある種異色の存在だったかもしれませんが、多くのものが聴衆に伝わり、そして何よりそこには強い愛がありました。

初来日は1975年。小澤征爾指揮サンフランシスコ交響楽団・日本公演のソリストとしての来日で、演奏曲はモーツァルト「ピアノ協奏曲第27番K.595」とブラームス「ピアノ協奏曲第2番op.83」でした。弊社はそれ以来実に長い間──先代社長の頃から一緒に仕事をさせていただき、現社長もゼルキン氏とは同世代でしたので若い時から親しくしておりましたし、それだけに私共も悲しみは深く、残念でなりません。

親日家でもあり、広島に思いを寄せており、2017年には広島交響楽団「平和の夕べ」コンサートにも参加しています。(弊社よりCDが発売)

少し思い出しても、J.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」、ベートーヴェンの晩年のソナタや「ディアベッリ変奏曲」、友人でもあった武満徹のピアノ曲の数々、メシアン「時の終わりの四重奏曲」等々・・・これらの音楽への深い愛情と厳しい姿勢から、私共スタッフもどれだけ多くを学ばせてもらったことか。

長年にわたり日本にもこうして素晴らしい音楽を届けてくれたゼルキン氏に、改めて深い感謝の意を表します。そして氏のご冥福を心からお祈り申し上げます。

KAJIMOTO

©Regina Touhey Serkin

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