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没後25年を思う──蔵出し連載「武満徹と〇〇〇の間」+ 雑感色々(その3)

「武満徹とモーツァルトの間」

(2010年 アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス プログラム冊子に掲載)

今回の「武満徹と〇〇〇の間」は、アーノンクールと同じ国に生まれ、このツアーでも演奏されるモーツァルトをとりあげることにする。

W.A.モーツァルト(1756-91)の没後200年を記念して、1991年は“モーツァルト・イヤー”と呼ばれるほど世界各地で催しがあった。その年の10月にウィーンのコンツェルトハウスで開かれた一連のコンサートも、その一つである。このプロジェクト名は「1791-1891-1991Vienna」。さて、この3つの数字を結びつけるものは?

答えは、クラリネットの名手に触発されて作曲された100年ごとの作品である。

“1791”は、モーツァルトが友人アントーン・シュタートラーのために、あの《クラリネット協奏曲イ長調 K.622》を書いた年(そして没年)。

“1891”は、創作をやめて遺書までしたためたJ.ブラームス(1833-97)がリヒャルト・ミュールフェルトに出会ったことで再び筆をとり、かの《クラリネット五重奏曲 ロ短調op.115》を書いた年。

そして“1991”は、武満徹(1930-96)が親友のリチャード・ストルツマンのために、独奏クラリネットとオーケストラのための《ファンタズマ/カントス》を書いた年である。

「クラリネットは好みの楽器ではなかった」と武満は言う。しかし、1970年代にストルツマンに出会い、この楽器のもつ多彩な音色と表現力の豊かさに魅了されていくこととなった。そして書かれた作品は、モーツァルト没後200年と創立150年にちなむ記念演奏会を考えていたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の目に止まり、「1791-1891-1991Vienna」プロジェクトの一環として、モーツァルト、ブラームスと並んで演奏された。この栄誉はどれほど知られているだろうか。

《ファンタズマ/カントス》というタイトルは、訳すと「幻想/歌」である。「現代では歌うということは本当に難しいのですが、それでも、歌わなければならないと思っていた。それも、何とか簡潔に歌いたい。旋律になる基というか、原旋律と言ってもいい。たとえば、モーツァルトは2つか3つの音を確信をもって選び取ってつなげ、そして、その背後に大きな歴史と文化の構造が感じられる。そういった音楽的な大きな必然といったものが欲しいんです」と作曲中の武満は述べているが、この言葉はそのままこの曲の解説として当てはまる。武満は短い旋律(ときには1つの長く伸ばした音)をもとに、無限の世界、光と影、神聖さと官能性を感じさせるような美しい音楽を書いた。ウィーンの聴衆は熱い拍手で、武満の新作を讃えた。

ところでモーツァルトの冗談好きはよく知られるが、武満もジョークが好きな人だった。海外で新聞記者から「音列主義(セリー)」についてどう思うか」と尋ねられたとき、「セロリ味の(セロリー)コーンフレークの方が好きです」と答えている。音列を用いて作曲することが新しい音楽だと考えていた記者は、するりとかわされてしまった。

武満とモーツァルト。この二人の作曲家が出会ったら、いったいどんな会話を繰り広げるだろうか。

小野 光子(音楽学)


「この栄誉はどれほど知られていようか?」

ここでこう小野さんは書いていますが、1991年のモーツァルト・イヤーにウィーンで「1791-1891-1991Vienna」というプロジェクトが行われていたこと、そしてモーツァルトとブラームスが“100年違い”でお互いクラリネットの名曲を書いていたこと、不覚にも2010年にこの原稿をいただくまで知らなかったですね…。

それにしても、クラリネットでこの2人の大作曲家、そして武満徹をつなぐとは、実に素晴らしい企画!
《ファンタズマ/カントス》は私も、その4年後の1995年に山下一史さん指揮NHK交響楽団の定期公演で聴きました。当時、山下さんの担当マネジャーをしておりましたので、仕事として。もちろんクラリネットは初演と同じストルツマンでした。光瞬く星々の中を、クラリネットの歌が飛翔していくような美しい空間に陶酔したことを、今でもよく覚えています。《ノヴェンバー・ステップス》の厳しい音楽とはまた違った、後年の武満さんの音楽がもつ官能性のようなものに。

ウィーン・フィルも(クラリネットつながりとはいえ)、よくモーツァルトとブラームスというウィーンゆかりの2人と武満さんを結びつけることを考えたものです。ウィーンの音楽と武満さんの音楽の違いは無視できないくらい大きいですし。
ウィーンのそれとは“違う”とはいえ、ここで書かれているように、武満さんはこの曲を書くにあたり「歌いたかった」と。そしてここには確かに歌う旋律があります。先ほど《ノヴェンバー・ステップス》を挙げましたが、若い頃のストイックさから豊穣な世界へと歩を進めていた武満さんの、心からの豊かな歌。それはもちろん、モーツァルトにとってのシュタートラー、ブラームスにとってのミュールフェルトのように、盟友ストルツマンに触発されたことは確かでしょうし、それはウィーンの文化が醸し出す空気とは異質なものだったとはいえ、一方でどこか通じるところもあったはず。
そう思うと、つくづく、ウィーン・フィルによってどんな演奏になったのか聴いてみたかったですねぇ。
そして武満さんが「セリー」を好まなかった(?)のはよくわかる気がします。

ところで、ここで冒頭に出てくる古楽の鬼才ニコラウス・アーノンクール。
彼が武満さんの作品を指揮したら、それこそどんな演奏になったか?これもまた気になります。オーストリア人としてモーツァルトに精通し、精通していたからこそ“異端”として出発した古楽の大家の目には、武満徹の浮遊する幻想的で自由な音楽はどんな風に映っていたのでしょう?私はネガティブだったとは考えていません。きっと…。

©Marco Borggreve

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