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没後25年を思う──蔵出し連載「武満徹と〇〇〇の間」+ 雑感色々(その1)

残りもあと少しとなりましたが、今年2021年は、日本を代表する国際的作曲家・武満徹の没後25周年。

2005年のパリ・シャトレ座プロジェクトにおいて、KAJIMOTOはシャトレ座とベルリン国立歌劇場の3者で、武満さんの楽曲によって編み上げた舞台作品《マイ・ウェイ・オブ・ライフ》を共同制作、東京、パリ、ベルリンで上演しました。

もっとも弊社はこれ以前から武満さんと様々な場面で縁が深く、また2010年の生誕80年には、招聘オーケストラ公演のプログラム冊子において、武満さん研究の第一人者である小野光子さんにご執筆いただき、「武満徹と〇〇〇の間」という連載も行いました。

今回、この連載をweb上で蔵出し転載いたします。

そして、蛇足とは思いつつ、弊社の編集室長・石川がそれを改めて読んだ上で自由な雑感を記しました。

よかったら、お読みください。

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(2010年 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団プログラム冊子に掲載)
「武満徹とコンセルトヘボウ管弦楽団の間」

 武満徹(1930-96)の生誕80周年を記念するコーナー「武満徹と〇〇〇の間」。今回はロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(RCO)が武満の代表作《ノヴェンバー・ステップス》をヨーロッパ初演したときのエピソードをご紹介したい。この曲は、琵琶と尺八という日本の楽器とオーケストラを用いた特異な作品である。今でこそ20世紀作曲界のエポック・メイキングのひとつに数えられる曲だが、異色といえるこの作品にRCOは果敢に挑んだのだった。ベルナルト・ハイティンクが首席指揮者にあった時代の話である。

 RCOは1962年に初来日し、その6年後の1968年に2度目の来日を果たした。そのときオーケストラのマネジャーは、翌シーズンの本拠地でのプログラムに日本の作曲家をいれようと提案し、白羽の矢が立ったのが武満だった。当時、まだ武満の作品は楽譜もまだ出回っておらず、海外ではそれほど知られる存在ではなかった。そんな武満作品を定期演奏会にとりあげようというRCOの事務局には、《ノヴェンバー・ステップス》の世界初演を聴いた何人かの作曲家の感想が耳に入っていたかもしれない。
指揮者で作曲家のレナード・バーンスタイン、アーロン・コープランド、ポーランドの作曲家クシシュトフ・ペンデレツキがこの曲を絶賛していたのである。

(編注: 《ノヴェンバー・ステップス》はニューヨーク・フィル125周年委嘱作品で、小澤征爾の指揮により同団が初演)

 《ノヴェンバー・ステップス》は単一楽章の曲で、オーケストラ(西洋)と2つの日本の楽器(東洋)はほぼ交互に演奏され、合奏することはない。このことから詩人キップリングの「東は東、西は西、両者の出会うことあらず」になぞらえて評する批評家もいたが、よく聴くと西(オーケストラ)と東(邦楽器)の橋渡しとして似たような音が使われるなどお互いに歩み寄りが見られるほか、オーケストラは因習的な扱いをされていないことがわかる。例えば普通、オーケストラのなかでヴァイオリンはひとつのまとまりある集団として同じ旋律を奏でるものだが、武満はひとりひとりに役割を担わせている。そして自然の風景──風に揺れる樹木の葉、湖の水面におきたさざ波など──を想起させる細やかな音響を創り出している。人によって感じ方は異なるものだが、聴き手に何かイメージを強く喚起させると同時に、祈りや深い悲しみに通じる感情を、何とも言い難い緊迫感と官能性の入り混じった独自の音楽で表現し、多くの聴衆を魅了したのがこの作品である。そこには、もう西も東もない。

 作品の再演の場合、作曲家には渡航費用は出ないそうだが、オランダでの演奏にあたって武満はアムステルダムへ出かけていった。1969年12月17日、18日と2日間にわたる定期演奏会のプログラムはヘンデル《水上の音楽》、武満、R.シュトラウス《ドン・ファン》、休憩をはさんでモーツァルト《ピアノ協奏曲第23番 K.488》であった。聴きなれたヘンデルの後に登場した武満の作品。オランダの記者は「いきなり洗礼を受けることになった」と受けたショックの大きさを表現した。一般の観客にも“受洗者”はいたようで、ひとりの女性が熱狂的な武満ファンになり、宿泊先のホテルにまで来たという。さて、その女性に対し武満は──。

 独奏者の一人である尺八の横山勝也に助けを求めに行ったのだった。そう、武満は愛妻家だったのだ。

小野光子(音楽学)

  *  *

まず脳裏をよぎるのは、ここで登場する大指揮者ハイティンクが先日亡くなったのだ…という哀惜。

しかしこの《ノヴェンバー・ステップス》を指揮した時、ハイティンクは39歳なのですね。まだまだ若い時分での、そして関係が深まっていくコンセルトヘボウ管(RCO)とともに大いなる挑戦だったことでしょう。このRCOによる同曲初演でオランダの記者は「いきなり洗礼を…」ということでしたが、マエストロやRCOのメンバーだってそうだったでしょう。当時のメンバーがどんな感想をもったか、今さらですが知りたいものです。

(ところで彼らは《ノヴェンバー・ステップス》を、翌1969年に録音しています。日本の楽団が演奏するときの色合いとは違い、RCOらしいヨーロッパ風な芳醇なサウンドが琵琶+尺八パートに対して、より強いコントラストを見せていて面白いです。この録音はユニバーサルミュージックからCDリリース、また配信されています)

文中に「オーケストラ(西洋)と2つの楽器(東洋)はほぼ交互に演奏され、合奏されることはない」とあるように、この曲は、「東は東、西は西」という在り方で成り立っています。当初はその融合を望まれ、それを試みていたようですが、武満さんは作曲していくうちにそのことに疑問をもち、結果この曲では東洋と西洋の在りようを対置させ、その違いやコントラストを出す、というところに落ち着きました。現在もこれは作曲家(音楽)に限らず、多くのアーティストにとって未だ大きなテーマですが(東と西、ということだけでなく異なる人種、宗教…)、今はどんな風景が広がったでしょうか。

さて、私自身が《ノヴェンバー・ステップス》を初めて聴いたのは1990年代前半です。たしか昭和女子大学人見記念講堂だったと思います。小澤征爾さんの指揮、新日本フィルの演奏会でした。当時の副社長に「“世界のタケミツ”の代表曲を小澤さんの指揮で、若いうちにぜひ聴いておけ」と半ば強制的に聴かされました。もちろん自身、興味はあったのですが、結構強引に(笑)。
しかし、そのことには感謝しています。自分が生きている東洋(日本)というのは、西洋とこんなにも精神風土が違うという自明なことを、改めて強く気づけましたから。
強い緊張感に支配された琵琶と尺八のパートで、夜の静けさにはらはらと舞う、桜吹雪を見るような思いに誘われたことをよく覚えています。

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