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アナトール・ウゴルスキの訃報に寄せて アナトール・ウゴルスキの訃報に寄せて

個性的で独創的、1990年代から日本でも数多くの公演を行い、人気のあったピアニストのアナトール・ウゴルスキさんが9月5日に逝去されました。80歳でした。

ウゴルスキさんは1942年、レニングラード(現サンクトペテルブルク)生まれ。6歳で当地の音楽院に入学するという天賦の才の持ち主でしたが、東西冷戦下、1960年代の旧ソ連にあって、シェーンベルクやメシアンの作品など西側の前衛音楽を演奏したことが当局から「破壊分子」とみなされ、演奏活動を禁止されてしまいます。その後は、少年合唱団の伴奏や地方の学校での演奏くらいしかピアノが弾けない時期が続きました。1982年、いったんは母校レニングラード音楽院の教授に就任するも、今度はユダヤ人として家族共々迫害を受け、ウゴルスキさんは1990年、東ドイツへと亡命します。その難民キャンプから彼は見いだされ、その評判は広がりました。そして1991年、ついに名門レーベルであるドイツ・グラモフォンと契約して、録音をワールド・リリース、世界的に人気を博すに至ったのです。

その当時のCD──ベートーヴェン「ディアベッリ変奏曲」やムソルグスキー「展覧会の絵」、そしてシューベルト「さすらい人幻想曲」などの演奏は、どれも非常に風変りなものでした。しかしながら作品に新しい光が当てられ、この曲に誰も見たことのない、深く隠されたかの底知れない“真実”が響き、音楽ファンの多くがその新鮮なピアノに驚嘆したものです。

KAJIMOTO(当時は梶本音楽事務所)がウゴルスキさんを初めて招聘したのは、話題になってほどなくの1993年。飄々とステージに登場し、ピアノに向かうと腕や指をひらひらさせながら弾くピアノからは、不思議な光を放つ音色によって、先に書いたような“真実”があふれました。彼が必ずといっていいほどアンコールで弾いていたスクリャービンの「左手のためのノクターン」。その心の奥底まで浸透していくような神秘的なピアニシモは、今もはっきりと思い出すことができます。

21世紀に入りしばらくして来日は途絶えてしまいましたが、一つの時代の歴史をも感じさせてくれたウゴルスキさんのピアノへの畏敬と感謝は忘れません。

ご冥福を心からお祈りいたします。

KAJIMOTO

初来日公演の時のチラシ

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