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スタッフが語る「あの演奏家・思い出エピソード」(4)── 園田高弘編 スタッフが語る「あの演奏家・思い出エピソード」(4)── 園田高弘編

新型コロナウイルス感染シンドロームによる非常事態宣言も、どうやらあと少し。
もちろんそれは出口、というより、新しい入口の始まりとなるのですが…。

さて第4回は、ご存命ならそういう気持ちを一喝してくれるような熱い日本の巨匠のこと。
我が国を代表するピアニストであり、そのパイオニアの一人であった園田高弘さんです。


園田高弘先生(当時若手だった私にとって、園田先生は仰ぎ見るような大家でありましたので、ずっと「先生」とお呼びしてきました。ここでも「先生」と書かせてください)が、弊社の所属アーティストになられたのは1991年のことと記憶しています。
当時ぺーぺーの私は突然社長室に呼ばれ、なにかやらかしただろうか?とビクビクしながら部屋に入ると、そこには先生がおられました。「あっ、この方はかの園田高弘さん!カラヤンともチェリビダッケとも共演したすごい方だ。実演ではまだ接したことがないけど、バッハやベートーヴェンの録音は勉強になったし素晴らしかったな…」などと一瞬思うか思わないかのうちに、同席していた当時の副社長から「今日から私たちで先生のマネジメントをさせてもらうことになり、僕が一応担当だけど、君には一緒に実質的な担当として実務をやってもらうから、頼むね」といきなりの告知。大いに狼狽したことを今でも覚えています。

園田先生は76歳でお亡くなりになる2004年までバリバリの現役を貫かれ(自宅でリサイタルのための練習中に倒れられました)、見事という以上に、どの曲でも筋と責任を通した精神的に深く気骨ある演奏をし、それら一つ一つを日本の音楽史に刻まれました。若かった私に厳しく優しく、時には怒鳴ることもありました。「努力」「根性」と今の世代ではなかなか聞かれない言葉を始終言われ、「我々の身体のどこを切ったってドイツ人やフランス人の血なんて出てこない。彼らのような演奏をして、その音楽を聴き手に伝えるには死ぬほど勉強するしかないんだ!」と唾を飛ばしながら熱弁する先生に、私もどれだけ奮い立たされ、勇気を与えられたか。反面、外国で買ってきたオールドタイプのハットをかぶって「ダン、ダーン!」「どうだい、西部劇みたいだろ」なんて、それこそオールドな冗談をとばす茶目っ気もあり、先生の公演の仕事に同行するのは、演奏のことといい、人間性に触れることといい、自分にとって大いなる喜びでした。

さて1998年9月のことです。先生は毎年7~8月を夏休みとされ、避暑と勉強を兼ねてドイツの別宅に行かれるので、9月にはいつも学校の夏休み明けよろしく、久々に先生に再会することになります。私はその年の8月に渡欧、念願だったバイロイト音楽祭に行き、ワーグナー「ニーベルングの指環」(後半の2作だけ。レヴァイン指揮)を聴いてきたところでした。
再会した先生の演奏曲はベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。共演は高関健さんが指揮する東京都交響楽団です。(たしか定期公演だったと思います)
お会いするなり先生は顔を上気させて、「昨日はね、高関くんの素晴らしい勉強と考察のおかげで実にいいリハができたんだ。僕も色々勉強して発見があって臨んだ今回だったけど、第2楽章の冒頭にベートーヴェンが『夜が明けるときのような』って書き込みをしていることがわかったんだよ!もちろん僕もそういう曲想だってことは今までだって想像して弾いてきたけれど、でも本人がそう書いていて裏付けができたってことは大変なことなんだ。これで100%の確信をもって弾けるってことだよ!」と子供のように興奮して語るのです。
いや~、先生らしいな~、と私まで嬉しくなって、終演後に話そうと思っていた自分のバイロイト訪問をその盛り上がりの中で先に話したところ、先生は「そうか!君は素晴らしい体験をしたな!やっぱり音楽をやる男子たるもの、バイロイトでワーグナーの『リング』を聴く」ってのは夢だよな。僕もドイツ時代に何度か行ったよ。『神々の黄昏』でのジークフリートの葬送行進曲でのあの腹の底からわきあがるフォルティッシモの分厚い和音は、バイロイトの祝祭管弦楽団で、そしてあの劇場の特殊構造からしか決して出ないすごい音だ!」と一気に話しながら、その部分を「ダンっ!ダンっっ!!!」と真赤になって歌われるのです。

私はその時内心「マズいな…」と。
なぜって本番直前にこんなにアーティストの血圧をあげすぎたら、演奏でオーバーヒートするんじゃ?と心配になったのです。しまったな、これじゃマネジャー失格だ…。

果たして先生はその勢いでステージに出ていかれ、しかし驚くべきことにそのハイテンションをすべて「皇帝」という破格の曲のテンションに転化し、ものすごいボルテージであるとともに、静けさと深みをももった音楽として弾き切りました。ちょっとそれまで覚えがないくらい。
ヒヤヒヤしていた私がホッと安堵、そしてそれ以上の感動で打ち震えたことは言うまでもありません。

園田先生はそんなピアニストでした。その熱さと客観的で冷静にものを見る洞察力を併せ持ち、文学、美術など文化全般に通じていらっしゃり、「そうでないと外国の音楽家たちとは話ができないよ」と常に言っておられました。
私は今でも、自分が仕事上で悩んだり壁にぶつかったりするとき、「先生ならどう考え、どう言うだろう?」と思うのです。

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