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「北村朋幹 ピアノ・リサイタル Real-time Vol. 5」 を前に── 作曲家のフェデリコ・ガルデッラへのインタビュー 「北村朋幹 ピアノ・リサイタル Real-time Vol. 5」 を前に── 作曲家のフェデリコ・ガルデッラへのインタビュー

©TAKA MAYUMI

まもなく開催される「北村朋幹 ピアノ・リサイタル Tomoki Kitamura Real-time Vol. 5 “Années de pèlerinage II”」。公演に先駆け、今回のプログラムで取り上げる作品「高地のソナタ」を手掛けた、イタリア人作曲家フェデリコ・ガルデッラ氏に北村自身がインタビューを行いました。
コンサートの前、そして終わった後、どうぞ皆様のお好きなタイミングで、是非お読みください。

作曲家フェデリコ・ガルデッラ インタビュー

(2023年8月 聞き手・訳:北村朋幹)

演奏家にとって、作曲家というのはどのような存在だと表現すればよいだろう。
ほとんどの場合は、非常に長い時の隔たりがある、会ったことのない人。
或る世界の創造主なのだから、神のように感じることもあるが、その作品に滲むあまりに人間的な仕草や、残された手紙などからその姿を思い浮かべてみて、まるでその人のことを知っているかのように、とても近しく思えることもある。
想像上の生き物のよう、と言ってしまっても良いかもしれない。
だから、「生きている作曲家」に会うといつも、とてつもなく不思議な気持ちになる。

フェデリコ・ガルデッラに初めて会ったのは2021年秋、ドイツの田舎の音楽祭だった。
閑散とした街の空は常に暗く曇っていて、厳しく冷たい空気と共に冬がもうそこまで来ていた。
彼の室内楽作品や、また彼がメンターとして仰ぎ尊敬してやまない、細川俊夫氏のピアノ協奏曲を演奏したのだが、朝早くからのリハーサルのあと、まだ食事も用意されていない寒い食堂で、温かい飲み物を片手に、あてもなくあれやこれやと話したのを思い出す。
ベルリンに戻りしばらくして、一通のメールを受け取った。
そこには、2023年の同じ音楽祭のために、君をソリストに想定してピアノ協奏曲を作曲したい、と書かれていた。

何とも便利な時代で、ミラノまで飛ばずとも、作曲家の声が聞けてしまう。
定期的に彼からメールで送られてくる協奏曲の断片を勉強しつつ、改めてこのソナタに向き合う中で、色々と聞いてみたいことがあった。
彼の、やや高めの声で、いつも少し気恥ずかしそうに、もの静かに、しかし沢山しゃべる雰囲気が伝わるようなものであったなら嬉しい。

─まず、あなたとピアノの関係についてお話してもらえますか?
あなたはピアニストとしての教育を受け、ベルリン芸術大学のとてもレヴェルの高いピアノのクラスに在籍していたこともあり(クラウス・ヘルヴィヒ門下)、また作曲家としても多くのピアノ曲を生み出されていますが…

ピアノは常に“私の”楽器でした。6歳でこの楽器をはじめた時に、私の音楽上の思考回路が形成されたのだと思います。
小さなこどもが、シューマンの「こどもの情景」やバッハの「フランス組曲」といった素晴らしい名作を通して、ありとあらゆる可能性に満ちた、見知らぬ世界に足を踏み入れることができる…ただピアノに触れるだけで。そのことに私はいつも、驚きを覚えています。

─そんなあなたが、なぜ作曲家になろうと決めたのですか?そもそも、作曲家と演奏家というのは、別の職業なのでしょうか?

実際のところ、作曲家というものは“なろう”と決心するようなものではなくて、ただ作曲家である、ということだけです。
私はかなり早い段階から作曲をしていましたが、しかし作曲家としての意識、自覚を持つまでの道のりは、とても長いものでした。
自分の場合は、演奏家と作曲家というのは、音楽家としての2つの別のあり方、といったところでしょうか。
でも、最終的には作曲家も解釈者(interpreter)ですよね、自分という人間の解釈者。

─ピアノという楽器について、どう思われますか?作曲家はなぜ、ピアノのために作品を書くのでしょう?

広大な音域をもちながらも、決して踏み越えることのできない境界線がある、ユニークな楽器ですよね。具体的には、たとえ最高音域であったとしても、平均的に調律された半音階が存在する、逆に言えばそこに限定されている。弦楽器とは対照的です。
多くの作曲家にとってピアノは、複雑な音型や、大胆な和音を探し実験するための、研究室のようなものです。
私にとっては何よりも、「魂の楽器」です。私の音楽家としての、もっとも本質的な部分にフォーカスした場所、と言いますか。
だから過去の作曲家の中に、その音楽家人生のほとんどをピアノ曲を書くことに費やした人がいるということも(たとえばショパンなど)、何ら不思議ではありません。
ピアノは、作曲家のパーソナリティを映す、鏡のようなものなのです。

─それでは、このソナタについて。
「ソナタ」というものがあなたにとって何を意味するか、また作曲時どのような事を考えていたのでしょう?そして題名Sonata d‘alturaの意味や、またあなたが美しいプログラムノートで触れられている、ホフマンスタールの著作についても、お話しください。

今日「ソナタ」を作曲するということは、“意味を伝達するもの”としての形式へ、信仰(faith)を持つということであり、しかしそれは同時に、音楽の根幹というものは今日においても、これからの音楽を想像する上でも欠かせない、と信じることでもあります。
私はこの作品を、パンデミックの中で書き始めました。
あのミラノでの“独房監禁(solitary confinement)”のような日々の中、私はどこか高い山の上で、自然と触れ合えるような場所に居たかった。d’alturaとは山を指すのです。

ソナタは2つの楽章に分かれていますが、しかし第1楽章の作曲のあとで、ほぼ1年間の中断があります。その時間に私はオペラ「Else」の作曲に取り組みました(註:シュニッツラーの「令嬢エルゼ」を原作とした、作曲家最初のオペラ。初演は大成功を収めた)。
オペラの作曲は私の音楽的思考にある状態をもたらし、そのクリエイティヴな経験にこの第2楽章は影響を受けています。

またホフマンスタールについてですが、彼の「友の書」の中で、「方言は、独自の言語を許さないが、独自の声を可能にする」という一文があります。
私は、私の音楽がそのような、自分の声を伝達するような方言であると、想像してみるのです。

─あなたとの会話に度々出てくる、シューマンという作曲家について。
あなたは上記のオペラに彼の「謝肉祭」を引用しているし、今作曲中のピアノ協奏曲の2つの楽章にも「森の情景」という題名をつけていますね。
彼の音楽はあなたにとって、なにを意味するのでしょう?

とても好きな作曲家の1人です。
私は彼の予測不能さ、しかもそれと同時にある、彼の内面における正確さが大好きです。
正確さというのは…演奏者にも聴衆にも、具体的な要求を厳しく突きつけるようなところがあると、私は感じるのです。
作曲をしているとき、私は私の内に潜む”亡霊・幻(ghosts)”たちと対話するのが好きなのですが、シューマンは間違いなく、そのうちの1人ですね。
そのような対話の結果、彼の音楽は私のオペラの中で、まるで予期できない氷山のように現れたり(註:彼は自作オペラを語るレクチャーの中で、映画「タイタニック」に於ける氷山の役割について言及していた)、また「予測できない貝殻の沈黙」という別のアンサンブル作品では、静かな、しかし絶え間ない存在感を表現したりしています。
そして今度のピアノ協奏曲も、彼の音楽に感化されています。

─では、そのピアノ協奏曲”Madre”について、少しだけお話ししてくれませんか?

ピアノを学んでいたからこそ、ピアノ曲の作曲は私にとって、本当に難しいものです。
だからこそ少しずつ、歩みを進めてきました。
2008年に6曲からなる小さな練習曲集を作り(「3つの夜の練習曲 – 夜明けを再発見するための3つの練習曲」)、今回のソナタがあり、そしてやっと協奏曲です。
イタリア語で母を意味するMadreと名付けたのは、私にとってピアノは常に、母親のような存在だったからです。
音楽を愛することを教えてくれた楽器。
私を音楽家として、この世界にもたらしてくれた楽器。

フェデリコ・ガルデッラ(作曲家)
Federico Gardella, Composer

1979年ミラノで生まれ、同地やローマに学んだ彼の作品は、今や世界中の重要な音楽祭で取り上げられている。
日本でも武生作曲賞や武満徹作曲賞第1位を受賞、また作曲家細川俊夫との出会いは彼の芸術上の歩みに欠かせないものであった。
現在ミラノ音楽院教授。

北村朋幹 ピアノ・リサイタル Tomoki Kitamura Real-time Vol. 5 “Années de pèlerinage II”
8月23日(水) 14時開演(13:30開場)〈追加公演〉
8月23日(水) 19時公演(18:30開場)
会場:ムジカーザ
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