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11/27 小菅優 Four Elements Vol.4 「Earth」 演奏曲目を予習しよう!── プログラムノートをアップしました。 11/27 小菅優 Four Elements Vol.4 「Earth」 演奏曲目を予習しよう!── プログラムノートをアップしました。

世界を構成する「四元素」をめぐる小菅優のリサイタル・シリーズ「Four Elements」。
4年にわたるシリーズの最終回のテーマは「大地」。
小菅本人が執筆したプログラムノートを当サイトにもアップしますので、コンサート前の予習にご一読ただき、当日のコンサートをより楽しんでいただけましたら幸いです。

Four Elements Vol. 4 「大地」

「ここでは太陽が冷たく感じる
花は枯れ、人生は終わりへ向かっている、
そして彼らの話は、空虚な残響に聞こえ、
どこでも俺はよそ者だ。」
シューベルト:歌曲「さすらい人」D489(D493) (リューベック作詩)より

シューベルトは数多い歌曲の中で、「さすらい人」がモチーフの作品をいくつも残しています。このテーマが彼をここまで虜にしたのは何故なのでしょう?

今年、パンデミックという危機と直面して、自分のアイデンティティについて、改めて考えさせられました。ここまで国々が孤立してしまうと、この詩が語っているように、どこに行っても自分がよそ者に感じ、どこを故郷と呼んだらいいのかわからなくなるのはなんだかわかる気がします。

一体、人間にとって故郷というのはどういう存在なのでしょうか。この壮大な大地に生まれ、親からのかけがえのない愛にめぐまれ、それぞれの個性あふれる環境で育てられていく…その環境を形作るのは言葉であり、自然であり、音楽だったりしますが、人生を歩むにつれ、経験によって人間は変わっていきます。ともあれ、自分の帰る場所、一番愛情を感じる場所は人それぞれ必要で、それが人のアイデンティティを固めるのだと思います。

今回お客様と一緒に「さすらう」旅は、私たち人間が小さい存在に感じるような壮大な大地の自然をはじめ、「土に帰る」死と人間の齎す残酷な災いを経て、そして自分の原点に戻る故郷へ向かいます。水、火、風…それぞれ人間の必要な元素ですが、今回はそれを結びつけて人間の世界すべてに焦点をあてたいと思います。

まず大地というと土や森を想像しますが、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)の書いたヴラニツキーのバレエ「森の乙女」のロシア舞曲の主題による変奏曲WoO.71は、平和で可憐な世界が繰り広げられます。
パヴェル・ヴラニツキー(1756~1808)は同世代の音楽家たちに大変尊敬されていたチェコのヴァイオリニスト兼指揮者で、ウィーンに来たばかりのベートーヴェンと親交を結び、交響曲第1番の初演の指揮を頼まれるほどの信頼を得ていました。彼のバレエ作品「森の乙女」がウィーンで1796年に初演された直後に、当時26歳のベートーヴェンは、その中の「ロシア舞曲」をテーマに多彩な12の変奏曲を書きました。チェロ・ソナタ第3番を連想させるこのイ長調は、優しさと暖かみに富んでいます。森の乙女とは、森で育った子供たち、つまり野生児のことです。その子供たちの舞うような愛らしい姿のイメージが、ときにはポリフォニックに、ときにはヴィルトゥオーゾに、ときには悲しげな短調に変奏し、あらゆるキャラクターと化していきます。まばゆいほどに転調を続ける見事なコーダまであらゆる冒険を成し遂げながら、ノーブルで抒情的なキャラクターを保ち続けることで一体感があり、若きベートーヴェンは既に早熟さを発揮しています。

1790年代にすでに貴族のサポートを固め、キャリアを既に築き上げていたベートーヴェンは、そのシステムが消滅した後もほとんど問題なく活動できたようです。その晩年と活動期間が重なっているフランツ・シューベルト(1797-1828)は、すでに異なる時世とシステムのもと、同じウィーンとはいっても活躍したのはもはや「別世界」でした。
ハイドン、モーツァルトやベートーヴェンら、ウィーンで活躍した作曲家の中で唯一ウィーンに生まれ、終生ウィーンで過ごしたシューベルトは、庶民的な家庭に生まれました。フランス革命後王侯貴族の時代が終わり、ビーダーマイアー(注1)の家庭的な音楽環境で活動を始め、その世界の中からキャリアを築いたのです。
しかしシューベルトもベートーヴェンと同様、メッテルニヒ(注2)のウィーン会議後の抑圧的な政治で不安に苛まれていました。
そのような複雑な時代の中、1822~23年のシューベルトは苦境の真っ只中でした。歌曲(リート)の作曲は絶えず進むもの、器楽曲、特に交響曲の分野では未完成のものが続き、なかなか完成した作品が残せません。いつも支えてくれていた友人たちもそれぞれの道へ散らばってしまい、その上、1822年秋から梅毒の症状に苦しみ、1823年には長期間の入院をしています。

その苦境の1822年に交響曲第7番「未完成」の作曲を取りやめて作曲した幻想曲「さすらい人」D760は、長年の勉強と葛藤を経てできたのがわかるような傑作です。アレグロ、アダージョ、スケルツォ、フィナーレと、交響曲のような構成で成る一方、1816年に書かれた歌曲「さすらい人」D489(D493)のリズムのモチーフが最初から最後まで用いられ、4つの楽章がソナタ形式のように提示部、展開部、再現部、コーダにも捉えることができ、一貫性を保っています。一つのドラマがここまで力強く、想像力豊かに、そして斬新に描かれていることに感動せざるを得ません。
アレグロは、生き生きと放浪の旅が始まり、オーストリアの山脈が見えてくるようですが、リリックな第2テーマはノスタルジックに思い出を振り返るようです。
アダージョは冒頭の歌曲「さすらい人」の詩をもつ中間部のモチーフがそのままテーマとして用いられ、その苦境を耐え忍ぶような寒さと孤独感に襲われます。長調になると、シューベルトらしい夢想的な平和の世界が表れ、現実では味わえない幸福に浸ります。スケルツォではさすらい人のモチーフがワルツに変わり、ウィーンらしい優美で心地よい雰囲気が漂ったと思ったら、フィナーレで最初のモチーフが力強いフーガとして現れ、ハ長調の溌剌とした明るさの中(これは虚偽の明るさでしょうか?)、苦境の山を全力で乗り越えようとするかのような葛藤が最後まで続きます。「さすらい人」のモチーフからは、ひたすら自由を探す放浪の旅のようで、その自由を掴みたいという気持ちが常に伝わってきます。それは当時の抑圧的な社会への反感を、こっそりと表していたのかもしれません。そして終生孤独だったシューベルトは、常に何かを探し求めている自分の姿を「さすらい人」という架空の人物に写したのでしょう。

シューベルトを悩ませた社会的な問題は、少し後の19世紀後半、当時同じオーストリアの支配下にあったチェコのモラヴィア地方のブルノ市にもありました。ドイツ語圏だったブルノ市では、教養を身に着けるためにはドイツ語での授業を主に受けないといけなかった時代で、ここで育ったレオシュ・ヤナーチェク(1854~1928)もドイツ人学校を卒業しました。しかしこの頃からブルノ市でもチェコ人は独立に向かって徐々に動き、チェコ語のみの学校や文化センターが設立されました。独立の運動が盛んになるとドイツ人との対立が増していき、1905年、それは頂点に達しました。主な発端は、チェコ人が、プラハに続く2つ目のチェコの大学をブルノ市に設立することをオーストリアの政府に要請し、それに対してドイツの政党とオーストリア側はドイツの大学の設立を要求。ドイツ人は10月1日を「国民の日」としてデモを起こし、チェコ人はドイツ反対を訴え、それぞれデモを起こしたのです。それは暴力的な騒ぎになり、止めようとドイツの軍隊が突入しますが、追われるのはチェコ人ばかりです。10月2日、すでに散らばっているチェコ人に対しての強引な軍事行動の中、20歳の大工の見習い、フランティシェク・パヴリクが刺し殺されてしまいます。

(注1)ビーダーマイアーは、1815-1848の時代を指し、中流階級の増加により、それまでのパトロンのシステムは消滅し、庶民が家庭などで音楽を嗜んだ市民の時代の生活様式。
(注2)クレメンス・フォン・メッテルニヒ(1773~1859)、オーストリアの外相。フランス革命、ナポレオン戦争後のウィーン会議の議長で、保守反動体制(ウィーン体制)の中心的存在として、自由主義運動を弾圧した。

「ブルノのベセダ(チェコ側のデモのあった文化センター)の大理石の白い階段ー
血まみれで倒れる労働者フランシェク・パヴリク─
彼はただ大学のために、心を燃やしてやってきただけだったのに、
卑しい人殺しに打ちのめされた」
レオシュ・ヤナーチェク
ピアノ・ソナタ「1905年10月1日街頭にて」 初版に添えられた文

自らチェコ側のデモに参加していたヤナーチェクは、この出来事に激怒し、このピアノ・ソナタ「1905年10月1日 街頭にて」を書きました。「予感」、「死」、というタイトルのついた2つの楽章でできているこのソナタは、チェコ人としての愛国心の強かったヤナーチェクの感情が滲み出ています。
「予感」は、唐突に語るようなメロディで始まり、不規則で気まぐれなリズムの中、怒りや思い出などを連想させるモチーフが膨張し、そして収縮。ヤナーチェクの心情が悲劇的なハーモニ─と共に詩的に語られます。
「死」では、小節の初めは常に休符で、諦めきれないつぶやきのようなフィギュアが絶えず続きます。そして縮小された付点リズムによる切迫感とともにクライマックスまで激しく昇りつめていき、テーマが訴えるように再現されます。
もともとは葬送行進曲の第3楽章があったものの、ヤナーチェクは自己批判のあまり燃やしてしまい、そしてこの残っている2つの楽章もモルダウ川へ投げてしまいました。従って、自筆譜は全く残っていません。幸いなことに、初演者が唯一持っていた写しが残っていたため、今こうして再演することができるのです。

「土に帰る」死は、人間の逃れられない運命であり、自然なイメージなはずです。しかし、人間の残酷な行動から起きた若者の死のような災いは、自然の則ではなく無慈悲な人間の罪に感じます。

藤倉大(1977- )の「Akiko’s Diary」は、今年8月に世界初演されたピアノ協奏曲第4番「明子のピアノ」のカデンツァの部分です。河本明子さんは、アメリカのロサンゼルスに生まれました。彼女は7歳のとき、アメリカ製のボールドウィンのピアノとともに広島に引っ越しました。彼女はピアノを弾き、レッスンに通っていました。
そして8月6日、彼女が19歳の時、動員学徒の作業中に原子爆弾が投下されました。彼女は両親のいる家に帰ろうと歩き、橋が崩れていた所は、川を泳ぎました。翌日彼女は、被爆の影響で両親の腕の中で亡くなりました。
彼女のピアノには爆風で粉々になった窓ガラスの破片が今も突き刺さっています。大さんは、このピアノの上で「明子の日記」を作曲しました。私も今年6月にそのピアノを弾かせていただくことができたのですが、その独特の膜のかかったような暖かい音と、高音の少し鉄琴のようなキラキラとした音を聴いて、この作品から求められる音がわかったような気がします。政治に対して何の力も持たない19歳の普通の少女である明子さんの視点からこの作品は綴られていますが、このような悲しい背景があっても、ただセンチメンタルにならず、この少女の純粋さのように美しい、でも心に突き刺さるような音楽を書ける大さんならではの作品です。

そして舞台は再びヨーロッパへ…。
故郷を離れ、そこへ二度と帰ることのなかったフレデリック・ショパン(1810~1849)は1830年、20歳のとき、ワルシャワの11月革命の前に、公演をひかえていたウィーンに向かいます。公演後、独立戦争勃発のニュースをきき、祖国のため心を燃やし再びワルシャワに帰ろうとしますが、「音楽に専念せよ」という父親の手紙に従い、帰郷は断念。パリに向かいます。
その父親が14年後の1844年5月に亡くなります。結核の症状が悪化し、その上この父の死のニュースに落ち込んでいたショパンは、恋人ジョルジュ・サンドのノアンの家で療養しました。そこでやっと回復に向かい、仲のいい姉夫婦がノアンを訪れたことによって気力も取り戻し、ピアノ・ソナタ第3番op.58をその夏に書きあげました。
このショパンの最後のソナタは、集大成といっていいほど彼の魅力が隅々まで詰まった作品です。第1楽章は堂々たる行進曲風に始まりますが、すぐさま闇に覆われ、優美でノスタルジックな第2主題へと渡されます。展開部では同じモチーフがポリフォニックに、そして即興的に展開され、唐突に再現部に戻ります。第2テーマがロ長調で繰り返され、その後の回顧のような天国的なパッセージは、言葉にするのは難しいぐらい切ない気持ちにさせられます。第2楽章は変ホ長調の軽やかなスケルツォで、トリオはショパンならではの優美なハーモニーが考えに耽るようです。変ホ→嬰ニのエンハーモニーで第2楽章から繋がるように始まる第3楽章は、ノクターンのようなラルゴです。中間部は空想の世界のように夢見心地で、雲から雲へ映るような転調を重ねます。第4楽章は8分の6拍子の中、回転するような8分音符が続き、心底にしまっていた感情の嵐が少しずつ露わになるようです。そのテーマは、凛々しく立ち向かうような長調の部分と交互に繰り返されます。テーマが戻る度ベースラインやハーモニーが微妙に変化することによって、心に訴えてくる痛みが増し、これ以上抗えないと言わんばかりのところで、ロ長調のコーダが表れます。最後のやっと解放されたような自由と救済の嵐は、人生の葛藤の最後に待っている希望にきこえてきます。

人々の歴史を振り返ると、私たちは想像を絶するような苦しみや葛藤と戦ってきました、どんなことでも乗り越え、ぶれない強さがあるはずです。なぜなら私たちには美しい大地があり、愛があり、希望があります。自分たち小さな人間の些細な平和と幸福を大切にしていくならば、現代の葛藤も絶対乗り越えられる…そう私は心から信じています。

「この大地に縛られたままでいるな 爽やかに力を出し、飛び出せ!
頭と腕は明るい力と共に どこでも故郷にする私達が太陽を呼べば どんな悩みもなくなる」
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (1749-1832)「さすらいの歌」より
(「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」から)

小菅優ピアノ・リサイタル Four Elements Vol.4 Earth
2020年11月22日(日)14:00 開演(開場13:30)霧島国際音楽ホール 主ホール(鹿児島)
2020年11月23日(月・祝)15:00開演(開場14:10)しいきアルゲリッチハウス(大分)
2020年11月25日(水)19:00 開演(開場18:30)住友生命いずみホール(大阪)
2020年11月27日(金)19:00 開演(開場18:30)東京オペラシティ コンサートホール

Four Elements特設サイト
http://www.kajimotomusic.com/yu-kosuge-2020/

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