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秋山和慶さんの訃報に寄せて 秋山和慶さんの訃報に寄せて

わが国を代表する、国際的にも活躍した名指揮者の秋山和慶さんが、1/26に肺炎のため84歳で逝去されました。今月初めに自宅で転倒したことによって頚髄に重傷を負い、1/23に引退を表明されたばかりでした。

秋山さんは1941年東京生まれ。桐朋学園大学で齋藤秀雄氏に指揮を師事、名高い齋藤メソードを最も体現した指揮者と言われました。1964年に23歳で、当時苦境にあった東京交響楽団を背負うようにデビュー。以後40年にわたって同団の常任指揮者・音楽監督を務めたのをはじめ、大阪フィルハーモニー交響楽団、九州交響楽団、札幌交響楽団、広島交響楽団、そしてカナダのトロント交響楽団やバンクーバー交響楽団などの要職を歴任、日本のほとんどすべてのオーケストラに客演を重ねました。小澤征爾さんとともに1984年、サイトウ・キネン・オーケストラ(当初の名称は斎藤秀雄メモリアル・オーケストラ)の発足に尽くしたり、また全国のアマチュア・オーケストラへの出演にも労をいとわず、日本の音楽界の発展に大きな貢献を果たしました。

KAJIMOTOには、1980代から30年以上にわたって所属アーティストとして在籍されました。私たちスタッフも秋山さんの過剰なことのない的確な仕事ぶりに接し、大変に学ぶところがありました。1985年の、ご自身が音楽監督を務めたバンクーバー響の招聘公演にも大きな思い出があります。
そして秋山さんの指揮そのものが的確無比、過剰な情を交えぬものでした。それはすべてのレパートリーにおいて、どんなスタイルの楽曲においても音の組み合わせそのものから“音楽”を導き出していました。2015年に出版された回想録『ところで、きょう指揮したのは?』というタイトルは、まさに秋山さんの指揮の姿勢そのものではなかったでしょうか。
特に近・現代の音楽に対した時にその力は絶大。秋山さんが遺した東響とのシェーンベルク「モーゼとアロン」や「ヤコブの梯子」、ヤナーチェク「死者の家から」、J.アダムズ「エル・ニーニョ」、ラッヘンマン「マッチ売りの少女」などの上演は、きっと今後も不滅でしょう。

音楽を日常に根付かせるべく、長い間力を尽くされた秋山さんに、心から大きな感謝の意を表すとともに、ご冥福をお祈り致します。

KAJIMOTO

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