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ギュンター・ピヒラーさんの訃報に寄せて ギュンター・ピヒラーさんの訃報に寄せて

 オーストリア出身のヴァイオリニストで指揮者でもあった、ギュンター・ピヒラーさんが4/24、自動車事故で急逝されました。86歳でした。

 1940年生まれ。15歳でウィーン音楽大学に入学し、18歳にウィーン交響楽団の、そして21歳の時にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに就任するという初期の目覚ましいキャリアのあと、1970年にアルバン・ベルク四重奏団(以下ABQ)を結成しました。このABQが2008年に解散するまで、当代最高のカルテットであったことは多くの方々もご存じの通りです。
 ピヒラーさんは1989年から指揮者としての活動も開始し、日本でも2001年から2006年までオーケストラ・アンサンブル金沢の首席客演指揮者を務め、その後は名誉アーティスティック・アドヴァイザーとなっています。また様々な音楽大学、音楽院でも後進の指導に力を入れ、現代最高のカルテットのひとつ、ベルチャ四重奏団などもピヒラーさんらABQに師事していました。

 経歴を見てもわかる通り、世界最高のオーケストラのポストをわずかな年で辞め、弦楽四重奏に専念するという姿勢。そしてABQを結成してからもウィーンの音楽家たちならではの豊かな音楽性だけに甘んじず、アメリカに留学して近現代の音楽を得意としていたラサール弦楽四重奏団のもとで学び、そのエッセンスやアメリカの音楽家たちならではの技術も取り入れ、研鑽を重ねるという姿勢には一貫して厳しいものがありました。だからこそ、ABQは他と一線を画した唯一無二、世界最高のカルテットとして君臨したのだと思います。彼らのベートーヴェンはもちろん、シューベルトやバルトーク、ベルク、ルトスワフスキなどに見られるヨーロッパの空気感と高度な技術の総体はこれら作曲家たちの真価、深奥を伝え、文化的遺産といえるのではないでしょうか?そこには、第1ヴァイオリンとして、凛然たる輝きを放つ音色と牽引力をもったピヒラーさんの力がありました。

 そういったことを表したことの一つとして、2008年の日本でのABQフェアウェル・ツアーにおけるプログラム冊子掲載のピヒラーさんのインタビューには、この時演奏したベートーヴェンの「弦楽四重奏曲第15番イ短調op.132」について、このようなコメントがあります。

 「1970年にABQを結成したとき、私たちはこの作品を『一つの挑戦』を見なしていました。そのため舞台での演奏は控え、勉強を重ねました。そして1980年全曲演奏会の際、ようやくお披露目となったのです。また2001年の結成30周年記念演奏会のとき、私たちは『この作品がこの世にある弦楽四重奏曲の中で最高のものだろう』と考えていました。こういうことをあまり簡単に口にしてはいけないとは思いますが・・・。今回はそれに加えて第3楽章〈リディア旋法による、病から回復した者の神に対する聖なる感謝の歌〉は私たちの現在の気持ちに近いと感じています。」

 KAJIMOTOは、ABQと1990年代後半頃から彼らが解散するこの2008年まで数多くの仕事をさせていただきました。日本ツアーにおけるピヒラーさんの厳しさは、音楽上のことだけでなく、ツアーのコーディネートなどにも及び、担当はじめ我々スタッフはかなり大変な思いをしましたが、それだけに一つ一つの公演の成功が、そして1曲1曲の大変な高みに達した演奏がとても嬉しく、喜ばしかったものです。

 音楽の深さ、高さを多くの聴衆に伝えてくれ、また音楽への厳しさゆえの喜びを教えてくれたピヒラーさんに、心から哀悼と感謝の意を表し、ご冥福をお祈りいたします。

KAJIMOTO

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