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小菅優 ピアノ・リサイタル プログラム解説 Vol.3 小菅優 ピアノ・リサイタル プログラム解説 Vol.3

©Marco Borggreve

ベートーヴェンとシューベルト、そして芸術の本質

後半はソナタ形式をもとに自由な構想で描いた、27歳のベートーヴェンのソナタ「悲愴」、シンフォニーの研究を積み重ねていた時期の25歳のシューベルトの「さすらい人幻想曲」を。

ベートーヴェン(1770-1827)のピアノ・ソナタ第8番作品13「悲愴」は1797年から1798年の間にウィーンで書かれました。残っている下書きから、必ずしもピアノ曲の予定ではなかったのでは・・・と予想されています。ハ短調は、交響曲第5番「運命」、最後のソナタ第32番の第1楽章など悲劇的かつドラマチック。逃れられない運命を嘆くような、ベートーヴェンにとって特別な調性です。
第1楽章はグラーヴェ(重々しく)ではじまり、深々とした和音が嘆きのように鳴り響き、激しい感情の嵐を想像させるアレグロの主部へと移り変わります。この2つのパートが展開部で発展し、そのまま再現部へと続きます。グラーヴェのテーマが最後に繰り返されると、その嘆きは耐えきれない痛みのようにクライマックスへと達し、またやってくる嵐の末、断固たるハ短調の和音で終わります。第2楽章は変イ長調で“慰め”のよう。しかし、個人的な感情を超越し、人間の情けや儚さが坦々と訴えてくるかのようです。天国的な世界。神がこちらを見下ろしているような宇宙さえ感じます。第3楽章はハ短調に戻り、シンプルなメロディを持つ一方、第1楽章の嘆きの要素が組み込まれており、ときには独立した左手が右手のメロディと対話を交わします。テーマが3回現れ、ハ長調に移り変わると、天国的な要素が再び訪れ、コーダへと導きます。一層ドラマチックにモチーフが凝縮してくると、第2楽章の調性であった変イ長調を一瞬振り返り、そして第1楽章の断固とした和音を思わせながら締めくくられます。3つの楽章が完璧に1つの広大なストーリーを織りなしており、ベートーヴェンの初期の転機を代表するにふさわしいソナタだと思います。

すでに貴族のサポートを固め、キャリアを既に築き上げていたベートーヴェンは、その社会システムが消滅した後もほとんど問題なく活動できたようです。その晩年と活動期間が重なっているフランツ・シューベルト(1797-1828)は、すでに異なる時世とシステムのもと、同じウィーンとはいっても活躍したのはもはや「別世界」でした。

ハイドン、モーツァルトやベートーヴェンら、ウィーンで活躍した作曲家の中で唯一ウィーンに生まれ、終生ウィーンで過ごしたシューベルトは、庶民的な家庭に生まれました。フランス革命後王侯貴族の時代が終わり、ビーダーマイヤー(1815-1848の「復古期」時代を指す。中流階級の増加により、それまでのパトロンのシステムが消滅し、庶民が家庭などで音楽を嗜んだ市民の時代の生活様式)の家庭的な音楽環境で活動を始め、その世界の中からキャリアを築いたのです。

しかしシューベルトもベートーヴェンと同様、メッテルニヒのウィーン会議後の抑圧的な政治で不安に苛まれていました。(クレメンス・フォン・メッテルニヒ(1773~1859)はオーストリアの外相。フランス革命、ナポレオン戦争後のウィーン会議の議長で、保守反動体制(ウィーン体制)の中心的存在として、自由主義運動を弾圧した)

そのような複雑な時代の中、1822~23年のシューベルトは苦境の真っ只中でした。歌曲(リート)の作曲は絶えず進むもの、器楽曲、特に交響曲の分野では未完成のものが続き、なかなか完成した作品が残せません。いつも支えてくれていた友人たちもそれぞれの道へ散らばってしまい、その上、1822年秋から梅毒の症状に苦しみ、1823年には長期間の入院をしています。

その苦境の1822年に、交響曲第7番「未完成」の作曲を取りやめて作曲した幻想曲「さすらい人」D760は、長年の勉強と葛藤を経てできたのがわかるような傑作です。アレグロ、アダージョ、スケルツォ、フィナーレと、交響曲のような構成で成る一方、1816年に書かれた歌曲「さすらい人」D489(D493)のリズムのモチーフが最初から最後まで用いられます。こうして4つの楽章がソナタ形式のように提示部、展開部、再現部、コーダにも捉えることができ、全曲が一貫性を保っています。

アレグロでは、放浪の旅が生き生きと始まり、オーストリアの山脈が見えてくるようですが、リリックな第2テーマはノスタルジックに思い出を振り返るよう。アダージョは「さすらい人」の詩をもつ上記の歌曲の中間部のモチーフがそのままテーマとして用いられ、その苦境を耐え忍ぶような寒さと孤独感に襲われます。長調になると、シューベルトらしい夢想的な平和の世界が表れ、現実では味わえない幸福に浸ることに。スケルツォではさすらい人のモチーフがワルツに変わり、ウィーンらしい優美で心地よい雰囲気が漂ったと思ったら、激しい嵐へと展開してフィナーレへ。最初のモチーフが力強いフーガとして現れ、ハ長調の溌剌とした明るさの中(これは虚偽の明るさでしょうか?)、苦境の山を全力で乗り越えようとするかのような葛藤が最後まで続きます。
「さすらい人」のモチーフからは、放浪の旅の中、自由を掴もうとする意志が常に伝わってきます。それは当時の抑圧的な社会への反感を、こっそりと表していたのかもしれません。そして終生孤独だったシューベルトは、常に何かを探し求めている自分の姿を「さすらい人」という架空の人物に映したのでしょうか。

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今、私たちは芸術にとって難しい時代を歩んでいると思います。今回取り上げる作品は、様々な時代に、あらゆる世界に生きた作曲家によって生まれました。しかし、どの作曲家も芸術の本質を守るために戦ってきて、そのおかげで幸いにも素晴らしい作品たちが現代までたくさんの音楽家により演奏され、受け継がれてきています。私たちも今だからこそ本物の芸術を大切にし、音楽の本質を探り、訴えていかないといけないのかもしれません。何故なら、芸術は私たちの心を豊かにし、社会のためになくてはならない存在だからです。その素晴らしさに感動し愛を注ぎ、皆様と共有することが今日も幸せでなりません。

小菅 優

プログラム解説 Vol.1
プログラム解説 Vol.2

小菅優 ピアノ・リサイタル
1月21日(金)19:00 開演(18:30 開場)東京オペラシティコンサートホール
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