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2018/11/27 | KAJIMOTO音楽日記

●ハーディング&パリ管弦楽団、来日前におさらいを ―― パリ管弦楽団の成り立ちと現在


パリ管弦楽団の来日も、あと3週間となりました。ダニエル・ハーディングが音楽監督としてのコンビで日本ツアーをするのもこれが最後。

さて、パリ管弦楽団はフランスを代表するオーケストラ。音楽史を彩ってきたといっても過言ではない、長大な歴史を誇るパリ音楽院管弦楽団の発展的解消から出来た、ということは誰もが知っていても、その発端は?創設されてからの成り行きは?

公演会場で販売いたしますプログラム冊子に掲載する、音楽評論家の相場ひろさんのエッセイ(抜粋)をご紹介いたしますので、ここでぜひ皆さまにもおさらいをしていただければ。
どうぞご一読下さい。

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時が流れても歴然と残る個性――パリ管弦楽団のこと


相場 ひろ(音楽評論家)


 「パリ管弦楽団」の名称が初めて文献にあらわれるのは1964年のことである。ときのフランス文化相アンドレ・マルローは、作曲家で当時コメディ=フランセーズの音楽監督であったマルセル・ランドスキに、フランス政府による音楽政策の改革案の作成を依頼していた。これに応えてランドスキは、フランス音楽界全体を、パリ・オペラ座と新たな国立オーケストラ、仮称「パリ管弦楽団」を頂点とするピラミッドとして再編するという内容の草案をまとめてマルローに提出したのであった。一般に「ランドスキ・プラン」と呼ばれるこの改革案は、数々の批判にさらされながらもそのあらましが着実に実行に移され、後年のバスティーユ・オペラ座新設や国立パリ音楽院のラ・ヴィレット地区への移転などへと繋がっていくのだが、その改革の最初の一手として行われたのが、フランスのトップ・オーケストラとなるべきパリ管弦楽団の創設である。

 短期間にゼロから新しい管弦楽団を作るのは容易ではない。政府は、パリ音楽院の卒業生で組織されていた民間団体であるパリ音楽院管弦楽団(正式な名称はパリ音楽院演奏会協会管弦楽団)をその母体とすることを目論んだ。紆余曲折はあったものの1966年にはパリ音楽院管側の承認を得て、翌年には、メンバーの過半数をパリ音楽院管から優先的にリクルートし、その他を国際的なオーディションによって選抜した、総勢112名の大管弦楽団として、パリ管弦楽団が発足することになる。音楽監督にはフランスの誇る巨匠シャルル・ミュンシュが据えられ、彼は翌年同楽団を率いての楽旅中にヴァージニア州リッチモンドで亡くなるまで、そのポストにあった。

 パリ管弦楽団は、フランス政府によって、世界トップ・クラスの実力を持つオーケストラとなるべく作られた。そのために、ことさらに「フランス的」であること、つまり、フランスの伝統的な、他の国とは異なるユニークなメカニズムや音色を持つ管楽器を用いることを楽員に求めたり、弦楽器の奏法をフランス式に統一したりといったことは、設立当初から問題とならなかった。20世紀後半にヨーロッパ各地で問題となりつつあった、ローカルな音色や合奏術の放棄と、楽器・奏法のグローバル化・無個性化の波に乗るかたちで、楽団は改革されていった。ホルン・セクションからは、1930年代以後フランスの楽団で流行していた、幅の大きいヴィブラートをかける奏者が排除されたし、バスーンも独特の音色を誇ったフランス式楽器(バソン)は、設立後数年で姿を消した。音楽監督も、ヘルベルト・フォン・カラヤンやゲオルク・ショルティといった国際的に活躍する指揮者が短期間務めた後、75年からはアルゼンチン出身のダニエル・バレンボイムが就任して、89年までその地位にある間に、独墺系のレパートリーを拡大して、オーケストラの標準的なレパートリーをおおよそすべてこなせる合奏体に錬成していった。

 それでは、パリ管弦楽団は時代の流れに押し流されて、どこの国の団体とも知れぬ、個性のない無味乾燥なオーケストラになってしまったのか?いや、今のオーケストラをお聴きになって、そのような印象を持たれる方は少ないはずだ。

 例えば最近、前音楽監督パーヴォ・ヤルヴィが2012年から16年にかけて録音したシベリウス交響曲全集のディスクがリリースされたけれども、そこに聴かれる、量感に恵まれていると同時に華やぎのある倍音をたっぷりと含んだ弦楽器や、明るさの中にしっとりとした彩りのある管楽器、風通しよく、シャープな発音の金管楽器、そして何より、内に向けて固く凝集するよりも、常に外へ向かって力強くエネルギーを放散していくような響きの作り方を、そしてそうしたサウンドをシベリウスというレパートリーで全開にし、音楽を染め上げることを、ほかのどこかのオーケストラが容易に真似のできるものだと考えるのは、難しいことだろう。

 ひとによってはそこにパリという、長年世界の多くの人の憧れの対象だった都市の持つイメージを感じとり、芸術の都のなせるマジックとみなす方もいるかと思う。何がそうした個性を生み出すのかは分からない。絶えず代替わりしていく楽団員たちの中に、口伝えなり無言のやりとりなりによって受け継がれているものがあるのかもしれない。あるいは同じ都市に長く居を構える者同士の間で、価値観を共有するようになるのかもしれない。確実に言えることは、楽器を揃えたり、地元出身の音楽家だけで組織することだけがオーケストラのアイデンティティではないということだ。真の個性は、そうした表面的な違いをすべて拭い去った後にも、歴然として残るものの中にある。


(このエッセイの完全版は、パリ管の公演会場で販売致します)

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*ところで、ここで一つお詫びがございます。

公演会場などで配布されている、パリ管弦楽団のチラシ裏文章のうち、
『・・・最注目は「田園』交響曲。前身をなすパリ音楽院管は、ベートーヴェンの交響曲をフランスに紹介した歴史を有し、同曲ではクリュイタンスの指揮で馥郁たる名録音を残してもいる。・・・』
という部分に一部誤りがありました。
正しくは
『・・・最注目は「田園』交響曲。前身をなすパリ音楽院管は、ベートーヴェンの交響曲をフランスに紹介した歴史を有し、同曲ではシューリヒトの指揮で名録音を残してもいる。・・・』
です。

謹んで訂正させていただきます。

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