NEWSニュース

2018/11/10 | KAJIMOTO音楽日記

●ゲルギエフ&ミュンヘン・フィル、来日を前に ―― 創立125周年記念公演・マーラー「交響曲第8番」レポート!


ワレリー・ゲルギエフ率いるミュンヘン・フィルが絶好調。欧州で怪気炎を上げています。
それもそのはず、ミュンヘン・フィルは今シーズンで創立125周年を迎えたのです。
(西欧では、25年がひとつの大切な区切りとなります)
そして来日公演まで、いよいよあと3週間ほど!

その創立記念コンサートが去る10/13、ミュンヘンの彼らの本拠地、ガスタイクのフィルハーモニーホールで行われました。演奏したのは、このようなハレの日に相応しい壮大な曲、そしてミュンヘン・フィルが1世紀以上前に初演した曲でもある、マーラー「交響曲第8番《千人の交響曲》」。

現在ミュンヘンに長期にわたって滞在している広瀬大介さん(音楽学・音楽評論)がその公演のレポートを送ってくれましたので、ぜひ彼らの来日前にご一読ください!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~





ミュンヘン・フィル創立125周年記念・現地公演レポート
「ゲルギエフ率いるマーラーゆかりの楽団の、壮大にして繊細な《千人交響曲》」

 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団は、今年で創立125周年を迎えた。前身となるカイム管弦楽団が1893年に生まれ、1928年に改称して以来、今に至るまで営々とその歴史を紡いでいる。
 この楽団がその創立を祝うならば、演奏曲はグスタフ・マーラー以外には考えられないだろう。何しろ、1901年11月には『交響曲第4番』がマーラー自身の指揮で初演されている。このときの評判は芳しくなかったようだが、1910年9月の『交響曲第8番』では、カイム管弦楽団を母体としつつ、文字通り千人以上の演奏者を集め、マーラーの不断の努力によって大成功を収めた。翌11年9月の『大地の歌』の初演は、5月に亡くなった作曲家の遺志を継ぎ、ブルーノ・ワルターが担当している。というわけで、今回、楽団の節目となる演奏会に選ばれたのは、もっとも祝祭性の高い『交響曲第8番』となった。

 前任者のロリン・マゼールは2012年に就任したものの、わずか2年後の2014年に逝去してしまう。オーケストラとしても青天の霹靂であっただろう。翌2015年にはワレリー・ゲルギエフが同団の首席指揮者(同団は「音楽監督」と表記)を引き受け、忙しいスケジュールの合間を縫うようにミュンヘンの音楽シーンに登場している。近年のゲルギエフはブルックナー作品の演奏・録音に精力的に取り組んでおり、筆者が滞在している2018年以降も、折々に聴くことができた。9月にはブルックナーの棺がおさめられているオーストリア・リンツ近郊、ザンクト・フローリアン修道院で、両者の組み合わせがリンツ・ブルックナー音楽祭の一環として演奏された。来日公演でも、この時に演奏された『交響曲第9番』が披露される。ブルックナーも耳にした渾身の響きが、日本の各会場でも響きわたるはずである。

 10月13日、満を持して、オーケストラ創立125周年記念演奏会が、ガスタイク文化センター・フィルハーモニーにて開催された。前半はストラヴィンスキーの『詩篇交響曲』。この日、ゲルギエフのとるテンポは総じてゆったりめで、どんな作品をもキビキビこなしていくイメージが強いだけに、やや驚かされる。とりわけ第2楽章の二重フーガがやわらかく演奏され、この曲に対する新鮮な解釈をもたらしていた。なるほど、これを聴かせることで、後半のマーラーの合唱との共通点をあぶり出そうとしたのかも、と気がついたのは後の話。

 『詩篇交響曲』はヴァイオリンのない編成だけに、舞台配置に時間を取られるためか休憩は35分と長めに設定され、マーラー『交響曲第8番』の演奏10分前にはすでに合唱が入場を始める。普段の曲ならば、合唱団は舞台奥だけに陣取ることになるが、さすがに今回は舞台両横の客席にも陣取り、壮観な眺めが実現した。初演の時のように「千人」とはいかないものの、大きなガスタイク・フィルハーモニーの舞台を埋め尽くすオーケストラと合唱団はやはり壮観の一言。独唱陣はオーケストラの手前に陣取り、ゲルギエフとともに登場。第1部「来たれ、創造主たる聖霊よVeni, creator spiritus」が、これまで聴いたことのないような大迫力で鳴り渡った。このホールは響きが拡散してしまい、聴く席によって大きく印象が変わってしまうのではあるが、やはり大編成の音楽ともなると、このホールですら手狭に感じられるほどの音圧を感じることができる。展開部における二重フーガは、さきほどのストラヴィンスキーにも登場したが、こちらではより迫力を増しており、遠いようで近い両者の親近性すら伝わってきた (このあたりは、2曲を続けて演奏したゲルギエフの企画の勝利だろう)。



 第2部、とくに緩徐楽章にあたるアダージョの表現は繊細さに満ちており、エフゲニー・ニキティンの歌う瞑想する教父は、客席の集中力を一身に集めた感があった。スティーヴン・グールドのマリア崇敬の博士、ヴィープケ・レームクールのサマリアの女が見事に場を盛り上げ、『ファウスト』最後をかざる有名な「神秘の合唱」、「移ろうものすべては(Alles Vergängliche)」での晴れやかさ・美しさは比類がない。やがて第1部の冒頭モティーフが徐々に回帰し、大団円でついにその全貌が姿を現す。この旋律を吹奏する金管楽器の別働隊は正面奥のオルガンとともに高らかに全曲を締めくくり、一瞬の静寂の後、満場の喝采がそれに続いた。

 今回の来日公演ではマーラーの『交響曲第1番』で、この晴れやかかつ美しい世界を感じることができるはずである。マーラーと縁の深かったミュンヘン・フィルで、そのマーラーを聴くことのできる愉しみは、なにものにも代えがたい。


広瀬 大介(音楽学・音楽評論)






~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


チケットのお申込みはこちらまで
 

PAGEUP