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2018/03/16 | KAJIMOTO音楽日記

●ソヒエフ&トゥールーズ・キャピトル国立管の日本ツアー初日を聴いて


久しぶりに聴いた・・・ロシアのオーケストラでも最近は日本公演で演奏しないのでは?・・・チャイコフスキーのバレエ、あの「白鳥の湖」の音楽というのは本当に素晴らしい!と今更ながら感じ入ってしまいました。華麗で愉しく、そして切なくて。アンコールで演奏されたビゼーの「カルメン」(前奏曲)と双璧で、これほどどこのナンバーをとっても魅力的な“音楽”に充ち満ちて、初めて聴いた子供の頃の気分まで思い出してしまうくらい、頭よりも全身に働きかけてくる楽曲はなかなかないのではありますまいか?

いや、失礼しました。タイトル通り、ここに書いたのはトゥガン・ソヒエフ指揮トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の日本ツアー、初日(3/15)のサントリーホール公演を聴いた感想です。
彼らのようなカラフルで豊かに充実した演奏だからこそ、チャイコフスキーならではの夢と幻想、華麗、そして劇的な慟哭までをも、先に書いたように感じさせてくれたのだと思います。


3/15サントリーホールでのリハーサル

以前から紹介しておりますように、トゥールーズ・キャピトル管の、パリ管ともまた違った個性的なフランス色は健在で、それはスペインよりの原色風とも言えますし、南欧のまぶしい太陽のようだと言えるかもしれません。低音の支えからしっかり和声を響かせるドイツ風とはまるで違い、弦楽器はどの声部も個々がそれぞれ艶やかにしなやかに歌い、管楽器群は弦と融けあう気がない(?)かの如く、全員ソリストのように我も我もと華やかな音でソロを奏でます。(ファゴットでなく、フランス式バソンであったり、弦VS管の対比が古楽器オーケストラの音を連想させたり)
結果、オーケストラのサウンドの重心が高い。こういうあたり、ベルリオーズの音楽などを聴くとよく感じるところで、縦(和声)より、横の流れ・・・要は旋律が折り重なって音楽を形成することの重視といったような。そしてそれらはクリアでシャープというより、案外混ざって曖昧で、その分ふくらみを生じたりします。

冒頭のグリンカ「ルスランとリュドミラ」序曲でのチェロ・セクションによる第2主題でも、「よしっ!俺たちの出番が来たぞ」とばかり、心合わせるチェロたちが高らかに(3Dのように?)心ゆくまで痛快に旋律を歌い上げるのに、思わず聴いているこちらからも笑みがこぼれます。

・・・とまあ、こう書いていくと、プレイヤーたちが自由気ままに弾きまくるフランスの田舎オケ、といったようなイメージになってしまいますが、これを統率してまとめ、時にはムチを入れて彼らを燃え立たせるのが音楽監督のソヒエフです。

この駆け引きを見ながら、「自由と統率の間」などという言葉が頭に浮かんでしまいました。
駆け引きでもあり、一瞬で両立もしている。長い信頼関係(ソヒエフは2005年から音楽アドヴァイザー、2008年から音楽監督)で、お互いこうしたい、こうしてほしい、というのが自然と融けあってしまっているのでしょうね。
「白鳥の湖」は、これなら実際に踊れそうだな、と実際のバレエ上演を思わせる比較的悠然としたテンポの中、音の色合いやエモーションの濃さ、劇的だったり優雅だったりの緊張感の高低など、すべてが自然に刻々と移り変わります。オーケストラは統率される中無我夢中で演奏し、本当に気持ちのよい、豊かで圧巻の演奏でした。


そう、現代最高のフルート、エマニュエル・パユがソロを吹いたハチャトゥリアンのフルート協奏曲(ランパルがヴァイオリン協奏曲を編曲)にも触れなければ・・・と思いつつ、「現代最高のフルート」と先に書いた以上の何を付け加えられますやら。この曲をあのように吹ける人がいるとはとても思えません。
その後にソロ・アンコールで吹いたドビュッシー「シランクス」で、たった一本の笛からあんな「無限の夢幻」が広がり、会場を満たすなどということがあり得るのか!?と驚嘆したことを書き添えておきます。

さて、来る3/21(水・祝)には再びサントリーホールで、諏訪内晶子をソリストに迎えた、ソヒエフ得意のプロコフィエフ作品があるほか、後半にはドビュッシー「海」とストラヴィンスキー「火の鳥」という、20世紀初頭の画期的2大管弦楽名曲が。
これらがソヒエフ&トゥールーズ・キャピトル管の個性で演奏されたとき、決してほかでは聴けない・・・知的よりも身体的な・・・カラフルで劇的な魅力があふれるものになるハズですので(昨日の演奏から想像するに)、これはぜひご期待ください!

ローカルを丁寧に育て、極めると、こういったことが起こるのですね。
(かつてのサイモン・ラトル&バーミンガム市響のように)


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