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2013/10/03 |

◆「なぜピアノだったかって?理由はただ一つ、手が巨大だったから。」~知られざるベレゾフスキーの世界




11月、リサイタル・ツアー&トゥガン・ソヒエフ指揮NHK交響楽団との共演のため来日するベレゾフスキー。
パワフルなヴィルトゥオーゾ、といった一定のイメージで語られることの多い彼ですが、その繊細で多義的な物腰や、音楽に対する姿勢、チャイコフスキー・コンクール優勝前の活動などは、意外に謎に包まれているのでは?と思います。

すこし時はさかのぼりますが、2012年10月、(ベレゾフスキーが活動拠点としている国の一つ)フランスの人気サイトRue89(仏誌「Le Nouvel Observateur」の関連ブログ)に、彼のロング・インタビューが掲載されました。
本日は、その一部をご紹介したいと思います。それではどうぞ↓


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一言であらわすなら、雄牛。肩幅が広く首もがっしりした、たくましい体つきだ。演奏が終わっても深々とおじぎはせず、笑顔は振りまかず、手を胸に当てることもない。自席でとまどいながら体を縮める聴衆に鋭いまなざしを向け、歩くだけ。聴き手はこう自問する――演奏中に音を立てたのかしら、咳がうるさすぎたのかしら、拍手のタイミングが悪かったのかしら・・・?

でもそれは、全て杞憂。ベレゾフスキーはただ、疑いやその時々の精神状態、感情といった、世間で“普通”だと思われているものを一切、外に出さないだけだ。彼は自身を守ってくれる砦の中に隠れ、音楽にひたすら身をゆだねる。(略)そんなベレゾフスキーが、煙草を次から次へと潰しながら自らの歩みを語ってくれた。

「父がどうしても私にピアニストになって欲しいと望んだのです。なぜピアノだったかって?理由はただ一つ、手が巨大だったから。当時のソヴィエトではよくあったことです。子どもの身体を測定して何をさせるか決めていたんです。(略)」

<コンクールという名の戦場>

「私は1969年モスクワ生まれ。父はユダヤ系のとても貧しい家庭の出でした。祖父母の家では一つの紅茶のティーバックを皆で一週間使い続けていたほど。当然、父やその兄弟たちを育てる経済的余裕はなく、彼らは軍隊に送られました。父は25年のあいだ軍で働き、軍楽隊でトランペットを吹いていた。私の家族の中で唯一、音楽をやっていたのが父です。母は上流階級の出で、父とは正反対の環境で育ちました。この対立する二つの世界観は私にも影響しているのではないかな、悪い意味でも・・・」

「子どもの頃は、一日3時間ピアノの練習をするという決まりでした。(略)でもその頃に興味があったのはサッカーだけでした。(略)音楽への愛が芽生え出したのは14歳の頃かな。」

その後ベレゾフスキーは、モスクワ音楽院でヴィルサラーゼに4年間、師事した。グルジア出身のこの名教師は、あのネイガウスの弟子。ネイガウスはリヒテルやギレリスを育てたことで知られる。

「ヴィルサラーゼが生徒たちに求める練習量は尋常ではありません。そして私たちは、コンクールという名の戦場へと送り込まれました。国際コンクールでは何としてでもソヴィエト連邦出身者が優勝せねばならなかったのです。当時20歳だった私はチャイコフスキー国際コンクールで優勝しましたが、その後、何をすればよいのかわからなくなってしまいました。」



<ショービジネスなんてどうでもいい!>

そんな中でベレゾフスキーは偶然、ロシアの偉大な教育家、アレクサンダー・サッツと出会う。(略)サッツは優秀な音楽家を受け入れることで知られるモスクワ・グネーシン特別音楽学校で教えていた。

「グネーシン特別音楽学校には、多くの“異端派”、モスクワ音楽院からはじき出された人々がいました。ユダヤ人を受け入れる学校だったんですね。メトネルのような知られざる作曲家の音楽を聴いたり演奏したりできる環境で、民族音楽もきちんと教えていた。モスクワ音楽院よりもかなり居心地がよい場所でしたよ。」

今日、偉大なるヴィルトゥオーゾとして定評があるベレゾフスキー。彼が演奏困難なピアノ作品を弾きこなす様子には驚かされる。しかし、超絶技巧はひとつの手段でしかない。ベレゾフスキーが奏でるラフマニノフの前奏曲が胸を打つのは、その怒涛の稲妻から不意な優しさまでの表現の幅だ。

「ヴィルトゥオジティは結局のところ、人々の心を捕える才能のひとつ、と定義できるでしょう。あらゆるピアニストが各々、特別な何かを持っていると思うのですが、私はどちらかというとロマンティズムや官能性、優雅であるものに惹かれるタイプ。スターピアニストについてどう思うかって?どうでもいいです。聴衆とひとことで言っても数は多く、好みも様々ですから、色々な奏者がいてよいのではないかな。ショービジネス?それもどうでもいいです。つまり誰でも代償は払わなければいけないということ。興味深い素晴らしいピアニストがこの世にはあまりにも沢山いるから、私にとってそういった問題は重要ではないんです。」

<天才ピアニスト、ブリジット・エンゲラーを偲ぶ>

フランスの聴衆にとって、ベレゾフスキーの名は [2012年] 6月に他界したピアニスト、ブリジット・エンゲラーのそれと強く結びついている。二人は15年もの間、精力的にピアノ・デュオ活動を行った。(略)

「ある夕食会で一緒になったあとに、意気投合して一緒にカジノに行ったんです。私たちは二人とも賭け事が好きで(笑)。ブリジットはいつも親切でしたよ。私のことを、ことあるごとに助けてくれました、心から感謝しています。彼女は直観的に周囲を守り、周囲に与えることができる人。でも自己防衛しているところは見たことがなかったな。」

「彼女とは音楽的にもとても馬が合いました。忘れがたい演奏会がたくさんあります。才能あふれる音楽家でしたし、常に自然体で誠実な人でした。(略)」

ベレゾフスキーは現在、亡きエンゲラーの後継者としてピアノスコープ音楽祭の芸術監督を務めている。彼によれば、「友人同士の再会の場のような音楽祭」だという。

ベレゾフスキーに「今、したいことは?」と問うてみた。その答えは「フランス音楽にもっと力を入れたい。特にメシアンとドビュッシー。」1曲ごとに彼の全てが反映されるのだろうか?・・・遠目で見ればそうかもしれないが、それは“だまし絵”でしかないだろう。なぜならベレゾフスキーは、近づけば近づくほど、その輪郭が解体され、複雑に見えるようになる人だから。雄牛は雄牛でも、ピカソ風の雄牛、それがベレゾフスキーなのだ。

(インタビュー&文:Nathalie Krafft)


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<ボリス・ベレゾフスキー(ピアノ) 2013年11月 日本ツアー・スケジュール>

■11月15日(金) 19:00/東京 NHKホール 【協奏曲】
【問】N響ガイド 03-3465-1780

■11月16日(土) 15:00/東京 NHKホール 【協奏曲】
【問】N響ガイド 03-3465-1780

■11月17日(日) 14:00/佐倉 佐倉市民音楽ホール 【リサイタル】
【問】佐倉市役所市民音楽ホール 043-461-6221

■11月20日(水) 19:00/東京 東京オペラシティ 【リサイタル】
【問】カジモト・イープラス 0570-06-9960

■11月23日(土・祝) 15:00/京都 京都青山音楽記念館バロックザール 【リサイタル】
【問】青山音楽記念館 075-393-0011

■11月24日(日) 15:00/横須賀 横須賀芸術劇場 【リサイタル】
【問】横須賀芸術劇場 046-828-1602


【協奏曲・プログラム】
ラフマニノフ: ピアノ協奏曲第2番
※共演:トゥガン・ソヒエフ指揮 NHK交響楽団

【リサイタル・プログラム】
ラフマニノフ: 前奏曲集作品32より
         (第2番、第3番、第4番、第5番、第9番、第10番、第13番)
ラフマニノフ: ソナタ第2番
ドビュッシー: 前奏曲第1巻より
         (デルフィの舞姫たち、野を渡る風、雪の上の足あと、西風の見たもの、
          とだえたセレナード、亜麻色の髪の乙女、ミンストレル)
ラヴェル: 夜のガスパール


ボリス・ベレゾフスキー プロフィール

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