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2016/03/04 | KAJIMOTO音楽日記

●マウリツィオ・ポリーニ来日公演に寄せて―― 林田直樹さんから2月パリ公演のレポが届きました!


現代最高のピアニスト、マウリツィオ・ポリーニ4年ぶりの来日公演まで、あと1ヵ月強。
1月のベルリン・フィルとの共演(ショパン:ピアノ協奏曲第1番)でも大変な評判が伝わってきましたが、2月にはパリに登場。当地の新フィルハーモニーホールでリサイタルを開きました。

このパリでのリサイタルを聴かれた、音楽ジャーナリスト/評論家の林田直樹さんからこの時のことを書いたエッセイが届きましたので、ご紹介させていただきます。


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現地レポート―― フィルハーモニー・ド・パリのマウリツィオ・ポリーニ




2月8日月曜日、パリの「フィルハーモニー・ド・パリ」で、マウリツィオ・ポリーニのピアノ・リサイタルを聴いた。
ここは2015年春にオープンして間もない新ホールで、音楽関係者の間でも、その斬新な設計コンセプトが大いに話題となっているところだ。
ポリーニを聴く前に、筆者はフィルハーモニー・ド・パリの内部、裏方のスペースも見て回る機会に恵まれたので、そのことも少しご紹介したい。
 


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パリ中心部からやや北東のはずれにある地下鉄ポルト・ド・パンタン駅のすぐ近く、休日には人々が憩うラ・ヴィレット公園の一角に、フィルハーモニー・ド・パリはある。隣にはパリ・コンセルヴァトワール、シテ・ド・ラ・ミュージック(フィルハーモニー・ド・パリ2と名称変更された)があり、一大音楽エリアを形成している。

フランスを代表する世界的建築家ジャン・ヌーヴェルの設計によるフィルハーモニー・ド・パリは、大胆な曲線とガラスを豊富に用いた超現代的なデザイン、そして木々や陽光をイメージさせる内装が特徴である。
地下には学習室がいくつも設置され、その中には世界中の民族楽器(非西洋のものも多かった)、クラシック音楽の各種楽器が博物館のように取り揃えられ、訪れた人は子どもから大人まで誰でも自由に演奏できるようになっている。年齢別のカリキュラムも充実しているようだ。もちろんノイジーな音しか出せないかもしれないが、それでも楽器にこれだけ自由に触れられるのは素晴らしい。
音楽とはただ聴くだけのものではなく、見て、触れて、学ぶものであり、それは誰にでも開かれているべきだ――そんな考え方がここには反映されている。

このホールは公園の中にあり、人々の行き交う通路の中にすんなりとなじんでいる。屋上庭園は出入りが自由で、ホールの入り口は人々の歩く場所が交差する場にある。つまり、ホールの内部と外部は峻別されない。

街の中にあり、街とともに生きるコンサートホールだということを最も強く感じたのは、リハーサル室の作りだ。
通常、音楽ホールや劇場のリハーサル室は、遮音性を確保するために、窓がないことが多い。都市と音楽との「断絶」がそこにはある。しかしここでは広大な窓がとられ、しかも窓の外には夜になると高速道路の自動車群の光が幻想的に音もなく目前を通り過ぎていく。
いまパリの街の中にいる、この現代社会の中に暮らし、生きている人々の営みの中に、自分たちの音楽は存在する――ということを強く意識しながら、演奏家たちはリハーサルを行うことになる。

リハーサル室の数は多い。それもそのはず、ここはパリ管弦楽団が本拠としているのみならず、古楽団体のレ・ザール・フロリサン、現代音楽集団のアンサンブル・アンテルポンタンポラン、パリ室内管弦楽団、イル・ド・フランス国立管弦楽団のレジデンスともなっている。
5系統の演奏団体に加えゲストの演奏家たちが次々にここを訪れる。彼らはお互いを意識しあいながら、同時多発的にリハーサルや本番を行う。リハーサル室や楽屋周辺で、アーティストたちは、隔てられた別々の存在ではない。別々のコンサートであっても、複合的に、一緒に、音楽をする。それを意識させられるホールなのだ。

ここまで見学したところで、あのポリーニがこのホールのコンセプトを大いに気に入るであろうことは容易に想像がついた。音響以前の、思想の問題として!

メインの大ホールは、すべてが柔らかい曲面で作られ、微妙に非対称的な空間となっている。中に入ると、暖色系の配色が目に優しく、不思議に落ち着く場所だ。壁の凹凸は幾何学的で、可愛らしくポップでさえある。
何よりもユニークなのは、二重の殻に包まれたような独特の構造である。内壁と外壁の間には5メートルくらいの空間がとられており、そこを通って人々はホールの内部に入る。この内壁と外壁の間のスペースが共振して、音響を豊かにするのだ。


※開演前のホールの雰囲気(筆者撮影動画)



ホールの外側をとりまくホワイエや廊下は、絨毯がしき詰められており、微妙なカーヴと勾配がつけられている。フラットではない。それが不思議に落ち着く。天井からは木洩れ日のようなまばらな光が落ちてくるのが美しい。
上階にあるカフェ「ル・バルコン」は、モダンで洗練されたカウンターバーが大人の雰囲気で、窓から見える広大なパリの夜景が、夢のように非日常的だ。驚くべきは、葉が密生したような斬新なデザインの椅子で、これがカフェ全体の現代的なトーンに、不思議な自然のイメージを与えている。


※カフェ「ル・バルコン」の雰囲気(筆者動画撮影)



街の中にある、自然も感じられる、生きている音楽の場所。
さまざまなジャンルの音楽が同時多発的に生まれてくる場所。
ただ一部の人々が音楽を贅沢として消費するのではなく、すべての人々にとってより身近で、より近くに見て、自ら触って、演奏して、誰でも学べるような、大切な何かとして音楽がある場所。
それが、フィルハーモニー・ド・パリが意味する未来の新しいコンサートホールのあるべき姿であり、思想だ。
 


*  *  *
 




ポリーニのリサイタルの話に戻ろう。
20時30分の開演。満員のホールに登場したポリーニは、まず最初に先頃亡くなったピエール・ブーレーズへのオマージュとして、シェーンベルク「6つの小品op.19」を演奏した。当初発表されていなかった、追加曲目である。
そういえば90歳のブーレーズの亡くなった1月5日は、ちょうどポリーニの74歳の誕生日でもあった。どんな気持ちでポリーニは敬愛するブーレーズの訃報を知ったのだろう?
この曲は、折に触れて好んで弾いてきた曲であるが、これまでの演奏とは全く違った印象を受けた。間合いの静けさと緊張感は相変わらずなのだが、自家薬籠中に入ったこの曲を、第4曲のあの暴発でさえ、いかにも慈しむように、朗読の名人がお気に入りの詩をそらんじ、味わいながら読むかのような雰囲気があった。

本体のプログラムは、前半がシューマンのアレグロop.8幻想曲ハ長調op.17、後半がショパンの舟歌嬰ヘ長調op.602つのノクターンop.55幻想ポロネーズop.61スケルツォ第3番嬰ハ短調op.39(来日公演での4/9、16のプログラムと同じ)。
アンコールは革命のエチュードと、バラード第1番op.23
これらを聴いて思ったのは、先ほどもシェーンベルクのところで書いた、詩の言葉を語るかのような独特の調子である。それは、若い頃のポリーニが筋肉質なピアニズムを駆使して、光の神殿のような建築物を音で生み出していたのとは違い、老いてより「熱く語る」ようなスタイルに進化していった結果だろう。
すべての音符が手の内に入り切ったこれらの作品を弾くときに、ポリーニはかつてのような端正さや強靭さをただ追求するのではなく、より作品の内面に深く入っていこうとする。そのために、さらに熱を込める度合いが強くなった。解釈は相変わらず徹底してクールだが、そのために外形が少し崩れ、音が少し滲むほどの凄みが出てくる。新たな即興的な生命力が作品から生まれてくる。

「私は、作品の“核”というものを、この手に握りしめたいのです」
かつてインタヴューで、そうポリーニが筆者に語ってくれたことがあった。
そのときの彼の手の表情が忘れられない。両手でリンゴくらいの大きさの中空を鷲づかみにし、ぐにゃりと曲げた10本の指で、すさまじい執念でつかまえ握りしめようとするポーズをとったのだ。
ポリーニが作品に接するときは常にそうである。

今回特に強い感銘を受けたのは、シューマンの幻想曲op.17の第3楽章と、ショパンの2つのノクターンop.55である。
フィルハーモニー・ド・パリの音響がそこには影響していたかもしれないが、ポリーニが弾き始めた瞬間に、「あ、こんなにポリーニは弱音の美しいピアニストだったのか」と改めて驚いた。
静寂の密度が“濃い”のだ。
ただの音の減衰、ただの休符ではない。そこには、何と豊かな沈黙と間合いと空間、満たされていくような世界があったことだろう。
それはおそらく、ポリーニが最初から持っていた音楽性であり、それをフィルハーモニー・ド・パリの音響が明らかにしてくれたのだと思う。いままで気付かなかったような側面であった。
すべての演奏が終わった後、満員の聴衆は完全な総立ちのスタンディング・オベーションで、ポリーニに深い敬意を表したのも印象的であった。

日本でのリサイタルでも、お聴きになる皆さんはぜひ、いまのポリーニの音楽のなかにある豊かな空間と静寂にも留意していただけたらと思う。そこには彼の全く別の顔があるから――。



 

林田直樹(音楽ジャーナリスト・評論家)



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