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スラットキン、N響を指揮したベートーヴェン「第9」について語る スラットキン、N響を指揮したベートーヴェン「第9」について語る

昨日、「NHKで放送!年末年始のクラシック音楽番組に登場するKAJIMOTOアーティスト」のニュース記事をアップしましたが、その中に登場する指揮者レナード・スラットキン。この名匠が12/20にN響を指揮し、反響を呼んだベートーヴェン「第9交響曲」が大晦日12/31にオンエアされます。その時の演奏について、本人が帰国後に詳細な解説メッセージを送ってくれましたので、ぜひご一読の上、演奏をご覧いただけると幸いです。
2025年12月31日(水) 20時~ NHK-Eテレ
N響「第9」演奏会 2025
https://www.nhk.jp/g/ts/1JG7WX9P27/blog/bl/pym5pNLeAy/bp/prDk9gx7R6/
ベートーヴェンの《第9》演奏への添え書き
~日本の聴衆の皆さまへ~
文:レナード・スラットキン
このたびNHK交響楽団との共演で楽聖の最後の交響曲を指揮しました。その5回の演奏が各種のSNSプラットフォーム上で多くの反響を呼んでいると知り、大変光栄に思っています。たくさんの方々がコメントやご質問を発信してくださいましたので、その幾つかにお答えできればと、筆をとった次第です。
1. オーケストレーションの変更
ベートーヴェンが生きていた時代から今日までに、オーケストラは多くの変化を経ました。当時と比べて、今日のオーケストラは4~5倍のサイズですし、今日のコンサートホールの広さは、ベートーヴェンの想像を遥かに超えています。楽器そのもの、特に木管楽器と金管楽器も、進化を遂げました。
長年にわたり多くの指揮者たちが、このような違いに対応すべく、さまざまな調整を試みてきました。とりわけ私自身が参考にしてきたのは、ワインガルトナー、マーラー、トスカニーニ、セル、オーマンディ、バーンスタインです。彼らは、おのおの独自のやり方でバランスの問題に対処しました。「もしも現代のオーケストラの条件が整っていたら、ベートーヴェンはどうしていただろうか?」と自問しつつ、慎重に調整を行うのは至難のワザです。
今日、作曲家が生きていた時代に響いていたであろう音楽を再現しようと試みている演奏家たちが大勢います。しかし彼らでさえ、何らかの調整を図らなければなりません。スコア上で全楽器にフォルティシモの指示が記されていたとして、実際にその通りにオーケストラを鳴らせば、ほぼ金管楽器とティンパニの音しか聞こえてこないのですから。
では、作曲者の意図を歪めることなく明らかにするには、どうしたらよいでしょうか?
たとえば、木管楽器奏者が一人で(一人ずつ)受けもつパートが、55人以上もの奏者からなる弦楽セクションの音に埋もれてしまうことはよくあります。このような場合には、(各)木管楽器奏者の数を増やす─基本的には2人(ずつ)にする─という手があります。そのパートを別の楽器に託すこともありえますが、フレーズの意味が損なわれないよう最善を尽くさなくてはなりません。
いずれも好みの問題です。少なくとも私の“耳”は、時折、そのような調整の必要性を感じます。
2. 現代の楽器のための調整
これは特に金管楽器に関することですが、ベートーヴェンの時代に、まだ楽器によっては“出せない音”がありました。第2ホルン奏者、第4ホルン奏者、第2トランペット奏者が、他の奏者とオクターヴのユニゾンを吹いたあとに、突然、9度上の音への跳躍を強いられるケースが多々みられます。それはこれらの楽器が、まだ[半音階の音を自在に出せる]ヴァルヴ(弁)を備えていなかったからです。ヴァルヴはベートーヴェンの没後まもなく広く普及しました。もしもベートーヴェンがヴァルヴ式の新しい楽器のために曲を書いていたら、“出せるようになった音”も楽譜に記していたはずだと考えるのは、ごく理にかなっています。
このケースは他の金管楽器にも当てはまります─作曲当時の楽器では出せなかった音のせいで、せっかく吹き始めた旋律が途切れ途切れになることはよくあります。その好例の一つが《第9》終楽章の冒頭のトランペット・パートです。
時折、フルートの高音域の音符がスコア上で欠けていることもあります。これも、当時の楽器ではそれらの音が出せなかったためです。本来なら滑らかに上行していくはずの音階が中断している場合も、理由は単に、抜け落ちている音符がまだ“存在”していなかったからです。
3. 第2楽章でのリピート
スケルツォ楽章の中間部(トリオ)が終わったあと、主部のリピートで冒頭8小節が省略されたことに、多くの方が仰天なさったことと思います。私は長年このことについて考えをめぐらせてきましたが、ここでは省略の根拠を、できるだけ分かりやすくご説明したいと思います。
《第9》は、ベートーヴェンの全交響曲のなかで唯一、序奏付きのスケルツォ楽章を含んでいます。冒頭8小節の序奏では、主たるオクターヴの動機のほかに、楽章の大部分を“支配”するティンパニのソロも提示されます。冒頭8小節の後には二重の線が引かれています。通常この「複縦線」は、あるセクションが終了したこと、または、あるセクションが繰り返されることを意味します。そして複縦線は、スケルツォ楽章の冒頭には記されていません。
以上のことから、ベートーヴェンは冒頭8小節のリピートを望んでいないとの意思を非常に明確に示していると私は考えています。だからこそ私は、複縦線からリピートを始めたのです。つまるところ、一つの楽章に二つの序奏は必要ありません。
4. ピッコロのトリル
終楽章の終盤には、ピッコロ奏者が一人で4小節にわたりトリルを奏でる瞬間があります。同時にオーケストラ全体が大音量で演奏しているため、スコア通りに一人のピッコロ奏者が吹くと、音域の問題も相まってトリルがほとんど聞こえません。そこで私は、マーラーにならってトリルを1オクターヴ高い音域で吹かせるだけでなく、もう一人ピッコロ奏者を加えました。私としては、この4小節間をめぐる提案にベートーヴェンが賛同してくれることをひたすら願っています。
5. 弦楽書法の書き換え
《第9》には、弦楽器群の音階のパターンが、他の楽器群のそれと一致しない箇所が幾つかあります。これはとりわけ、第1楽章と第2楽章で顕著にみとめられます。ベートーヴェンには初版を校正する機会がほとんどありませんでした。もしも腰を据えて校正にのぞんでいたら、彼自身がこれらの箇所を変更しただろうと私は考えています。
また第1楽章には、第1ヴァイオリン群と第2ヴァイオリン群が速いパッセージを交互に奏でる箇所が二つありますが、時折、第2ヴァイオリン群が第1ヴァイオリン群よりも1オクターヴ低い音域で演奏するため、これらの重要な音符が聞き取りにくくなります。そこで私は、この2箇所を純粋な交唱とみなし、両ヴァイオリン群が均等なバランスで演奏できるよう変更を加えました。
* * *
《第9》について語らなければならないことはまだまだ山ほどあります。いつか本を執筆する機会があれば、指揮者の視点から《第9》を分析する章を設けるつもりです。それまでのあいだ、この文章が皆さまにとって、私の解釈や決断を理解する一助となれば幸いです。とても興味深く思慮に富んだコメントやご質問を発信してくださった方々に御礼を申し上げます。皆さまのような熱心な音楽愛好家がいらっしゃる日本は、なんと幸運な国なのでしょう。
(訳:西 久美子)