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アルフレッド・ブレンデルさんの訃報に寄せて アルフレッド・ブレンデルさんの訃報に寄せて

©Regina Schmeken

 世界最高峰のピアニストのひとりであった、アルフレッド・ブレンデルさんが6/17にロンドンの自宅で逝去されました。94歳でした。

 ブレンデルさんは1931年、現在はチェコの地であるヴィーゼンベルク(当時はユーゴスラヴィア)生まれ。ピアノを始めたのは6歳であったものの、グラーツ、そしてウィーンへと軸足をオーストリアに移して1948年にデビュー。翌1949年にはブゾーニ国際コンクールで優勝を果たしました。その頃、20世紀を代表する大家エドヴィン・フィッシャーに師事したことは、ブレンデルさんの音楽人生に大きな影響があったものと思います。

 その後の活躍は多くの人が知る通りの目覚ましいもので、世界各地でのリサイタルや音楽祭への出演、超一流の指揮者、オーケストラとの共演などは引きも切らず、フィリップス・レーベルとの契約でリリースを続けた数多くの録音は、どれも注目すべきものがありました。
 ブレンデルさんのレパートリーはいつしか、ドイツ・オーストリア系の音楽…ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームスの作品などを中心にするものに限られていき、それは様式といい、音の透明で質朴な質感といい、まさしく“正統的”といってよいものでした。しかし一方では、絶えず持ち前の鋭敏な知性や博識を誇る頭脳をフル稼働して作曲家や楽曲への探求を続け、時に聴衆ははっと驚くような表現、曲そのものを見直したくなるような新鮮な演奏に接することになります。それも奇を衒うことなく、自然に。そういう意味で、ブレンデルさんはいつも「注目」すべきピアニストだったのです。
 J.レヴァイン指揮/シカゴ響と共演したベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第1番」や、シューマン「クライスレリアーナ」などの録音は、そうしてまさしく曲の歴史をも変えた演奏ではなかったでしょうか?

 KAJIMOTOでは、ブレンデルさんを1990年代から2000年代初めにかけて何度か招聘しました。その度、モーツァルトやベートーヴェンのソナタの深みはもちろん、ハイドンのソナタがこんなにも機知に富んだ面白いものだったのか…と思わせられたり、リストのソナタから万全の構成と技術の中、余人の演奏からは聴き取れなかったユーモアの要素を発見させられたり、シューベルトのもつ幻想性についても然り。興味の尽きない演奏会の連続だったのが、今となっては印象深く思い出されます。

 その音楽への探求心の根源である知性は、70歳代中頃の2008年、普通ならピアニストのキャリアとしてまだ早いではないか、と思われる時に潔く引退するという姿勢にも現れていたと思いますし、それは後進の指導はもちろん(現在の多くの名ピアニストが巣立ちました)、詩や本を書いたり、美術に興じたり、そうした多彩なものにつながっていきました。弊社のスタッフでも、ワインについての驚くべき深い知識を伝授されたことなども。そして、自身とはかなりタイプの違うピアニストであるピエール=ロラン・エマールの才能を高く評価し、「詩と音楽」で彼と共演したエピソードを私たちに話している中、エマールが弾いたリゲティやクルターク作品に対して「まったく彼の頭脳の回路はどうなっているのか!?ぜひ頭の中を割って見てみたいね!」などと無邪気に語っていたブレンデルさんを思い出すと、改めてその知的好奇心こそが彼の高度なピアノを支えてきたものだったのではあるまいか、と感じ入るのです。

 音楽に多くの発見をもたらし、芸術がいかに面白いものかを多くの方々に伝えてくれたアルフレッド・ブレンデルさんに、心からの感謝の意を表すとともに、ご冥福をお祈りいたします。

KAJIMOTO

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