広島交響楽団 2025
「平和の夕べ」コンサート
被爆80周年”Music for Peace”
ダニール・トリフォノフを迎えて
アルミンク&広島交響楽団 被爆80周年 2025
『平和の夕べ』コンサート」にトリフォノフが出演
TEXT BY TAKUO IKEDA
PHOTO BY KAZUMASA HARADA KENICHI KUROSAKI
1945年(昭和20年)8月6日、広島市に人類史上初の原子爆弾がアメリカ軍によって投下された。3日後には長崎市も被爆、8月15日の太平洋戦争(1941年12月8日開戦)終結=敗戦に至った。原爆投下は多くの民間人を巻き込み、後遺症や風評被害も含めて甚大かつ長期の被害をもたらした非人道的な行為であり、いかなる理由からも正当化できない。かつて広島市の中心部だった中島町は「原爆ドーム」(旧広島県産業奨励館の廃墟)を遺して消滅。現在は平和記念公園として整備され、南端の平和記念資料館には世界から数多くの旅人が訪れ、原爆の悲劇を学び、平和への誓いを新たにする。

広島交響楽団(広響)は復興を遂げつつあった広島の街に1963年、広島市民交響楽団として誕生、1972年にプロ化した。1984年に渡邉暁雄を音楽監督に招いて以降飛躍期に入り高関健、田中良和、十束尚宏、秋山和慶、下野竜也らを経て2024年4月、ウィーン人クリスティアン・アルミンクが新たな音楽監督に就いた。広島市出身の作曲家で広響コンポーザー・イン・レジデンスをつとめる細川俊夫、「平和音楽大使」の称号を持つピアニストのマルタ・アルゲリッチとも深い結びつきがある。アルミンクは2017年から盟友下野との縁で広響首席客演指揮者を務めており、監督就任記念に指揮したR・シュトラウス「アルプス交響曲」のライヴ盤(2024年4月14日、福山市・リーデンローズ大ホールで収録)でも、息の合った演奏を繰り広げている。
広響は毎年8月6日前後に「平和の夕べ」コンサートを開いてきたが、被爆80周年の2025年は8月5日の広島・広島文化学園HBGホールだけでなく、7日の大阪・ザ・シンフォニーホール、8日の東京・東京オペラシティコンサートホールの3公演に拡大。アルミンクは天上の楽園への「大いなる喜びへの賛歌」を終楽章に置くマーラーの「交響曲第4番」(ソプラノ独唱=石橋栄実)に戦争犠牲者への祈り、平和への願いを託す。
前半には当初、ポルトガルのベテラン(81歳)ピアニストのマリア・ジョアン・ピリスが独奏するベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」を予定していたが、ピリスは今年6月に軽度の脳卒中に見舞われ演奏活動を一時休止。代わってロシア人ヴィルトゥオーゾ(名手)のダニール・トリフォノフ(34歳)が出演する。リサイタルや音楽祭では頻繁に来日するのに、トリフォノフが日本のオーケストラと協奏曲を演奏するのは8年ぶりという。曲目もラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」に変わるが、これはこれで、なかなか意味深長な選曲だ。
作曲者セルゲイ・ラフマニノフ(1873―1943)は帝政末期のロシアに生まれ、最初はピアノのヴィルトゥオーゾ、次いでオペラ指揮者として頭角を現したが、次第に作曲の比重を高めていく。しかし「交響曲第1番」の初演(1897)失敗でスランプに陥り、催眠療法にも頼りながらの再起後、最初に放った傑作が「ピアノ協奏曲第2番」だった。20世紀最初の年、1901年に自身の独奏による全曲初演を成功させた。ロシア革命翌年の1918年以降はアメリカに本拠を移し、再びピアニストの活動がメインとなった。

トリフォノフも2009年にアメリカへ渡り、クリーヴランド音楽院でアルメニア出身のセルゲイ・ババヤンに師事。2010年のショパン国際コンクール(ワルシャワ)3位を経て2011年には1か月足らずの間にチャイコフスキー国際(モスクワ)、ルービンシュタイン国際(テルアビブ)の両コンクールに優勝し世界を驚かせた。その後ニューヨークに本拠を移し、現在は北米と南米で家族との時間を過ごしている。最新盤「マイ・アメリカン・ストーリー〜ノース」(ドイツ・グラモフォン=DG:ユニバーサル ミュージック)の最後のトラックはジョン・ケージの歴史的問題作「4分33秒」。日本でのアンコールではピアノの前で微動だにせず沈黙を保ったが、ディスクにはコロンバスサークルからセントラルパークまでの同時間の歩行中に聴こえる雑踏の数々を収録。もはや筋金入りのニューヨーカーと思える。2015〜18年にはラフマニノフのピアノと管弦楽のための作品全集をヤニック・ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団とDGに録音。フィラデルフィア管は1929年、ラフマニノフ自身の独奏とレオポルド・ストコフスキーの指揮で「ピアノ協奏曲第2番」の世界初録音(RCA→ソニーミュージック)を実現したオーケストラだ。
そして、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」における作曲者とトリフォノフの演奏には、時代を超えた共通点が存在する。同時代の作曲家たちとの比較において、絶えず「時代遅れのロマンティスト」の烙印を押されてきたラフマニノフだが、自作自演の辛口で颯爽とした独奏には明らかにストラヴィンスキー、プロコフィエフ、さらにヒンデミット、ラヴェルらと通じるモダニストの感触がある。後のピアニストの多くが示したベタベタの感傷性はかけらもない。トリフォノフの演奏解釈もモダニズムに基盤を置いた「超辛口」、颯爽とした精神をラフマニノフと共有する。作曲者自身の精神崩壊からの再生を広島奇跡の復興に重ね合わせた時、トリフォノフが被爆80周年にこの曲を弾く意義の大きさに気づくはずだ。