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ミュンヘン・フィル
現地レポート&インタビュー

現地レポート&インタビュー
ミュンヘンフィルの現在を聴く

TEXT BY MASATO NAKAMURA
PHOTOGRAPHS BY TOBIAS HASE


ミュンヘン中央駅から地下鉄に乗って数駅、ブルーダーミューレンシュトラーセが最寄り駅だ。ベルリンからやって来た身には、街並みがはるかに清潔なのを感じる(要は落書きがほとんどない)。2026年3月12日の夕刻、空は澄んでいながらまだ寒さが漂う通りを行くと、イザールフィルハーモニーが見えてきた。2021年秋からミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団が「代替拠点」にしているホールだ。もともと工業用施設として建てられたホールをホワイエに使っているので、天井は見上げるほど高い。

ドアを開けると、そこが併設して造られたコンサートホール。「仮設」ながらもかの豊田泰久が音響設計をしただけに、響きに優れたホールとして定評を得ている。舞台の上で吹いていたひとりの奏者が降りてきて、人なつこい笑顔で迎えてくれた。ソロ・フルート奏者のミヒャエル・マルティン・コフラー。初対面でありながら、ずっと憧れだった人に会うような懐かしい気持ちだった。
1993年4月30日、当時高校生だった筆者はセルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルを東京芸術劇場で聴いたのである。後半のベートーヴェンの《田園》交響曲がチェリ独自のテンポで滔々と流れるなか、ホールを包み込むような笛の音に私は釘付けとなった。プログラム冊子をめくると、コフラーという若手奏者だと知った。奇しくもその夜が、チェリビダッケの日本での最終公演となったのである。


そのコフラーが目の前にいる。音楽とはいいものである。30年以上も昔、2時間のコンサートを共有しただけなのに、この話をしただけで、現代屈指の名フルート奏者とのあいだに親密な空気が生まれた。当時のことを少し振り返っていただく。

「私にとっては非常にエキサイティングな時期でした。恵まれていたのは、チェリビダッケがリハーサルに多くの時間を費やしてくれたこと。今日のオーケストラの技術的なレベルは当時と比べておそらく2倍は高いでしょうが、リハーサル時間ははるかに少なくなりました。当時の演奏が素晴らしかったと言われるのは、それは私たちが作品を細部まで知り尽くしていたからです。120人の大編成で室内楽を演奏しているような感覚でした。全員がいつ、どのような意味で演奏すべきかを把握していましたからね」


この夜、ラハフ・シャニ指揮で演奏されるブラームスの交響曲第4番は、終楽章のパッサカリアでの長大なフルート・ソロが名高い。5月の来日公演でもこの曲を吹く予定というコフラーが、こんなエピソードを話してくれた。

1988年10月に、初めてチェリビダッケとこの曲を演奏した時のことです。本番の半年も前の4月に、彼が私を呼び出して、(ミュンヘンの)ガスタイクのリハーサル室で第4楽章のフルート・ソロだけを2人きりで練習したんです。彼には若い団員を育てる時間と労力を惜しまない姿勢があり、どう演奏すべきかを時間をかけて説明してくれました。まだ経験のない私に、真剣に向き合ってくれたのです」

コフラーは決して過去を懐かしんでいるだけではない。

「現代の音楽家は高い教育を受けており、どう演奏すべきか分かっています。昔と今を比べるのは少し不公平かもしれません」とも語る。けれども、まず「効果」が求められ、時間をかけて芸術や文化を育むことがますます難しくなりつつある現代において、ザルツブルク・モーツァルテウムで教授職も務めるコフラーが語る言葉には重みがあった。

コフラーが入団した1987年を仮に「古き良き時代」と呼ぶとして、ヴァイオリンの青木尚佳がコンサートマスターのオーディションに合格した2021年は「危機の時代」と呼んで差し支えなかろう。パンデミックによりほとんどのコンサートが中止となり、無観客のストリーミング配信が行われていた時期だからだ。名教師アナ・チュマチェンコのもとで学んだ青木だが、コフラー同様、プロのオーケストラのポジションに就くのはミュンヘン・フィルが初めて。しかも、女性コンサートマスターは同団にそれまでいなかった。採用するか否かで団員が悩むなか、「とりあえず(試用期間を)やらせてみればいいじゃないか」と後押ししてくれたのが、当時の首席指揮者ヴァレリー・ゲルギエフだったという。

周知のとおり、翌22年2月のロシアによるウクライナ侵攻の影響で、ウラジーミル・プーチンと近しいとされるゲルギエフは突然解任された。青木が試用期間を終えて正規団員になったのは、その直後のことである。


ゲルギエフさんと共演した回数は両手で数えられるほどでしたが、現在のミュンヘン・フィルの音を作り上げた方の指揮で演奏できたのは特別な時間でした。これから関係を築いていこうという矢先の出来事で、お礼も何も言えないまま終わってしまったことに、今でも残念な思いはあります

ドイツのオーケストラ、ロシア人の指揮者、日本人のコンサートマスター……。文化とは国境を超えてつながるものなのに、戦争が突然それを分断し、敵か味方かに分けてしまう。ミュンヘン・フィルへの入団早々、青木はこの時代を象徴するような文化の悲劇を体験することになったのである。

イスラエル出身の若手指揮者、ラハフ・シャニがミュンヘン・フィルにデビューしたのは、翌2023年の9月だった。シェフが不在という状況のなか、ベルリオーズ「幻想交響曲」を指揮したシャニに、青木は強い印象を受けたという。


「若いのに非常に堂々としていて、自分のやりたい音楽を明確に示しつつも、オーケストラを信頼して任せてくれる。そこがとてもやりやすかった。そのときツアーでご一緒して、団員の雰囲気もよかったのを覚えています」

開演前の慌ただしい時間帯だったが、コフラー、青木というミュンヘン・フィルの新旧を代表するメンバーに話を聞けて気持ちが昂るなか、コンサートが開演した。

前半のベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番では、ルドルフ・ブッフビンダーが老練かつ自在なソロを披露した。自身卓越したピアニストであるシャニのサポートも万全で、アダージョの最後の静けさと、フィナーレでのコケティッシュな躍動との対比はとりわけ見事だった。

筆者はシャニの指揮で、ベルリン・フィル、ロッテルダム・フィル、イスラエル・フィルというさまざまなオーケストラの演奏を聴いてきたが、印象はほとんど変わらない。つまり、どの楽団相手でも求心力のある棒を示し、音楽を太い流れのなかで表現できる人だということだ。ブラームスの「第4交響曲」のような小細工の効かない作品では、彼の音楽性のよさが一層生きる。生身の人の自然な呼吸のように始まる冒頭から、閃光のような鋭さでエネルギーが放出される終楽章のコーダまで、あっという間だった。

カーテンコールでは、花束をもらったシャニが、それを持って真っ先にコフラーのもとに駆け寄る。ミュンヘン・フィルの歴史を濃縮したような万感のフルート・ソロを聴かせた彼に花が届けられると、満席のホールがどっと湧いた。この日、ベテランのコンサートマスター、ジュリアン・シェブリンの隣で弾いていた青木も笑顔を見せていた。2人が開演前に語っていた言葉を引用しよう。


「9月の首席指揮者就任を前に、とても快適な雰囲気のリハーサル環境ができています。ラハフ・シャニは常に準備万端で、作品をよく知っている。耳も非常に良く、優れたピアニストでもあります。皆が大きな期待を寄せており、私たちのオーケストラにとっても素晴らしいステップアップになるでしょう」(コフラー)

「ミュンヘン・フィルはとてもインターナショナルなオケで、私を含めて日本人も6人在籍しています。多国籍でありながらも、ミュンヘン・フィルが長年培ってきた理想の音、つまり『柔らかく、決して鋭くなりすぎない音』への共通認識がしっかり根付いていることが大きな強みだと思います。ラハフと私は歳が近く、忌憚なくコミュニケーションが取れる関係にあります。本質を見失うことなく、これから一緒に新しいものを作っていきたいです」(青木)

初めて生で聴いたミュンヘン・フィルの音への遠い記憶を愛おしみながら、シャニとの新しい時代の幕開けを楽しみに待ちたいと思う。