SIR ANDRÁS SCHIFF
CAPPELLA ANDREA BARCA
サー・アンドラーシュ・シフ
カペラ・アンドレア・バルカ
FAREWELL IN JAPAN
世界で最も年季を積んだ〝若者オーケストラ〟最後の日本ツアー
サー・アンドラーシュ・シフ
カペラ・アンドレア・バルカとの夕映えを語る
TEXT BY TAKUO IKEDA
PHOTOGRAPHS BY YURI MANABE, TATSUYA SHIRAISHI, TAICHI NISHIMAKI
2024年12月12日、東京都内のホテル。ピアニストのサー・アンドラーシュ・シフが自身のオーケストラ「カペラ・アンドレア・バルカ」(以下CABと表記)との最後の日本ツアー(2025年3月)に向けた記者会見に、元気な姿を現した。9月に脚を骨折、「当面の活動を中止」と伝えられたが、すっかり回復した様子に全員が安堵。翌13日から21日まで、全国7か所を回ったソロ・リサイタルでも圧巻の演奏を披露した。

会見では先ずシフが2019年以来2度目、そして最後となるCAB日本ツアーの背景について語った。
私のオーケストラが日本にカムバックするのは名誉と同時にスリルであり、フェアウエル(お別れ)の寂しさもいく分か、つきまといます。CABは今や世界で最も歳をとったユース(青少年)オーケストラで、何人かのメンバーは80歳を超えています。私たちは元々、偉大な弦楽器奏者で指揮者のシャーンドル・ヴェーグ(1912―1997)の影響の下に出発しました。まだ20世紀、ヴェーグが1997年に設立した合奏団、カメラータ・アカデミカ・ザルツブルクとザルツブルク・モーツァルト週間で何度も共演し、モーツァルト『ピアノ協奏曲』全曲を録音(デッカ=ユニバーサル)できたことは、私の最も幸せな思い出の1つです。ヴェーグが1997年1月に亡くなると、美しい思い出を大切にしたいとの思いもあって、モーツァルトの協奏曲を他の指揮者と共演する気が失せてしまいました。『ならば何故、自分のオーケストラを組織しないのか?』とモーツァルテウム財団の幹部に背中を押され、1999年にCABを立ち上げたのです。私の妻の塩川悠子をはじめ弦の主要メンバーはカメラータ・アカデミカに参加、ヴェーグの精神と流儀を熟知していましたし、管楽器も彼らの友人というファミリーでした。

シフの話は、四半世紀にわたってファミリーであり続けたCABとの活動に「終止符を打つ」と決めた背景に進む
一般のオーケストラとは異なり、若い世代への交替を考えないのが私のスタイルです。解散までの向こう2年間、私たちはたくさんの美しい思い出を振り返りつつ、さらに進歩を続けます。活動は毎年3回、ザルツブルク・モーツァルト週間とイタリア・ヴィチェンツァのオリンピコ劇場で毎年4〜5月に主宰するオマッジョ・ア・パッラーディオ音楽祭、そして日本など外国へのツアーです。滅多にやらないのがミソ。久しぶりに集まって旧友との再会を喜ぶようにアンサンブルに興じる、まさにファミリーです。
スピーチの最後は2025年3月の日本ツアーへの期待
日本は老人に敬意を払う、世界でも稀な国です。『お前は歳だから退場し、若者に場を与えろ』と、厄介払いをするヨーロッパの悪習がここにはありません。芸術や科学の領域では知識や経験の熟成も大切です。今回のツアーでは、私たちのチームが四半世紀にわたって極めてきた成果を皆さんの前で披露します。CABと最初の来日もKAJIMOTOのアレンジでしたが、私たちの脳裏には今も『夢の旅(ドリームツアー)』と記憶されるほど、素晴らしい経験でした。活動を休止する前にもう1度、日本の聴衆の皆さんとお目にかかれる機会を授かったことに感謝し、とても楽しみにしています。

──質疑応答が始まった。冒頭のスピーチと重複する箇所もあるが、「ダメ押し」の意味で敢えてそのまま、記載する。1問目は共同通信社の「このタイミングでやめる理由」
すぐにやめるわけにもいきませんから(笑)段階的に進める必要がありました。解散の理由は『若い人を入れたくないから』です。もちろん若い世代も大好きですが、私とは別の世界に生きており、ここに入っても快適ではないでしょう。世界がとても難しい局面にさしかかるなか、自分はノスタルジックな人間でありたいと考えています。
──共同通信社の補足質問は「シフさんは、どのような世界をつくり上げたのですか?」
鍵盤楽器と室内楽が一体の世界です。CABの1人1人は弦楽四重奏団や室内アンサンブルに所属する室内楽の名手であり、純然たるオーケストラの楽員はいません。お互いを聴き合い、尊重する室内楽は最も繊細で親密な音楽づくりの現場です。今日の交響楽団が指揮者への依存を強め、楽員が自分のパートしか聴かない傾向に私はとても懐疑的です。近代の音楽史で進行した指揮者の神格化、自らは1音も発しない音楽家を『マエストロ』と崇拝するのは、ただただリディキュラス(ばかばかしい)です。CABにおける私は指揮者、独裁者ではありません。本質は室内楽奏者であり、音楽のより深いところに入る好奇心の結果として指揮も兼ねるのです。ただ室内楽の基本がデモクラシー(民主制)にあったとしても、リーダーシップは必要でしょう。モーツァルトの交響曲を演奏する際、100人の楽員を対象にレファレンダム(国民投票)を実施したら100通りの答えが出て、かえって混乱してしまいます。CABではとにかく皆で話し合い、最後に私が1つにまとめる態勢です。もちろん、口数の少ない方が上手くいきます。
──次は読売新聞社で、先ず日本ツアーの曲目について。「J.S.バッハのピアノ協奏曲を特集する背景」を尋ねた
バッハが私の最も好きな作曲家であることに、疑いはありません。CABとのツアーは、バッハの協奏曲6曲を一気に演奏する上で絶好の機会だと思いました。バッハ自身がチェンバロのソロを担い、ライプツィヒのカフェ・ツィンマーマンで小編成のアンサンブルと演奏したのに匹敵する、6曲の完璧な再現を目指します。
私たちは本拠地ヴィチェンツァの『世界で最も美しい劇場』と呼ばれるテアトロ・オリンピコで毎年、演奏してきました。アンドレア・パッラーディオ(1508―1580)が1580年に設計した遺作で、ギリシャの野外劇場を除けば世界最古の劇場建築とされています。CABの活動の終着点も当然、ここです。私たちはバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどをたくさん演奏してきました。最後はベートーヴェン、日本の皆さんには破格の有名曲ながら、ヨーロッパでは滅多に演奏されない『交響曲第9番《合唱付き》』です。ヴィチェンツァの素晴らしいアマチュア合唱団と共演します。

──「具体的な日付は?」と、日本経済新聞社から確認の質問
音楽祭はいつも5月第1週の日曜日に終わるので2026年5月6日だと思います。
バッハの話題が出たところで、今度はオンライン参加の私が質問した。モーツァルトにおけるヴェーグと同じように、若き日のシフのバッハ解釈に大きな影響を与えた英国人音楽家ジョージ・マルコム(1917―1997)の思い出を聞き出そうと試みた。
それは、それは多くを授かりました!彼はオルガン奏者、チェンバロ奏者、ピアニスト、合唱指揮者、オーケストラ指揮者…と特定の分野に縛られず、何でもこなす素晴らしい音楽家で、ルネサンス人のようでした。私は先ず、その姿勢を学びました。出会いは私が12歳の頃。マルコムがブダペストをチェンバロ・リサイタルで訪れた際、誰かが私を譜めくりに推薦したのが始まりです。どうやら気に入ってくださり、正式な弟子という訳ではありませんでしたが、以後はブダペストだけでなく、私がロンドンの親戚を訪ねる度に薫陶を受けました。彼は私を子ども扱いせずに対等の話し相手として向き合い、最初はバッハへの膨大な知識と愛情を伝え、さらには当時のハンガリーでは知り得なかった15〜17世紀英国のヴァージナル音楽への扉を開いて下さったのです。彼は『バッハをチェンバロではなくモダン(現代)ピアノで弾いても構わないけど、様式感は大切だよ』と言い、ノンペダル奏法を提案しました。『多くのピアニストの過剰なペダリングは〝病気〟です。特にソステヌート・ペダル(現代のグランドピアノに3つあるペダルの中央に位置、任意の音だけを開放して長く伸ばせる機能を持つ)は、様々な細部を犠牲にします。ペダルを控えれば、手だけにすべての注意が向かい、ソノリティーも音色も鮮明になるはず。ペダルはピアノ演奏の大敵です』と教わりました。
さらに、指揮へのアイデアも「マルコムに負うところが大きい」という
マルコムは全くもって、偉大な指揮者でした。最初のリハーサルの段階でボウイング(弓遣い)、アーティキュレーションなど、すべての奏者のマテリアル(パート譜)を準備していたのです。弦楽器奏者に向かって『あなたたちの選択は不幸にも、上げ弓か下げ弓の2つしかない』と言い放ち、ボウイング決定に咲かれる無駄な時間を節約しました。その教えはCABでモーツァルトの協奏曲を弾き振りする際にも受け継がれ、私が最初にマテリアルを整え、メンバーとキャラクターや表現手段を話し合いながら進めています。

──産経新聞社は「若い人にできない音楽とは何ですか、CABの平均年齢は?」と質問
あ、少しだけ若い奏者もいますよ。私に細かい数字はわかりませんが、平均年齢は60〜65歳でしょう。音楽家の成熟はワインの熟成と似ています。2年や3年で、コクのあるワインはできません。私のレパートリーには50年間弾いている作品もありますが、アイデアは1か所にとどまりません。時間が私を変えた部分もあるだろうし、作曲家への親近感も50年前とは違います。時間をせかすことはできず、時間には時間のテンポがあるのです。多くの若い奏者の才能は認めますが、まだ音符を弾いている段階であり、ベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタの深いところを探り当てるまでの経験値が足りません。私は50歳になるまで、ベートーヴェンのソナタ全曲演奏会を封印していました。近年はAI(人工知能)の発達が目覚ましいとはいえ、バッハの《フーガの技法》やシェイクスピアの戯曲、レンブラントの絵画の次元までの創作はまだ無理だと思います。
──レコード芸術オンライン(音楽之友社)は「今後の録音プロジェクト」を質問
CABとはバッハの協奏曲集の映像をスイス・チューリヒのトーンハレで収録済みですが、どのレーベルから発売するかは未定です。2019年のドリームツアーの期間中、東京でNHKが制作したベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲(第1〜5番)の映像も買い取りたいのですが、NHKに販売の意向がなく、難しい…。一部はYouTubeで観られるものの数分に1度のタイミングでコマーシャル映像が入り、演奏がブツ切りになるのは何ともおぞましい(苦笑)。
──最後に音楽評論家の武田奈菜子さんが、骨折の予後について訊いた
あれから3か月経ちましたが、幸いなことに手術をせずに済みました。休んだ期間は練習に励み(骨折した)右脚は使わないように気をつけました。もう1度、言います。今の私は『全てのバッハをノンペダルで弾くべきだ』といったドグマを振りかざしたりはしませんが、ペダルがポリフォニーの明晰さを犠牲にしているのは明らかです!
ペダル乱用を避けるのが右脚の養生にも役立ったと言わんばかりの返答に、再びマルコムの影あり!シフは締めくくりにもう一度、CABとの音楽づくりの魅力を語った
音楽は目に見えない芸術です。私にとっても複雑で奥が深いものですが、根本には絶えず喜びがあります。音楽家になることはjob(お仕事)ではなく、幸運なprivilege(特権)です。今の世界を見渡しても、全員が自分のやっていることを愛しているわけではありません。オーケストラを目指す若者の目はキラキラしていますが、その輝きは入団して数か月後も経たないうちに失せてしまいます。幸いにもCABは『一緒に音楽をつくる喜び』を分かち合い、いまだ輝きを失わない最高齢の〝若者〟チームです。はじける泡の消えないうちに活動を終えるのは、私たちに相応しい選択だと思います。





