YU KOSUGE
Special Interview
小菅優 インタビュー
ソナタ・シリーズ 最終回〈黄昏〉にむけて
《前半》
©Takehiro Goto
形式があるからこそ、
そこに凝縮されるものも大きい。
ソナタ・シリーズ 最終回〈黄昏〉にむけて
TEXT BY TAKEHIRO YAMANO
PHOTOGRAPHS BY SHUN ITABA
ピアノが優しく(ときに激しく!)彫り磨いてゆく美しい陰翳は、〈ソナタ〉というかたちに驚くほど豊かな小宇宙を広げてみせる。──充実をいよいよ深めるピアニスト・小菅優が、〈ピアノ・ソナタ〉の多彩な魅力をユニークな視点で見直してみせるプロジェクトが、遂に最終回を迎えます。
各回ごとに「開花」「夢・幻想」などテーマを定めて、それに合わせた選曲でくり広げられてきた本シリーズ、最後のテーマは「黄昏」です。青かった空が沈みゆく陽の色に染められて、明るい橙色から刻々と夜の色へ‥‥そんなたそがれの光景は、人生の暮れ時にさしかかった作曲家たちの想いと重なり、素晴らしいソナタを生むこともあったでしょう。あるいは、(それとは知らず)生涯の早すぎる黄昏を迎えていた作曲家の、はからずも最後になってしまったソナタには、天才ならではの不思議な「別れの予感」が響いているかもしれません。
黄昏、をテーマに選ばれた3つのピアノ・ソナタ。小菅優さんにお話を伺いました。

◆最終回は〈黄昏〉のソナタ
──素晴らしい演奏を聴かせていただいたシリーズも、いよいよ最終回ですね。
小菅:「始まってみたら、意外とあっという間に来てしまいました。あらためて、ソナタって(弾くのは)難しいなぁと思います。形式があるからこそ、そこに凝縮されるものも大きい。特に最終回の今回は〈ソナタ中のソナタ〉という感じの作品が並んでいますから、弾くのは大変(笑)。
──作曲家が迎えた人生の黄昏‥‥ということで、モーツァルトにウェーバー、シューベルトと3人の作曲家が書いた最後のソナタを選ばれたわけですが、3人とも30歳代で亡くなってしまった人ですね。その早すぎる晩年に、どれくらい〈死〉を意識していたのかは分かりませんが、音楽には何故か、予感めいたものが響いている気もします。
小菅:「どの曲も、どこか不気味な要素を含んでいますね(笑)。ただ寂しいとか悲しいというのではなくて、どこかに〈死〉が見えているような、現実味のある恐怖というか‥‥。それでいてどこか悟ったような優しさもある。そこには、人生経験を重ねてきただけではなく、様々な作曲の経験を積んできた人にしか書けないもの、もあると思います。」

◆待ち焦がれても訪れない春のように──モーツァルト最後のピアノ・ソナタ
──リサイタルの冒頭には、モーツァルトが亡くなる2年前に作曲した最後のピアノ・ソナタ、第18番 ニ長調 K.576(1789年)を弾かれます。
小菅:「モーツァルト後期のヴァイオリン・ソナタやピアノ三重奏曲を聴いても、やはりどこか不気味。あるいはたとえば、ディヴェルティメント K.563にある信じられないほどの美しさには、待ち焦がれているけれど訪れない春を待つようなものを感じます。このニ長調ソナタは、そうした晩年の作品の中でも特に完成度が高い。ポリフォニー[対位法。複数の声部が異なる動きで重なる]が優れていますし、イ長調で書かれた第2楽章も‥‥このイ長調というのはモーツァルトにとって特別な調性ですが、途中で出て来る嬰へ短調がまた、淋しさの中に赦しを求めているようでもあり、これでいいのか‥‥と求めて突き詰めていってもたどり着けないもの、も感じますし、単なる美しさではないんです」
──〈憧れ〉ともまた異なるし〈諦め〉でもない、美しいもどかしさ、みたいなものも感じます。
小菅:「シンプルなのに、こんなにも深い。モーツァルトの作品は最初から凝縮されてはいますが、この曲にも、余計なところがまったくない。聴くのはいいけど弾くのは難しい(笑)。最近、イングリット・ヘブラー[1929~2023]の録音が大好きで。特に何かしているということでもないのに、すべてを語っているような演奏をしているんですよね」
──シンプルな音楽にもの凄い深みのある作品で‥‥。モーツァルトが亡くなる2年前の曲ですから、最晩年というわけではないですが。
小菅「でも、モーツァルトの〈晩年〉って長いと思うんです。ケッヘル番号で500番台に入った途中あたりから、もう音楽がどんどん不気味なほうへ寄っていくように思います」
──わかります。今回のこの最後のソナタもまさに、いろいろなものを見てしまった人が突き抜けた先の、黄昏のソナタ。
小菅「たとえばシューベルトには、もう少し生きて書いてほしかった、と思うんですけど、モーツァルトの場合、ここで完成」
──そういえば、小菅さんはこれまで、モーツァルトのピアノ・ソナタは特定の数曲しか弾いてこられなかったとか。
小菅:「私はモーツァルト作品ではピアノ協奏曲をよく弾くのですが、室内楽曲にもあるアンサンブルの愉しさ、人との対話の中にある即興的な愉しさなどを、ピアノ・ソナタでは一人で表現する。これは私にとっては怖いことなんです。このソナタも、今までコンサートで弾いたことがありません。でも、このシリーズで一番の挑戦を最後に持って来たかったので、今回は自分にとって一番怖いことを演ります(笑)」

◆長く憧れてきた〈黄昏〉の深み──ウェーバー最後のピアノ・ソナタ
──続いて、ウェーバーのピアノ・ソナタ 第4番 ホ短調 作品70(1822年)です。ドイツの作曲家ウェーバーは、モーツァルトとも親戚にあたる人ですね[父の兄が、モーツァルトの妻の父]。ピアノ曲では《舞踏への勧誘》など有名な作品もあるなか、彼のソナタは演奏会で聴かれる機会もあまりないのでは。
小菅:「この曲は、尊敬するレオン・フライシャー氏[1928~2020]が若い頃に弾いた録音を何回も何回も聴いて、十代の頃からずっと憧れてきた作品なんです。ウェーバーのピアノ曲でも、この曲は晩年の特別な深さを持っている‥‥と最近あらためて思い直して、今回の〈黄昏〉というテーマにもふさわしいのではと考えました」
──聴いてみると、コンサート後半に弾かれるシューベルトの作品とも、自然に繋がるような曲だとも感じますね。
小菅:「そうなのです。実際にシューベルトからの影響もあったと思いますし、もちろんモーツァルトからの影響もありますから、今回の3人をあわせて聴いていただくと、統一性も見えてくるはずです」
──ウェーバーが4曲残したピアノ・ソナタのうち、最後のこの第4番は、有名なオペラ《魔弾の射手》が大成功を収めて名声の絶頂にあった36歳頃の作品ですが、実は健康を害していたりと、彼の人生の残りはもう数年しかありません。
小菅:「オペラの大成功の裏では失敗も怒りもあり、ウェーバーの葛藤がこのソナタにも見えますよね。第1楽章から、ここにはもう微かな希望しかない。歌のリリシズム[抒情性]もありますけど、すべてがメランコリックに落ちてゆく。
──古典的なかたちのなかに、そうした感情の揺らめきが美しくて、本当に良い曲ですよね。
小菅:「第3楽章だけは慰めを感じる音楽ですが、それ以外は本当に熱い曲なんです。第2楽章にも怒りを感じますし、最後も怖いんですよ。終楽章がタランテラ[イタリア起源の速い舞曲]で、踊って疲れ切って死んでしまうという、毒の回った感じがする」
〈後半〉につづく