ORCHESTRE
DE LA SUISSE
ROMANDE

ジョナサン・ノット指揮
スイス・ロマンド管弦楽団
チェロ:上野通明 
現地レポート

ジョナサン・ノット指揮 スイス・ロマンド管弦楽団
チェロ:上野通明
ラ・ショー・ド・フォンでの公演を聴いて


TEXT BY SHINOBU NAKA
PHOTOGRAPHS BY RZN TORBEY


 5月7日、ラ・ショー・ド・フォンの街は、数日前の「夏日」を過去に追いやり、秋が来たかのような錯覚を覚えさせた。それは丁度、今宵のソリスト上野通明がジュネーヴ国際音楽コンクールのチェロ部門で優勝した2021年の秋を、より鮮明に思い出させた。そのコンクールのオーケストラを担うスイス・ロマンド管弦楽団と3年半ぶりの共演となる今回、本拠地ジュネーヴでの2回の練習を経て、彼らはバスで2時間弱離れたラ・ショー・ド・フォンまで遠征しで来たのだ。

会場の音楽堂は1955年に開館した多目的ホールで、視覚的にこじんまりしており、1187席とは思えない。舞台上に所狭しと並んだオーケストラの中に上野が入っていくと、ジョナサン・ノットが並んでお辞儀をする場所すらない。

ショスタコーヴィチ「チェロ協奏曲第1番」でチェロが第一主題を奏でると、その視覚から予想された通りのダイレクトで生々しい音響だ。オーケストラと簡単に混ざり合わず、一人ぼっちのチェロが控えめに歌う。しかし数度の効果的なクレッシェンドを経て、段々主張し始め、ホルンが颯爽と登場する頃にはドラマティックな音質が得られていた。始終美しい倍音を持つ上野のチェロだが、全く違った色を何色も持つ。深く温かい男声的な音、半ばヒステリックに苦境を訴える女声の嘆き、非情に刻まれる運命の足音、無垢を装って皮肉に笑う道化師のような音、それらの描写を聞き逃さないように無心に追っているうち、第1楽章は終わった。

Michiaki Ueno, cello
多くの国際コンクールでの優勝、入賞を経て、2021年ジュネーヴ国際コンクールで日本人初の優勝。あわせて3つの特別賞も受賞した。P.ウィスペルウェイに招かれ19歳で渡独した後、エリザベート王妃音楽院でG.ホフマンに師事し、アーティストディプロマを取得。これまで国内の主要楽団はもとより、ロシア国立響、スイス・ロマンド管、KBS響などと共演し、リサイタルでも意欲的なプログラミングと溢れ出る音楽性が聴衆を魅了する。日本製鉄音楽賞〈フレッシュアーティスト賞〉、ボンのベートーヴェン・リング賞、出光音楽賞、ホテルオークラ音楽賞、齋藤秀雄メモリアル基金賞、文化庁長官表彰(国際芸術部門)を受賞。
楽器は、1730年製A.Stradivarius “Feuermann”(日本音楽財団)、1758年製P.A.Testore(宗次コレクション)、弓はF.Tourte(住野泰士コレクション)をそれぞれ貸与されている。

次楽章が始まるまでの「間」で、それが特別なものになると予感できた。遠くを見つめる上野の視線の先には、どんな想いがあったのだろうか。その感情を受け取り、盛り上げるようなオーケストラ、そしてホルンの「泣き」に導かれて聞こえてきた上野のチェロはまさしくエレジーだ。これは確かに人生の哀惜を知っている者の悲歌だ。しかし平和な時代に生まれた若者に、ショスタコーヴィチが舐めた苦渋が解るのだろうか。上野のチェロが歌えば歌うほど、悲壮感は増していく。そこに寄り添うオーケストラの音も繊細で、透明であればあるほど、寂寥感に溢れる。この時初めてホールの音響の効果に感謝した。残響がなく、生身の感情だけが受け取れるこの環境は、上野のような真の表現力を持っている奏者を際立たせるのだ。終演後、「ピュアな音が届く良い音響のホールで、弾いていて気持ちがいい」と語る上野の言葉で、それが錯覚でないと解った。

フラジオレットを用いる奏法の部分ではとうとう鳥肌が立った。これはもう、共産圏で犠牲になった全ての魂が集まって来て一緒に歌っているのではないか、と思った次の瞬間、上野のチェロの運命的な低音が皮肉に響き、現実に引き戻された。

第3楽章に入ると、もう誰も息をしていないのではないかと思うほど皆が固唾を飲む中、上野の独壇場となった。それは深い内省と共に、誇張を排した落ち着きをもって展開され、様々な泣き声が聞こえ、それぞれのドラマが空虚に再現される。何かに憑かれたような様子で弾く上野のチェロに引き摺り回されながら、一晩中でも聴いていたい、と一瞬望んだ時、以前読んだ一文を思い出した。ショスタコーヴィチがこの曲を献呈したロストロポーヴィチのカーネギーホール公演を聴いた人が、「そこにいた聴衆全員が永遠に終わらない事を祈っていた」と感じたという追想だ。「そんな大袈裟な」と思いながら読んだ記憶があるが、まさしくこの晩、似た感情に突き動かされた。それでもオーケストラが加わった第4楽章はあまりにも短く感じられ、残念ながら終わってしまった。

聴衆の拍手は収まることがなく、上野はカザルス版「鳥の歌」でアンコールに応えた。上野が幼少期を過ごしたカタルーニャ地方の古い祝歌というが、ここにも人間の哀感が溢れていた。この日はドイツが降伏した日だと聞き、選んだというが、ショスタコーヴィチもカザルスも自国の独裁者に苦しめられた人生に共通点があり、その抑圧された2人の苦しみが上野のチェロに慰められているような気がした。


後半のストラヴィンスキー《ペトルーシュカ》(1911年版)でも、引き続き異次元との境界が曖昧な世界が色鮮やかに描写された。以前にもこの楽団による同曲の演奏を聴いたが、明るく透き通った音は同じでも全く違った演劇的なアプローチだ。表現方法や音色の豊富さも限界を超える勢いで、その臨場感に、最後には指揮者が魔術師に見えた。

そんなノットは上野との共演に十分な手応えを感じたと高揚感を隠さない。「いつも平静に見える彼を、今日はクレイジーにさせる事が出来た」と無邪気に喜んでいた。上野は「練習開始時から、ノット氏がオーケストラに与えている指示で既に多くを学べた。日本ツアーでは更にクオリティの高い演奏になるはずなのでので是非聴きに来て欲しい」と穏やかに話すが、ノットの棒でクレイジーになる彼を、日本でも7月に体験できるだろう。