YU KOSUGE
Special Interview

ソナタ・シリーズ
Vol.4 「神秘・魅惑」<後半>


小菅優が音に乗せて
「神秘・魅惑」の魅力を語る 〈後半〉

TEXT BY TAKEHIRO YAMANO
PHOTOGRAPHS BY  TAKEHIRO GOTO

─リストへの挑戦–激情と詩情の天地

フランツ・リスト(1811~1886)は、19世紀を代表するヴィルトゥオーゾ・ピアニストとしても活躍した作曲家。今回のコンサートで最後に弾かれるピアノ・ソナタ ロ短調(1852~3年)は、単一楽章のなかにソナタの可能性を濃く凝縮した傑作だ。

「私は20代のはじめ頃、〔今回の東京公演の会場でもある〕紀尾井ホールでこのソナタを演奏したことがあるのですが、当時その選曲はもの凄くチャレンジングでした。とてもヴィルトゥオーゾで激しい部分と、とても抒情的な部分とがひとつに凝縮されている、そのまとめかたが当時とても難しい課題でして、その頃以降この曲を弾いていなかったんです。今回は、それ以来のリベンジとして挑戦したいと思いました」
20代で弾いた頃の小菅は、「このソナタを『ファウスト』と繋げて考える、という解釈について考えていました。たとえば‥‥[と情熱的に叩きつけられる動機を弾いて]これがファウストのテーマ。そして[同音の連打が脅しつけるような動機を弾いて]これがメフィストのテーマ。悪と善とが存在し、天があって地獄もあって、人間がそのなかで葛藤している‥‥といったストーリーとも考えられます。──でも、今の私は、そのようにプログラム的にひとつのストーリーと結びつけて考えるよりは、リストの書いたモティーフそれぞれに語られているキャラクターというものを大事にしたい、と思っています」
小菅は、作品の静かで重々しい冒頭を弾きながら、「提示部が始まると思えば、実はそうではなくて、2つのモティーフ[先の例で言うとファウスト/メフィスト]が同時に組み合わされて弾かれるところ‥‥(と激しい勢いで弾いてみせつつ)から提示部、などいろいろな説があります」と、楽曲の構造についても諸説を紹介してゆく。
そして、壮大な第2主題を弾きながら「これは、神様の権力を思わせるようなグランディオーソですね」と小菅。「これに抒情的な部分が続くのですが、実はこれ、メフィストのモティーフがとても抒情的に変身したものなんです。こういうところがリストの凄さ」
「第3楽章にあたる部分では、フーガが展開されます。」いろいろな道のりを経て、最終的には天国的なロ長調へ。──
「ソナタ・シリーズの前回は、愛や良きものの中にも悪が漂っていました。今回は悪魔、権力の世界。いま、世の中でも本当に悪いことがたくさん起きている中で、それでもやはり良きものはある、善はある、希望はある、そういうものをお客さまにも見出していただけたらなと思います」と小菅。

─藤倉大の美しい新作!–現代の感性が拓く新しい〈ソナタ〉の地平

ロ短調ソナタのエンディングを弾いた小菅は、「では、そろそろ大さんをお呼びしましょうか」と立ち上がる。
藤倉大(1977年生)は、ソロから大編成まで、ユニークな着想を卓抜に表現し尽くす作品が(聴き手はもちろん!)演奏家も刺激し続けている人気作曲家。イギリスを拠点に世界中からの委嘱に応えて、多忙な活躍を繰り広げている。
これまでも小菅優のために傑作を生んでいる藤倉、今回は小菅の提案で《ソナタ・シリーズ》のために新作を書き下ろすことになり、ピアノ・ソナタを作曲した。既にロンドンで小菅優によって世界初演されているのに続き、今回がいよいよ日本初演となる。今回の記者懇談会には、藤倉もリモートで参加してくれた。

「こんにちは!」と画面の向こうから晴れやかな大声で登場する藤倉大。
「大さんのソナタについて話し始めたのは、2022年でしたっけ?」と、まずは小菅から委嘱の経緯について。
小菅「今日も会場に来て下さっている長谷川綾子さん[藤倉の英トリニティ音大時代の同期で、これまでも《三味線協奏曲》共同委嘱など藤倉の新作に背中を推している]に、私が《ソナタ・シリーズ》を始めるというお話をしたら、長谷川さんが藤倉さんに新作を委嘱してくれることになって」
藤倉「この曲で大事なのは、長谷川さんも優さんの大ファンだってこと。僕にとってもありがたい委嘱でした」
小菅「大さんのソナタを弾いていて私が大好きなのは、イメージが最初からとてもクリアに浮かんで来るんです。大さんが、ちょうど眠りから覚めるとき、永遠にみえる地平線を想像するような感じで‥‥って書いて下さっているように始まるんです。凄くポエティックなところもあるし、凄くリズミカルなところもあるし、もちろん弾くのは凄く難しいんですけど‥‥最初は分からない世界が、だんだんパズルがはまって分かるようになってくる」
藤倉「ソナタの構造ってパズルみたいじゃないですか。それを僕なりに考えてみた」

お話がひと段落したところで小菅は、あらためてピアノの前に座り、藤倉大の新作ピアノ・ソナタを全曲弾き通してくれた。


無数の光の粒がさざめきながら流れはじめ、エネルギーを帯びた形となり、はたまた変貌し‥‥
ときに詩的な断片が響き交わす時間が、美しい層をみせたり、揺らめきを輝かせたり。呼吸のような起伏も自然にみせながら、デリケートな表現を多彩に重ね連ねてゆく。途中で繰り広げられる(技巧的にもハードな!)疾走や、朗々たる響きと断片的な歌の立体的な奥ゆき、彩りの渦からまた新たな時が生まれ‥‥。
もちろんこうした先入観を抜きに、お楽しみいただきたい。エネルギーの振幅も広い音世界にも、明晰な美しさを非常な繊細さで彫り込んでゆく、小菅優のずばぬけて豊かな音色感と表現力。それをたっぷりと体感できる17分間だった。
長い拍手に続いて、リモート先の藤倉も演奏を讃えながら、「素材が還って来て変形したり、というのは他の曲で書いたことがないので、〈ソナタ〉というお題をいただいたからこその、新しいタイプの作品でしたね。‥‥聴いてて思い出したんですけど、完成した楽譜を送ったら、優さんから『えっ!? もうこれで終わり!?』って言われて(笑)。それで最後を変えたんです」


小菅「はじめは最後のコラールが無かったんですよ。これ素晴らしいじゃないですか!」
藤倉「だから言っていただいて良かった(笑)。右手と左が交差するところ、難しいですねぇ」
小菅「難しすぎる! あれをペダルなしで弾かせるなんで、どう考えても意地悪ですよ(笑)」
藤倉「ごまかすためにペダル踏むピアニストが多いからついつい書いちゃったけど(笑)素晴らしいですよ」

Dai Fujikura, Composer
大阪府生まれ。15歳で渡英。数々の作曲賞を受賞、国際的な委嘱を手掛けている。オペラの国際評価も高く、2015年にシャンゼリゼ劇場、ローザンヌ歌劇場、リール歌劇場の共同委嘱によるオペラ「ソラリス」、18年にバーゼル劇場委嘱による《黄金虫》、20年に新国立劇場委嘱の《アルマゲドンの夢》がある。

出席者との質疑応答も活発におこなわれたが、二人の発言からかいつまんでご紹介しておこう。

藤倉「小菅さんに出逢う前から、僕は小菅さんのファンだったんですよ。小菅さんはフォルテからピアノまで全てのタッチがひとつひとつ美しく、速いところもデタシェ[音を明確に分けて弾く弦楽器の奏法]で凄く綺麗に弾けるじゃないですか」
小菅「ノン・レガートって感じで弾いていますけど、だって、書いてある通りに弾かなきゃいけないじゃないですか(笑)」
藤倉「鳴っている音が全部綺麗、って凄いことですよ。生まれてからずっと綺麗なんですか!?」(場内爆笑)

ところで、先に善悪の話が出たけれど、小菅いわく「コンサート自体のテーマは《神秘・魅惑》ですから、藤倉さんの曲は他の3曲とは違って〈悪〉とは関係ありません。いつも藤倉さんの作品には、ハーモニーの美しさや官能的な色彩感覚に心を動かされますが、このソナタにはダークなところとか、美しいだけではないヴェールのかかったような世界もあるように思って」
それに応えて作曲家は「いま聴いて思ったのは、いつもよりも苦味とか、レモン系の酸味が効いている曲かも知れませんね」。実際にお聴きになってどうお感じになるか、ぜひお楽しみに。

最後は、ピアノの前の小菅優にリモート越しの藤倉大も入っての記念撮影で、記者懇談会は終了。和やかな中にも音楽表現の芯に触れる話を豊かに伺える、とても愉しい時間だった。

小菅優 ソナタ・シリーズVol.4 神秘・魅惑

【プログラム】
スクリャービン:ピアノ・ソナタ第9番 「黒ミサ」
藤倉大:ピアノ・ソナタ(長谷川綾子委嘱作品・日本初演)
ベルク:ピアノ・ソナタ op.1
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調

【公演日程】 2025年3月28日(金)19:00 紀尾井ホール
https://www.kajimotomusic.com/concerts/yu-kosuge-sonata-series-4/

【他都市公演】
3月20日(木・祝)水戸芸術館
3月23日(日)兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホール
3月25日(火)名古屋 Halle Runde