SIR ANDRÁS SCHIFF&
CAPPELLA ANDREA BARCA
Farewell Tour of Asia
Concert Report
サー・アンドラーシュ・シフ&
カペラ・アンドレアバルカ、
最後の来日公演を聴いて①
ミューザ川崎シンフォニーホールでの
J.S.バッハ
TEXT BY ATSUSHI ISHIKAWA, KAJIMOTO
PHOTOGRAPHS BY TAICHI NISHIMAKI
サー・アンドラーシュ・シフ&カペラ・アンドレア・バルカ(CAB)の日本ツアー初日3/21は、ミューザ川崎シンフォニーホールでオール・バッハの鍵盤協奏曲。3日めの3/23は京都コンサートホールでオール・モーツァルト。その両方を聴きました。

すでに公にしている通り、1998年にシフが自らの音楽仲間を集めて結成した室内オーケストラ、CABの活動は今シーズンで終了。つまり今回が最後の日本ツアーです。
このコンビは2019年にようやく初来日し、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲ほかを聴かせてくれました。手垢がついたかの如きこれらの曲に新鮮な驚きと感動を与えてくれてからの再来日が、よもやラストとなろうとは。それはとても残念なことですが、25年を超える活動の蓄積と(メンバーはほとんど変わっていないので、平均年齢は60歳を超す!?)、そしてシフにとっても最重要であるJ.S.バッハとモーツァルトでのラストツアーは、まったくもって「集大成」という言葉が相応しいものではないでしょうか。
さて、初日(3/21)の川崎公演でのバッハの鍵盤協奏曲6曲は、第3→5→7→2→4→1の順に演奏されました。このプログラムで8割余りもの集客とは、やはり現代最高のピアニストならでは・・・と感慨です。
シフがベーゼンドルファーから出す音はもちろんチェンバロとは違いますが、まるでフォルテピアノのように柔らかく質朴で、合奏はメタリックでデジタル的な精緻よりザラッと「アナログ」の極致。明らかに、例えばベルリン・フィルやシカゴ響のような鉄壁で完全、といったものとは違うものを目指していることがわかります。それとともに、仲間を集めて時折活動する…という同じスタイルでもサイトウ・キネン・オーケストラやルツェルン祝祭管弦楽団、ムジカエテルナなどともまったく音楽の志向や在り方が違うのですね。名手たちによる民主的であたたかく親密な、大きな室内楽。











冒頭の第3番など結構不揃いでしたが、温かい心の揃いは軌を一つにする…とでもいいますか。一曲ずつの感想を綴るのはあまり意味がないかもしれません。それくらい曲を追うにつれ、リズムは生き生きと語り、ポリフォニーはダイナミズムを増し、どんどんその音楽の空間は自由度を大きくしていきます。
シフは曲が終わっても舞台袖には引っ込まず、そのまま次の曲を演奏する前に、その曲の調性のカデンツァ(のようなもの)を即興で静かに弾くのですが、それがまた印象的。
最後に至って規模の大きなニ短調の第1番は殊に即興的であり、同時に厳粛で真剣。ピアノもオケの合奏も一体となって――同時にそれぞれが自由であり、火のように燃えるフォルテ、静かに祈るピアノが合一して“宇宙のダンス”とも感じられる広がりを体験させてくれました。

こうして通して聴くと「一は全、全は一」などという言葉を思い出します。バッハの音楽で肝要なのはリズムとポリフォニーであり、それがもつ広大さ深遠さ、愉悦も哀しみも綯い交ぜの巨きな音空間にひたすら浸り、ふと心が満たされ躍動する自分に気づきます。
アンコールはなんと「ブランデンブルク協奏曲第5番」の第1楽章!この日は出番のなかった管楽器・・・フルート奏者のハースが舞台袖から登場し、コンサートマスターのへ―バルトとともに前に立ちます。チェンバロでなく、ピアノが通奏低音とソロを兼ねるブランデンブルク協奏曲なんて初めて聞きました。それが本編のピアノ協奏曲同様か、それ以上の愉悦に満ちたものだったことは言うまでもありません。私もそうでしたが、聴衆の皆さまも頬が緩みっぱなしだったでしょう。さらにその後、尽きせぬソロ・カーテンコールに応え、シフは「ゴルトベルク変奏曲」のアリアを演奏し、会場中を静謐な感動で満たしてくれたのです。
