トマシュ・リッテル
川口成彦
抱負を語る

The Real Chopin × 18世紀オーケストラ


「演奏家になってよかった」
真の歓びとショパンのすばらしさを
再認識するオーケストラ

TEXT BY YOSHIKO IKUMA
PHOTOGRAPHS BY YURI MANABE

 

5年に一度ショパンの故郷ワルシャワで開催されるショパン国際ピアノコンクール(以下ショパンコンクール)。1927年創設のこの長い歴史を備えたコンクールは、歴代の優勝者や入賞者の多くがコンクール後に国際舞台で大きな活躍することで有名となり、いまや「世界一のコンクール」と称されている。

2018年、これにもうひとつのショパンコンクールが加わった。ショパン国際ピリオド楽器コンクール(以下ショパンピリオドコンクール)と名付けられたもので、本家のショパンコンクールと同様に5年に一度の開催である。第2回は今年10月5日から15日までワルシャワで開催された。日本人のエントリーが10名ともっとも多く、ポーランド人(6名)、イタリア人(4名)と続いた。第1および第2ステージはJ.S.バッハやモーツァルト、19世紀前半に書かれたポーランド人作曲家によるポロネーズも含まれるソロリサイタル形式。第3ステージとなるファイナルは管弦楽を伴うショパンの作品で(6名が進出)、ヴァーツラフ・ルクス指揮オルキェストラとの共演。これはすべてオンライン・ストリーミングされ、自宅にいながらリアル・ショパンを味わえた。

18世紀オーケストラはひとりひとりがすばらしい音楽家の集まり

ピリオド楽器とは作曲当時の楽器を意味し、オリジナル楽器または古楽器とも呼ばれる。現代のピアノにくらべて音色は非常に優雅でかろやかで繊細。ショパンは鍵盤を叩くことを嫌い、あくまでもエレガントな響きを愛したといわれ、弟子にもそれを伝授した。それゆえ、ショパンピリオドコンクールでも、審査の基準はショパンの奏法に可能な限り近いものが要求される。

第1回はポーランド出身のトマシュ・リッテルが第1位、川口成彦が第2位を獲得し、大きな話題を呼んだ。トマシュ・リッテルは1995年ポーランドに生まれた。ワルシャワとモスクワでフォルテピアノ、チェンバロなどを学び、現在はピリオド楽器とともにモダンピアノも演奏。両方の楽器でレパートリーを広げている。
彼は2023年6月に来日し、1843年製プレイエルでリサイタルを行ったが、ショパン、ベートーヴェン、モーツァルトという選曲で馨しく繊細で上質な演奏を披露し、ピアノ好きの心をとらえた。

リッテルはショパンピリオドコンクールを受けたのは、先生や周囲の人々の意見ではなく、完全に自身の意志によるものだという。


「私はワルシャワではショパンを始め、さまざまな作品を学んでいましたが、モスクワに留学してからは現代作品を多く勉強していました。もちろん、J.S.バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなどの古典派の作品は必須科目で、幅広く学んでいたのは確かです。」

そんなときに、ショパンピリオドコンクールが開催されることを知ったという。

「場所はワルシャワで、ショパンの作品は大好きですし、フォルテピアノはずいぶんいろんな楽器を弾いていましたので、受けようと決めました。第1次予選はかなり短かったのであっというまに終わり、第2次予選からは課題曲も増え、テンションも上がってきました。次第にコンクールの関心が高くなってきたため、もっと集中していい演奏をしなければと思い、アドレナリンが一気に出てくる感じがしました」

そしてファイナルでは、18世紀オーケストラと共演することができた。

「18世紀オーケストラはひとりひとりがすばらしい音楽家の集まりで、みんなが本当に音楽を愛しているという感じが伝わってきます。仕事として演奏している人はまったくいません。みんなが自分の演奏を楽しみながら、オーケストラとしてアンサンブルを心から楽しみ、私たちソリストにも温かい目を向けてくれます。本選のリハーサルからそうした空気を感じ取り、のびのびとリラックスして演奏することができました。コンクールで審査員が点数を付けているのに、私はまったくそれを意識することなくオーケストラとともにコンチェルトを楽しむ、そんな思いで演奏することができました」

弾き振りではオーケストラと一体となって

その結果、リッテルは見事、ショパンピリオドコンクールの記念すべき第1回の覇者となった。2024年3月の18世紀オーケストラとの共演では、ショパンの「演奏会用ロンド《クラコヴィアク》op.14」とピアノ協奏曲第2番を演奏する。

「私はショパンのピアノ協奏曲では、第2番が大好きなのです。繊細で親密的で、全編にえもいわれぬデリカシーがただよっている。若きショパンのロマンがあふれ、馨しい響きに魅了されます。18世紀オーケストラと一緒に演奏できるのは無上の歓びですね。コンクールのときはオーケストラとのリハーサルも時間が限られていたため、集中して本番に備えましたが、今回はオーケストラといろんな響きや表現を試してみたいと思っています。少しは時間に余裕があると思いますので…」

そして演奏会用ロンド「クラコヴィアク」に関しては、こう語る。

「ショパンの数少ないピアノと管弦楽のための作品のひとつです。ピアノ協奏曲に比べ、演奏される機会はそう多くはありません。クラコヴィアクというのは、古都クラクフの伝統的な民俗舞踊で、2拍子をとり、シンコペーションや弱拍のアクセントに特徴があります。ポーランドのお祭りなどでは、よく踊られる舞曲ですね。ショパンはこれを巧みに作品に取り入れ、リズミカルで美しい作品に仕上げています。今回は、18世紀オーケストラとの弾き振りを披露しますが、まさに大きなチャレンジだと感じています。弾き振りは、最初はすごく難しいと思いました。でも、いまはモーツァルトのコンチェルトでもよく行っているためか、オーケストラと一体となり、自分もその一員になったつもりで演奏できます」

18世紀オーケストラは村の音楽隊のよう

一方、川口成彦もショパンピリオドコンクールのファイナルでの18世紀オーケストラとの共演は忘れられないものだという。
「コンクールを受けるとき、このオーケストラと共演できることが大きな目標であり、夢でもありました。そのためには本選まで進まなければなりませんから、モチベーションになりました。僕はアムステルダムに留学していましたので、18世紀オーケストラはよく知っています。メンバーの何人かが教授を務めていたり、演奏を聴いたりしていましたから。コンクールでも知り合いが何人かいて心強く、気持ちが高ぶりながらも安心して演奏に集中することができました。ショパンゆかりのホールで作曲当時の楽器で演奏する。それは格別の体験でしたが、とりわけ18世紀オーケストラとの共演は、演奏家になってよかったという真の歓びを与えてくれました。ショパンのすばらしさが再認識できたのです。このオーケストラはとても素朴で、しかもプロフェッショナルで、温かい雰囲気を醸し出しています。まるで《村の音楽隊》のような人間らしい雰囲気を備え、ひとりひとりが本当に音楽を愛しているのが伝わってくる。一緒に演奏しているとコンクールということを忘れ、リラックスして演奏できました」


 今回、川口成彦はショパンの「ポーランドの歌による幻想曲op.13」と《ドン・ジョヴァンニ》の「お手をどうぞ」による変奏曲変ロ長調op.2を演奏する。

「《ドン・ジョヴァンニ~》の作品は、ショパンがウィーンにデビューしたときに弾いたもので、若きショパンがこれからピアニストとして頑張るんだという野心が見えます。フンメルやカルクブレンナーに通じる作風で、ヴィルトゥオーゾ的な面も含まれています。シューマンがこの作品を知り、《新音楽時報》に『諸君、帽子を脱ぎたまえ、天才だ!』と書いた話は有名ですよね。もうひとつの《ポーランドの歌による幻想曲》は、あまり演奏される機会がありません。でも、僕はポーランドの民謡に心惹かれ、最近はポーランド人の歌手とも共演していますので、とても楽しみです」

ショパンの全作品を演奏するプロジェクト

川口成彦は2023年12月から相模湖交流文化センターで、5年ほどの予定でショパンの全曲演奏をスタートさせた。ピアノ作品のみならず、いろんな室内楽やポーランドの歌手との共演もあるというピッグプロジェクトだ。

「コンクールに参加し、ショパンをより深く知ることができ、さらにもっとさまざまな面を探求したいと考えるようになりました。ショパンの全曲演奏は、その大きなチャレンジであり、成長していく上での布石です」

リッテルがこれに続ける。

「私はショパン以前の古典派の作品を演奏していきたい。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなど。いまはマスタークラスで教えていますが、教えることは自己の学びにつながります。もっと経験と実績を積み重ね、心に響く音楽を演奏するピアニストになりたいと思っています」

ふたりの前には大海原が広がっている。大海に泳ぎ出す若きピアニストの演奏は、聴き手の心に癒しと勇気と活力を与える。彼らが18世紀オーケストラとどんな演奏を紡ぎ出すか、いまから心が高揚する思いだ。

伊熊よし子