無限の世界に
旅立つために
横坂源インタビュー
無限の世界に旅立つために
TEXT BY TAKAAKIRA AOSAWA
PHOTOGRAPHS BY SOTARO GOTO
感情は揺れ動く。感じきることが、そのまま生きることであるかのように。移りゆき、変わっていくのは、生命そのものの真情であるかのように。
生きものの感情は、どんなに確かで根深くとも、つねに流動的なもので、固定されない。だから、譜面に留められた音たちも、本来は動きのなかにある。音の連なりや響きの生成ということだけではない。響きは音符のかたちで指し示されてはいるものの、それらの生命は標本のように固定されたものではあり得ない。
音楽は、未完の流動性のほうへ、つねにひらかれたものだ。そんな当然のことを改めて綴っているのは、チェリストの横坂源が、沼沢淑音のピアノと、まさしく迸るうねりを歌い上げるようなラフマニノフのデュオ・ソナタを弾くのを聴いた後だからだろう。
この夏にレコーディングされたものなのだが、不思議なことに、その演奏自体が聴くたびに揺れ動いて、新たな表情をみせる気がする。いつもさなかに起こっていることとして、また起こりつつあることとして、彼らふたりのデュオの音楽は逞しく進められていく。その先に、どんな未来が引き寄せられているか、ということを、細く太く感じながらの綱渡りである。
不安があり、勇気がある。しかし、いずれも肯定的な力と意志、尽きせぬ探求への情熱を感じさせる。それも貪欲なまでに。彼らはきれいごとではなく、むしろひたすら生々しさへと向かう。生々しさとは創造の瞬間に立ち会うということだ。
つまりは、まだまだ先がある。ラフマニノフとシュトラウス、若いふたりの想像力が充溢したデュオ・ソナタは、横坂源が本拠とする浜松でレコーディングされた後、そこでの省察を含め、11月の東京でさらに推し進められるはずだ。
若くして脚光を集めた横坂源が30代後半にして、意外なことに初めて取り組む自主リサイタル、しかもいろいろな思い出の滲み込んだ紀尾井ホールで、同年代の盟友ピアニストと臨む機会である。さらにはシュニトケのソナタも交えつつ、並々ならぬ意欲を注ぐリサイタルに向けて、この10月、横坂源の話をじっくりときいた。

── エキサイティングなアルバムでした。荒々しさとか揺らぎとか、激しく生々しいままに感じられ、大胆な冒険心をもって目の前に迫ってくる。チェロもそうですし、ピアノも乱反射するように響き投げ出していて、デュオとしての高まりが鮮やかで。
じつは昨日も編集作業をしていたのですが、整えてしまいそうになるところも、流れがきているからと、心を鬼にして、できるだけそのままに留めました。
── 作品を理解しようという情熱がまずあり、よく伝えるためにはもちろん楽器を上手に扱うことも重要ですが、音楽家には驚きに触れる才覚、驚嘆する感受性が非常に大切だということを、聴いていて改めて思いました。沼沢淑音さんとの相性も抜群で、大きく音楽の冒険に乗り出していく心意気のようなものがダイレクトに伝わってきましたし。
おなじ作品でも、誰といつ弾くかでほんとうに景色が変わるので、それが驚嘆というのに近い部分かなと思います。
沼沢くんは同級生なんですけど、音の残像を大切にして、色をぎりぎりまで濁していく(笑)。どこまで濁せるのかというのを追求してるようなところもあると感じますし、いっしょに演奏していてそこがとても魅力的だなと思うんです。
歌心というのも彼はほんとうに凄くて、リハーサルしていても『そんな歌ったら、おれが歌えない。もうやめて』って言ったりもするほど(笑)。でも、彼のピアノから触発されて生まれる音というのも意識しますし、それが今回の録音にも繋がっている。自分一人では絶対にできなかったことで、感謝以上のものを感じています。

桐朋学園女子高等学校(男女共学)、同ソリストディプロマ・コースを経て、シュツットガルト国立音楽大学、並びにフライブルク国立音楽大学で研鑚を積む。13歳で東京交響楽団と出身地である新潟で初協演したのを皮切りに、国内外主要オーケストラと多数協演を果たしている。2001年全日本ビバホール・チェロコンクール最年少優勝、2010年ミュンヘン国際音楽コンクール第2位。出光音楽賞、齋藤秀雄メモリアル基金賞、ホテルオークラ音楽賞受賞。新潟市出身。使用楽器は、日本音楽財団よりストラディヴァリウス1696年製「ロード・アイレスフォード」を貸与されている。
─ 沼沢淑音さんは、空間の扱いかたも含め、響きの感覚が自由なピアニストですよね。
すごく野生的なんですけど、でも実はとても内的に音楽を生み出そうとしていて、深みがある。
生活するために音楽があるのではなくて、生活のなかに音楽がないと生きていけない人ってあまり多くはないと思うんですけど、彼はその数少ないなかの一人で、そういうところから自分が影響を受けていることはたくさんあるといつも思っています。
同い年で高校がいっしょなんですけれど、お互い留学が終わってから再会して、もう10年近くになります。僕が浜松に住み始めてすぐ、2015年に浜松国際ピアノ・コンクールのパンフレットをみたら写真が載っていたので、事務局に繋いでもらって10 年ぶりに電話したんです。そしたら、『そこ、ピアノあるの?』、『ラフマニノフだったら暗譜で弾けるからやろう』って言われ、すぐ公民館をとって、次の日にいっしょに弾いた。そのときのラフマニノフがもう、彼はそれこそいまの 8 倍ぐらいワイルドで、自分も弾いていて溺れそうになりました(笑)。ほんとうに海のなかにいるみたいな感覚になって、自分の居場所がわからなくなってきて。あの感覚を味わったときは衝撃でしたね。なにかこの人と音楽をやることができたら、将来すごく面白いことになるんじゃないか、とそのとき思って。

─ しかし、どこまで自由をとるかというバランスは、演奏の上で難しいところでしょう。
そうですよね。枠があるから、その分だけ自由を感じられる、ということも言えますし。
スポーツの世界みたいに勝敗がはっきりした世界もいいなと思って、『タイムを縮めればいちばん獲れるんでしょ?』みたいなわるい考えかたをしたときもありましたけど(笑)。でも、そうではなくて、ほんとうに無限の世界に飛び立てるのが音楽の世界の魅力だと思うので。なにかいろいろ紆余曲折ありながらも、こうして音楽が好きで続けてきました。
やっぱりドイツに留学して、すべての流れが大きく変わって、ひとりになる静かな時間が格段に増えた。そこで、ぽっと入った楽譜屋さんでピエール・フルニエの DVD が売られていて、サン=サーンスとシューマンのコンチェルトを家で観たら、なんか鼻血が出そうなくらい、どんどん体が覚醒されてきて。それからフルニエと年代の近い演奏家を探していったら、最高のテクニックが最高の音楽と繋がっていた人たちがわんさかいて、それがすごく自然で、なんて高級なことをこの人たちはしてるんだろうと思いました。これはもう、それで生活できるかどうかもわからないけど、一生飽きることのない世界にいま自分は場所を決めて突っ込めているんだなということを、すごく強く認識したのが、いまの自分に繋がっています。
2006年からのドイツ留学は、これもふと聴いたジャン=ギアン・ケラスの演奏に衝撃を受けたのが契機となった。2002年に彼がすみだトリフォニーホールで行った「天・地・人」と題する3日連続の無伴奏リサイタルに衝撃を受けたのだという。それ以前にハンガリーのコンクールでバッハを弾いて、「様式感がない」と評されたことが、彼の心に引っかかってもいた。
自分にないものをこの方はもっている。そういうところがすごく大きかったので、飛び込みたいと思ったんです。『自分とこんなにも違っていて、しかもそれが自分の心を動かしている』というのは、僕のなかでは新しい感覚で。あの時、彼がほんとうのモードをひとつつくったような気がして、どういうふうな流れでそのようなことをしているのかを感じてみたかったというのが、いちばんシンプルな興味というか、自分にそれが必要だと思った。
ケラス先生には6 年間お世話になって、とくにフランスや現代の音楽について多くのことを学ばせていただきました。音楽祭やワイン蔵での演奏に交えてくださったり、クァルテットやコンチェルトのリハーサルを覗かせてくださったのも、かけがえのない経験となりました。とても感謝しています。
留学時代の後半には、古き佳き技術や音楽のものへの愛着や憧れみたいなものが僕のなかでどんどん大きくなって、それがだんだん自我とも直結してきた。『自分はどうしたい?』というのがむくむく出はじめたりもしましたけれど。フルニエをはじめ往年の巨匠の演奏にはみな規律があって、テンポの流れとか、様式観がしっかり体現されていますから。かつ、ほんとうに抉られるぐらいドラマティックなことを一音で出す。主観と客観のバランスが非常に近いところにある段階まで練り上げて、高い技術でステージに立っている。シンプルにかっこいいな、とずっと憧れています。
── 今回のプログラムでは、ラフマニノフが自然な歌心に満ちているいっぽう、リヒャルト・シュトラウスのデュオ・ソナタは10代の作にして、人工的というのはおかしいにしても人智が強いというか、やはり人間界の出来事という感じがしますね。
シュトラウス独自の匂いや香りがありますし、『ばらの騎士』もそうですけれど、音の響きが放物線に近いというか、一瞬に投げるフレーズの大きさと広がりというのが独特な人で、それがあるから歌える歌いまわしなんですよね。
でも、学生の頃に弾いたときは、この曲の魅力が実はわからなかったんです。第1 楽章はなにか瑞々しく、香り高い、誇り高い夢もあるし共感できる部分もあったんですけど、そこから先、第2 楽章が混乱するし、そこから第3楽章に行くともっと混乱してしまうし……。
僕自身思いがけないことに、居候のかたちで4年間、徳永扶美子さんにお世話になっているのですけれど、お宅のいろいろなところから徳永兼一郎さんの生前の演奏が出てきて、それがほんとうにヨーロッパ的なんですよ。そのなかでシュトラウスの演奏会の録音を聴いたら、これがもう驚きの演奏で。じつにいい曲だなと思って、勉強し直すのに、ほんとうに大きな体験になりました。
それと、この自主リサイタルをするタイミングにも繋がるのですが、沼沢くんとは2015年に会ってから、少しずついろいろな曲をやってレパートリーが増えてきたし、リハーサルの流れも言葉を使わないで作品の魅力に近づけるようにもなってきたと思うので、いまこそシュトラウスをいっしょに弾きたい。今回のリサイタルは、沼沢くんとのこれまでの共演のひとつの集大成のようなかたちで挑みたいという思いもあります。

── いまになって、シュトラウスのソナタにつよく惹かれたのはどんなところなのですか。
とくに第2楽章では、静寂のなかに、晩年作の『メタモルフォーゼン』のような、嘘のない言葉があり、一種の枯れきった退廃的なムードが10代のシュトラウスにすでに備わっていたことに驚かされます。第2楽章から第3楽章への移り変わりも面白く、その繋がりを意識しながら演奏していくと、終楽章が狂気の世界への入口となり、幾重にも表情が変化していくように感じます。儚い夢のなかで、一瞬の美を追い求めるかのような魅力の詰まった作品だと思うのです。
すごく美しいものの裏側には、すごく狂気的なものがあるじゃないですか。それを体感するには、やっぱりその世界を見ないと。きれいごとにせずに、そこを掘り下げてみたいですね。
もうひとつタイミングについて言えば、いま横坂源が手にしているのは、1696年のストラディヴァリウス「ロード・アイレスフォード」。日本音楽財団の貸与で、今年1月末から弾いてきて、12月には返さなくてはならないので、これがまさしく絶好の機会ともなるという。
いままでに体感したことのない魅力ばかりの楽器で、倍音の伸びと量がすごい。色が混ざり合うので、重さも変わってくる。楽器から教わることって多いんだな、と痛感しています。沼沢くんのピアノもまた、色が混ざっていくのを楽しまなきゃいけない(笑)、というような感覚にいつもなりますし。
── さらに一曲、シュニトケのソナタが組み合わせられますね。
シュニトケはとてもロマンティックなイメージがあります。これもまたロマンティックですけど、視点が違うし、耳もフレッシュに楽しんでいただけると思います。ちょっと昔の巨匠みたいに、弾きたい曲を並べて、そこになんらかの脈絡が生まれるというのもやってみたいですし。
── いろいろ考えすぎると、それが豊かさだけではなく制約になってしまうこともままありますしね。
もう感覚で行きたい!ってすごく思っていますけど、考えるということは考えを捨てるためにある。その途中に捨てるために、一回意識を入れるというか。 でも、考えることがいま苦しくはなくて、楽しくやっています。その先のゴールに行けば、僕がずっと憧れてきた巨匠たちが見ていたであろう景色や感覚に少しは近づけるかもしれない。自分なりにそう信じて、チェロを弾き続けているので……。


最新作「R.シュトラウス&ラフマニノフ」
横坂源(チェロ)沼沢淑音(ピアノ)
税込価格:3,850円(税抜価格:3,500円)
HQ Hybrid盤 品番:OVCL-00862
発売元:オクタヴィア・レコード
発売日:2024年11月20日(水)