IVO POGORELICH

ポゴレリッチ、ショパンを語る

Pianist

IVO POGORELICH

1人の人間が
これほどの名作を生んだのは
大きな衝撃です

イーヴォ・ポゴレリッチ スペシャル・インタビュー

TEXT BY KYOKO MICHISHITA
PHOTOGRAPHS BY ANDREJ GRILC

プログラムはすべてショパン

「とても自然な理由です。今までに弾いたことのないショパンの作品も練習しています。それと、これまでに弾いてきた作品とを合わせ、プログラムを構成しました。ショパンの作品のなかでも、彼の後期の曲を集めてみました」

イーヴォ・ポゴレリッチ(ピアニスト)
Ivo Pogorelich, Pianist

1958年ベオグラード生まれ。12歳からモスクワの中央音楽学校で、その後はチャイコフスキー音楽院で勉強を続けた。1976年からは著名なピアニストで教育者のアリス・ケゼラーゼに師事。数々の国際コンクールでの優勝に続き、1980年のショパン国際コンクールで、本選を前に彼を落選させたことについての論争とそれに抗議して帰国してしまった審査員のひとり、マルタ・アルゲリッチの「だって彼は天才よ!」という言葉によってポゴレリッチは一躍脚光を呼び、たちまち世界的に名を知られることになった。

──ショパンの後期の作品群のなかでも、ポゴレリッチは女流作家ジョルジュ・サンドとの恋愛の時期、とりわけパリとサンドの館のあったノアンとを往復した時期の作品を取り上げている。

「ジョルジュ・サンドの住んでいた館の近くで、石鹸と本を買いました。その石鹸は、フレンチ・ラベンダーの石鹸で、サンドの館の庭から採った植物から作られています。彼女は亡くなる前、薔薇の木を自分の窓の前に植えてほしいと言いました。その薔薇の木は大きく茂り、今でも元気に生きていて、小さな薔薇の花からは強い香りが漂っていました。実際に館の中も見せていただき、ショパンが作曲したと言われている部屋も見ました。あのすばらしい曲が、この小さな部屋で書かれたのかということにとても驚いています。

ノアンにあるサンドの館は、フランス中央部にあり、大西洋と地中海との間に位置しています。ドライブしていると、昔のおとぎ話の国のような美しい森がありました。当時の人々は、そこを馬車で旅していたわけです。いまでは車になってしまいましたが、森の風景は今も昔も変わらないと思います。その美しい森は、サンドの住んでいた地域一面を覆っています。フランス、またヨーロッパのなかでも特別に美しい地域です。その土地の感覚や雰囲気は、私にはとてもよくわかります」

──1/11のプログラムは、いずれも1841年から46年ごろまでに書かれた作品である。その頃のショパンは、円熟した傑作を多く手がけていたものの、彼の健康は少しずつ蝕まれてゆく。

「彼は病気で本当に残念でしたね。もしも健康状態が良ければ、そこをとてもエンジョイしていたと思います」

──ショパンとサンドの出会いは1836年。やがて恋に落ちた二人は、都会の喧噪を避けるかのように1838年10月の終わりにパリを離れ、地中海に浮かぶマヨルカ島を訪れる。その島へ行った時のことを、ポゴレリッチは感慨深げに語る。

「彼らが秋と冬を過ごしたマヨルカ島の修道院は、今でも残っていて博物館になっています。自分の尊敬している人の住んでいた家を訪れた印象ですが、率直に言うと、ここで生活することは楽ではなかっただろうと。ここを訪れると、彼らは本当にごく普通の生活を送っていたことや、その生活から芸術作品の素晴らしい「美」が生み出され、残されていることに気づくでしょう」

ポゴレリッチにとってのショパンとは

──ポゴレリッチは

「私にとって、ショパンは以前から、そしていまでもとても惹かれる作曲家です。彼は、世界中の人々のハートに触れることのできる、普遍的な作曲家ではないでしょうか」

──と言う。ショパンのどんなところに共感を得ているのだろうか。

「すべてです。一人の人間がこれほどの名作を生んだことだけでも、大きな衝撃です。あまりにも素晴らしい曲が多く、選ぶのが大変なほどです。彼の作品は、同じ作品でも弾くときが違うとさらなる発見があります」

──たしかにポゴレリッチの演奏は、同じ曲でもその演奏時期によって解釈が大きく異なる。彼は、自分の人生のなかにショパンが入り込んでいると言う。

「自分もこの曲をよく知っていると思っているのに、時にはまた違う側面が見えてくる…それがショパンです。ある人が、自分の人生に入り込み、そこに居続けることもあります。今日、ショパンのいない世界は想像できません。彼の世界は素晴らしいですし、素晴らしい発見もあると思います。ショパンの世界は私たちの人生の一部となってそこに居続けるでしょう」

──近年、作曲家の生きていた時代の楽器で演奏される機会が増え、ショパン作品の演奏についても同じ傾向にある。このように昔の楽器を使ってオリジナルを追求する演奏家もいるが、ポゴレリッチにとって演奏のオーセンティシティとは?

「すべて変わるのです。それぞれの人間の創造性が最も重要なのです。あらゆる芸術…音楽であっても絵画であっても、必ずそれを描いた人間がいたのです。その人の発想に最も近づくようにするのが、私たちには最も重要なのではないでしょうか」

──ポゴレリッチは、伝統的なポピュラー音楽や民族音楽を聴くのが好きで、普段はピアノ音楽をあまり聴かないという。

「いわゆる今のポップスではありません。伝統的なポピュラー音楽がとても好きです。この間、メキシコへ行ったときにはポピュラー音楽のCDをたくさん買い、ブラジルでも買いましたが、まだ封を開けていません。その土地の人々が昔から聴いているような伝統的な民族音楽に関心をもっています。

オーセンティックな音楽は、まさに人々から生まれてきた音楽です。ある時、ホテルでテレビを観ていたら、オマーンの音楽が流れ始めました。それがとても素晴らしかったのです。リズムや伝統的な楽器の音もとても魅力的で、考えてみれば世界中のこれだけの国があり、それだけの人がいて伝統もあるわけです。その中でも興味深いのは、その伝統が、いわゆる「村」に由来しているということです。そして、そのような音楽は「村の人々」から生まれているところが面白いと思います。

さかのぼっていくと、音楽の力は、「村」にあります。ベートーヴェンやシューベルトもウィーンから出て、さまざまな祭りへ足を運んで人々の歌や踊りに接し、そのモティーフを探るなどしていました。作曲家によっては、民族音楽を実際に自分の作品に入れてしまう人もいました」

今後の展望について

「いま、形になりつつあるアイディアがあります。とてもクリエイティヴなもので、良いものになると思いますが、全体的にもう少ししっかりと詰めていき、フォローしなければなりません。また、それを行なうには時間をどこで作るかという問題もあります」

──2019年にはラフマニノフ&ベートーヴェン・アルバムのCDをリリースした。すでに次のレコーディングも考えているという。

「わかっていますが、実際にレコーディングする前にその内容はまだ言えません。録音できる曲はたくさんありますが、それを機械的にこなしていくのは違うと思います。自分のなかで、今がそのタイミングだ!と感じなければなりません。それはマラソンを走るのと同じで、録音は良いコンディションの時でなければできませんし、その録音の期間中は少しずつ自分のエネルギーを注入してゆくわけなので、録音の最後のタイミングに向かって力を結集するような感じです」

──インタビューの間、時おりポゴレッチの大きな手が目に入る。

「大きい手や長い指は、特に有利というわけではありません。一般的に(ピアノを弾くのに)良い手とは、骨や筋肉の組織のあり方であって、大きめぐらいの手が最も良いと思います。それから、良いのは強い腕。それらは持って生まれたものですので、選べません」

──ゆっくりと、そして静かに語るポゴレリッチ。その言葉の一つひとつには力みはなく、ナチュラルだ。既成の概念にとらわれず、真実とは何か、真の美を追い求めてゆく彼のヒューマニズムを垣間見た50分間だった。

(取材 : 2020年2月)