BACH: The Art of Life

Pianist

Daniil Trifonov

©Dario Acosta – DG

生命の芸術
(アート・オヴ・ライフ)

トリフォノフのバッハ

TEXT BY TAKAKI YAZAWA

「ピアノによるバッハ」の復権が著しい。歴史的仕様のチェンバロこそが「正しい」とされた時期を経て、21世紀に入ってからはその前提条件に対する解答を見出すべく、多くのピアニストが新しいバッハ解釈を聴かせている。その嚆矢となったのはアンジェラ・ヒューイット(さらに遡ればヴォルフガング・リュプザム)で、HIP(Historically Informed Performance──歴史的情報に基づく演奏)の潮流を意識しつつ、モダン・ピアノのバッハ表現をアップデートすることに成功した。以後、アレクサンドル・タロー、ピエール=ロラン・エマール、アンドラーシュ・シフ、マルティン・シュタットフェルト、ヴィキングル・オラフソン、フランチェスコ・トリスターノ、ファジル・サイ、塚谷水無子らが続々と21世紀の「ピアノによるバッハ」の多様な形姿を届けてくれている。昨年にはラン・ランが来日公演で彼にしかできない《ゴルトベルク変奏曲》を聴かせてくれたばかりだ。

その潮流の中で、ダニール・トリフォノフが昨年『アート・オヴ・ライフ』と題したバッハ・アルバムをリリースした。「21世紀型ヴィルトゥオーソ」と呼びたい、超絶的に洗練された技巧のこのピアニストが、バッハを弾く。ならばそれは、ブゾーニ編曲や改作版などを集めた、ロマン派的ヴィルトゥオーソが解釈したバッハの更新形というべき内容になるのではないか。

その予想は一部当たっていたが、むしろ総体としては、大きく予想を超える内容だった。たしかにブラームス編曲の《シャコンヌ》のような高い技巧を要求する楽曲もあるが、2枚組アルバムの前半を占めたのはウィルヘルム・フリーデマンやカール・フィリップらバッハの息子たちの作品、そして教育用の《アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳》からの小品たち。そして《シャコンヌ》を経て後半の主役となるのは、なんと最晩年の大作にして絶筆の《フーガの技法》である。締めくくるのはマイラ・ヘス編曲の《主よ、人の望みの喜びよ》。今回の演奏会ではこのアルバムから、《シャコンヌ》以降の3曲がプログラムに組まれている。

ならば、演奏会プログラムについて述べる前にそもそも、『アート・オヴ・ライフ』というアルバム全体のプログラミングについて考える必要がある。トリフォノフはライナーノーツ内のインタヴューで、バッハの音楽を「自然の仕組みについての高度な論理的描写と、彼の時代には珍しい、人間の強い感情を結びつけたもの」と述べている。『アート・オヴ・ライフ』というアルバム・タイトルは、この見解を形にしたものだと言えるだろう。「ライフ」はここでは両義的に用いられており、一方でバッハの「生活」、もう一方ではバッハを取り巻く生の全体、すなわち神の秩序のもとにある宇宙という「生命」の総体、ということになる。

前者を代表する曲目としてトリフォノフはバッハの4人の息子たちの作品を配し、また妻アンナ・マグダレーナの名が記された(彼女自身の作品も含まれているかもしれない)音楽帳の小品を選ぶ。音楽に満ちたバッハ家の「生活」が俯瞰される。そして後者を代表するのが《フーガの技法》だ。その理由は「音楽の複雑な構造、特にポリフォニーによって表現されたものは奇跡とみなされ、宇宙を理解するための手段と考えられていたのです」というトリフォノフの発言を引けば十分だろう。《フーガの技法》とはまさにそのような音楽だからだ。では《シャコンヌ》と《主よ、人の望みの喜びよ》は?この2曲については各曲の解説の項で触れるが、2つの世界の架け橋、および両者を統合する役割が担わされていると考えて良いだろう。このアルバムは2020年から21年にかけて録音された。世界がコロナ禍に逼塞するこの時期、活動の抑制を余儀なくされた多くの音楽家が内的探究に向かうアルバムを制作したが、トリフォノフというヴィルトゥオーゾも、またバッハに向かい合うことで自らを含む「生命」の意味に向かい合おうとしたと理解できる。

ならば、アルバム後半、《シャコンヌ》以降の3曲に絞った今回の演奏会プログラムを、どう解すべきか。もし『アート・オヴ・ライフ』の総体を演奏会で伝えるには時間に限りがあるなら、《アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳》や《フーガの技法》は抜粋にする、という方法もあるのではないか。

まずは「ピアニストとしての」トリフォノフが、《フーガの技法》全曲演奏を選ばせた、と考えるのが自然だろう。しかし同時に、《シャコンヌ》以降に絞った意図は、この2023年の世界に対するトリフォノフのメッセージだとも考えられる。厳粛で悲痛ですらある《シャコンヌ》は、後述するように近年はバッハの最初の妻マリア・バルバラへの追悼曲として書かれているという見方がある。トリフォノフはこの説を採用しており、ならばそれが演奏会冒頭で演奏されるとき、私たちはコロナ禍に痛み、ロシアのウクライナ侵攻に象徴される分断と対立の世界への深い悲しみの表明として聴くことを免れ得ない。そして高度な対位法で構築された《フーガの技法》は、いわば傷つけられた宇宙の秩序の再構築である。後述のように最後の未完のフーガはトリフォノフ自身による補筆完成版で演奏されるが、そこには失われたピースを取り戻し、あるべき宇宙の全体像を想起したいという希望が投影される。《主よ、人の望みの喜びよ》は、この演奏会ではカットされたバッハの「生活」部分─そのカットは戦火やコロナに多くの人々が家庭の平穏を奪われた現実と響きあう─の回復の暗示としても響くだろう。

そしてもちろん、トリフォノフのピアノ演奏について記さねばならない。冒頭に述べた「ポスト古楽演奏」時代のピアノによるバッハ演奏の、トリフォノフ自身によるあるべき姿の表明がアルバムからは聴こえてくる。強靭さと精妙さを兼ね備えたタッチを駆使し、しなやかな弾力性をもって音楽を紡いでゆくが、そこには古楽演奏が再発見した、音楽を連綿と「美しく歌う」だけはなく、ひとつひとつの音型や和音が持つ「意味をもって語りかける」音楽的修辞の力もまた十全に生かされていた。特に対位法の殿堂として神格視されがちな《フーガの技法》が、各声部が生き生きと躍動し対話することによって、バッハ自身の(さらにはそこに仮託されたトリフォノフ自身の)肉声として響いていたのがとても印象的だ。演奏会では、トリフォノフが考える「生命の芸術(アート・オヴ・ライフ)」としてのバッハがいっそう雄弁に、この場にいる私たちと共感し、交響する世界を現出させてくれるに違いない。

矢澤 孝樹(音楽評論)

*このプログラムノートは、公演会場で販売するプログラム冊子に掲載される文章の前半部分にあたります

【ダニール・トリフォノフのJ.S.バッハ プログラム】
2/ 9(木)19時  東京オペラシティ コンサートホール
2/13(月)19時 住友生命いずみホール(大阪)
[演奏曲目]
J.S.バッハ(ブラームス編):シャコンヌ BWV1004
J.S.バッハ:フーガの技法 BWV1080
J.S.バッハ(ヘス編):「主よ、人の望みの喜びよ」BWV1047