SIR SIMON RATTLE
INTERVIEW

サー・サイモン・ラトル
特別インタビュー

Conductor

SIR SIMON RATTLE

©Mark Allan

「未来を見据える不屈の精神こそ、
幾多の困難を乗り越えるLSOの原動力です」

──ロンドン交響楽団との来日を前に、音楽監督ラトルに訊く

サー・サイモン・ラトル
特別インタビュー

TEXT BY NAHOKO GOTOH

サー・サイモン・ラトルとロンドン交響楽団[以下、LSO]。2017年に始まったこの黄金のコンビは、その後の英国のブレグジット政策や世界的な新型コロナウィルスの感染拡大を受け、当初期待されていたよりも短命となってしまった。ラトルはパンデミックを機に「今後はより家族と一緒に過ごす時間を大切にしたい」と表明、2022/23年のシーズン末に音楽監督を退き、その後は名誉指揮者として同団と関わっていくことになった。したがって、9〜10月の来日公演は、このコンビとしては最後になると思われる。

サー・サイモン・ラトル(指揮者)
Sir Simon Rattle, conductor

英国リヴァプール出身。バーミンガム市響を率いたあと、2002~18年にはベルリン・フィルの芸術監督として活躍。2017年からロンドン響の音楽監督となり、23年からは名誉指揮者となる。また同年からバイエルン放送響の首席指揮者に就任予定。
現在に至るまで一貫してクリエイティヴな活動を続け、70以上の録音は高い評価を得、また教育プログラムの推進など新しい分野も開拓し、数多くの賞を受賞している。個人としても名誉ある賞をいくつも授与されており、1994年にはナイトの称号を与えられた。
客演も多く、ウィーン・フィル、シュターツカペレ・ベルリン、ボストン響、フィラデルフィア管をはじめ、世界各地の主要楽団と長年にわたる強い信頼関係を築いている。オペラの指揮でも、近年ではMETでの《ばらの騎士》、ベルリン国立歌劇場でのヤナーチェク《マクロプロス事件》、エクサンプロヴァンス音楽祭での《トリスタンとイゾルデ》など、注目すべき成果を残している。
©Oliver Helbig

結果的には短い任期となったが、指揮者とオーケストラの結束の固さの点ではロンドンの楽団の中でも随一であったと思う。通常は新しい音楽監督や首席指揮者が着任すると、お互いにとってのベストな関係に到達するのにしばらくかかることが多いが、彼らの場合はそうした序奏期間がなく、最初のシーズンからすでに高い完成度を達成していた。それは、多くの奏者たち(特に年長の奏者たち)とラトルは、英国ナショナル・ユース・オーケストラや王立音楽院といった音楽的基盤を共有しており、気心の知れた仲間として肩肘張らずに音楽を作ることができたからである。

ラトル自身、この5年間の関係についてこう語る。

「ワインにたとえれば、LSOはいつだって極上の白ワインです。もちろん国民的な特色はあります。さらりと柔軟にさまざまなスタイルに適応する能力があるのは特に英国的な特色といえましょう。私が昔から英国の音楽家たちの気質で好きなのは、何でもとにかくトライすることです。彼らはつねに将来のことを語ります。それに加えて、英国人のユーモアのセンスですね──彼らは何についても笑い飛ばします。LSOと仕事をする時、もちろん115年の歴史を持つオーケストラと仕事をしているわけですが、でも彼らはけっしてその伝統の上にあぐらをかくことはありません。つねに未来を向き、『次は何をすべきか、どんな新しいことができるか』について考えています。私にとってそのことは新鮮でしたし、心動かされました。彼らのこうした不屈の精神が、ブレグジットやパンデミックによって演奏旅行を中心としたオーケストラの活動に大きな影響があった時にも、それを乗り越える原動力となったのです」

@Mark Allan

コロナ禍のロックダウン中はLSOとしても活動休止を余儀なくされたが、その後、無観客ながら活動再開が可能になるとすぐに自分たちの活動の拠点であるLSOセントルークス[ふだんは小規模な公演やリハーサル、レコーディング等に使っている、教会を改築した音楽センター]においてさまざまな活動を展開した(建物の外に仮設PCR検査場を設置して、連日検査をしながら活動を続けたという)。ラトルも入国制限の中、何度もベルリンとロンドンを往復した。

ロンドン交響楽団
London Symphony Orchestra
ロンドン響(LSO)は1904年創設。「多くの人々に素晴らしい音楽を届けたい」という起業家精神のもと、楽団員により運営される。英国最高にして世界屈指のオーケストラとして伝統のサウンドをもち、各時代の一級の演奏家と名演を繰り広げている。現在は音楽監督サー・サイモン・ラトル、首席客演指揮者にジャナンドレア・ノセダとフランソワ=グザヴィエ・.ロト、桂冠指揮者マイケル・ティルソン・トーマスを中心に結束して活動を行っている。2021年3月には、アントニオ・パッパーノが2024年9月から首席指揮者に就任することが発表された。
年間60回を超えるコンサートを行い、世界の音楽都市も定期的に訪れる。またライブストリーミングやオンデマンドによるインターネット配信も視野に入れた公演企画や放送提携を通して、世界各地の聴衆とふれあっている。
自主レーベル「LSOライヴ」は大成功で、教育、メディアにも深く関わる。「スターウォーズ」などの映画音楽でも有名である。公式サイト:https://lso.co.uk/
©Ranald Mackechnie

「LSOはセントルークスという自分たちの建物があったので、他の団体よりも早く活動を再開することができました。私がロンドンに来る機内で濃厚接触者となってしまい、リハーサルや公演に出られずホテルの部屋で隔離しければならないという事態もありましたが、それを除けば、私たちはこの時期に沢山のことを達成できたと思います」

その一つが2020年秋にLSOセントルークスで行われたバルトークの《青ひげ公の城》の収録プロジェクトであった。本来、その時期に予定されていたラトルとLSOの二度目の来日ツアーは残念ながら中止となってしまったのだが、その代わりにLSOはこの《青ひげ公の城》を世界に先行して日本向けに無料ストリーミングしてくれたのだ――ラトルの心のこもったメッセージと日本語字幕を付けて。来日できない状況においても、日本の観客とのつながりを大切にしてくれたことは多くの日本のファンの心に届いたことだろう。

ラトル自身はその時のことをこう振り返る。

「2020年に来日できなかったことは残念でしたが、テクノロジーを通して日本の皆さんとつながることができ、日本向けに《青ひげ公の城》を配信することができたのは大きな成果でした。こうしたスタジオでの収録プロジェクトは、コンサートとは別のエネルギーがあって、作品をさらに深く掘り下げる可能性に満ちていると思います。とくに《青ひげ公の城》はスタジオで収録したことで、より緊密な雰囲気を作り出すことができました。

パンデミックの諸制限の中でどうすれば仕事を創出し、演奏し続けることができるかについて考えることを強いられなければ、こうしたプロジェクトは生まれなかったでしょう。もちろんライヴの聴体験とは違いますし、舞台で再び演奏できるようになってよかったですが、舞台から離れている間にも私たちは沢山のことを学び、得たともいえるでしょう」

さて、2021/22年のLSOは国外での活動もフルに再開した。2021年夏のエクサンプロヴァンス音楽祭でのレジデンシー(ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》舞台公演を含む)に続き、9〜10月にはフランス、ドイツ公演、さらに今年3月には北米西海岸のツアーを行った。LSOはもともとロンドンのオーケストラの中でも海外公演の数が多く、とりわけウィズコロナ時代の国外移動に関してはさまざまな困難があったと思われるが、そうした状況を奏者もスタッフも一体となって乗り越え、再びLSOの演奏を各地に届けている。その意味で、なかなか感染が収束しない現在の状況の中でも、9月にはきっと万難を排して来日してくれるだろうと確信している。

さて、ラトル&LSOは今回の日本ツアー(2022年9月30日〜10月9日、7都市8公演)のために最強のプログラムを組んできた! そこには、このコンビとしての集大成を日本の聴衆に届けたいという強い意気込みが感じられる。通常のオーケストラの来日ツアーではせいぜい3つのプログラムで6〜8曲だが、今回はなんと13曲を、それぞれのホールの響きやニーズに合わせてさまざまに組み合わせ、5種類のプログラムを用意。フランス音楽(ベルリオーズ、ドビュッシー、ラヴェル)からブルックナー、シベリウス、ワーグナー、R.シュトラウス、英国の誇るエルガー、ラフマニノフ、バルトーク、そして武満徹まで、まさにラトルとLSOの多芸ぶりがうかがえる。しかも、ブルックナーとシベリウスというきわめてシブい組み合わせ(プログラムA/サントリーホール、札幌コンサートホールKitara)もあれば、フランス音楽とブルックナーという意外な組み合わせ(プログラムA1/京都コンサートホール、愛知芸術劇場コンサートホール)もあり、どれを聴くか迷ってしまう。

「かねてよりブルックナーとシベリウスは親和性が高いと思っていました。なぜならブルックナーもシベリウスも自然を中心にした音楽を作曲したからです」

とラトルはプログラムの意図を説明する。

「そうした考えから、今回は敢えてブルックナーの交響曲第7番とシベリウスの交響詩を組み合わせてみようと思いました。というのも、過去30〜40年においてモーツァルトのピアノ協奏曲とブルックナーの組み合わせが一般的になりすぎて、新鮮味がなくなってしまったように感じるからです。むしろ、ある曲を別の音楽と組み合わせることで、これまでと違った色彩をどう引き出せるかに興味があります。したがってもう一方のプログラムでは、ふだんは一緒に演奏することの少ないブルックナーとフランス音楽を組み合わせてみました。ブルックナー、ドビュッシー、ラヴェルの組み合わせは何よりもLSOにぴったりなプログラムですし、これまでと違ったブルックナーの色彩を明らかにしてくれることでしょう」

Sibelius Symphony No 7 // London Symphony Orchestra & Sir Simon Rattle

なお、今回ブルックナーの交響曲第7番において、ラトルはベンヤミン=グンナー・コールスの新しい校訂版を使用するという。

「コールス氏がこの版で成し遂げたことは、ブルックナーの交響曲第7番を何も書き込まれていない状態、すなわち他人の好みに汚染されていない状態に戻してくれたことだと言えます。とりわけ、ブルックナーの当初の構想ではいかにテンポの指示が少なかったかには驚きますし、むしろ彼の作品におけるテンポの変更は彼の意図というよりも演奏の慣習によるところが多かったことが明らかになりました」

一方、この英国コンビでエルガーの雄大な交響曲第2番を聴くのは格別な体験となるだろう(プログラムC/ミューザ川崎、北九州ソレイユホール)。先日のオンライン記者会見でラトルは、ミューザ川崎の音響でエルガーを演奏したいと思ったから選んだと語っており、日本のホールの特質を知り尽くした彼ならではの心配りだと感じた。プログラム前半は、昨年エクサンプロヴァンスで演奏した《トリスタンとイゾルデ》より「前奏曲と愛の死」に続き、ミューザではLSO首席奏者ユリアーナ・コッホによるR.シュトラウスのオーボエ協奏曲、北九州ではチョ・ソンジン独奏のラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」がカプリングされている。

そしてシベリウスやバルトークを含むBプログラム(サントリーホール、フェニーチェ堺)で演奏する武満作品については次のように語る。

「武満徹のファンタズマ/カントス IIは、トロンボーンとオーケストラのための驚くほど美しい歌で、私にとってパーソナルなつながりのある作品です。私は武満氏と多くの時間を一緒に過ごし、彼の作品の初演や演奏に携わりましたので、東京に来て彼がいないことに今でも慣れませんが、彼とのつながりを大切にしたいと思っていて、日本を訪れる際には、これほど偉大な作曲家がこの国にいたことを皆さんに改めて思い出してもらいたいと願っています。ソロを務めるピーター・ムーアはまだ若い奏者ですが、18歳でLSOの首席トロンボーン奏者に就任したので団員になって十年以上になります。もちろん、オーケストラ奏者の場合、経験も大事ですが、彼のような音楽家は傑出した天賦の才能に恵まれており、そうした奏者をソリストとして起用できることは大きな喜びです」

最後に、2018 年の日本ツアーの思い出を語ってくれた。横浜みなとみらいでの最終公演の際、リハーサル後にプレイヤーたちと隣接する遊園地に行ったのだそうだ。

「マーラーの交響曲第9番の演奏の前に指揮者とオーケストラ奏者数人がジェットコースターに乗ったのは、世界初かもしれません!」

とラトル。このコンビを象徴するような愉快なエピソードだ。 こうして短いながら濃密な関係を築いてきた音楽監督ラトルとLSOのラスト・ジャパン・ツアー。実現しなかった2年前の来日の分の思いも込めた数々の熱演が、各地で繰り広げられるにちがいない。

©Mark Allan