ALEXANDRE
KANTOROW
INTERVIEW

アレクサンドル・カントロフ
特別インタビュー

Piano

ALEXANDRE KANTOROW

Libre de droit Sasha Gusov

冷静な眼差しと燃え立つようなパッションの
両面を持ち合わせるピアニズム。
本能的な感覚を大事にして
選曲した作品への挑戦。

アレクサンドル・カントロフ
特別インタビュー

TEXT BY KYOKO MICHISHITA
PHOTOGRAPHS BY SASHA GUSOV

2019年チャイコフスキー国際ピアノコンクールで優勝したアレクサンドル・カントロフは、昨年11月に来日し、リサイタルを行なった。2015年に関西フィルハーモニー管弦楽団と共演するために大阪を訪れて以来の来日であった。

そのリサイタルでは、若きブラームスの《4つの小品》作品10&《ピアノ・ソナタ 第3番》と、リストの「ソナタ風幻想曲~ダンテを読んで」(《巡礼の年第2年「イタリア」》より)を披露した。

カントロフは抜群の聴感覚の持ち主で、ホールを楽器のように鳴り響かせ、音を絶妙にコントロールする技量は見事としか言いようがない。彼の音にはパワーがあるが、透き通るような美しさを湛えており、鈍重に威圧する演奏とは無縁だ。分厚いテクスチュアの《ピアノ・ソナタ第3番》や、「ダンテを読んで」のような地獄の恐ろしさを表わす圧倒的な技術を駆使した作品でも、明晰なタッチを通して楽譜を隅々まで丁寧に再現していく。リストにおける減音程や増音程の生み出す地獄の世界と同時に、オペラを思わせるレチタティーヴォのような表現、そして静寂は心に迫る。また、ブラームスの小品集における第1曲の内省的な陰鬱さや第3曲の破天荒な躍動性、そして第2曲や第4曲の慰撫するかのような叙情性など、若きブラームスのメンタリティに寄り添った演奏を聴かせてくれた。

自身の内面の思想を雄弁に語ることのできる、20代とは思えぬ成熟したピアニストである。

昨秋の来日の折、今年6月の東京・名古屋・大阪でのリサイタルについて、話を訊いた。

2022年夏のプログラムについて教えてください。

アレクサンドル・カントロフ(ピアノ)
Alexandre Kantorow, Piano

22歳で挑んだ2019年のチャイコフスキー国際コンクールにおいて、フランスのピアニストとして初めて優勝。
演奏活動と録音活動のいずれも、各地の批評家たちから絶賛を浴びている。今やフランス・ピアノ界のホープとして定評のある彼は、早くに演奏活動を開始。16歳の時、ナントとワルシャワのラ・フォル・ジュルネ音楽祭から招かれシンフォニア・ヴァルソヴィアと共演して以来、数多くのオーケストラからソリストとして招かれており、とりわけゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団と定期的に共演を重ねている。
またアムステルダムのコンセルトヘボウ、ベルリンのコンツェルトハウス、フィラルモニー・ド・パリ、ブリュッセルのボザールなどの一流ホールで演奏を披露し、ラ・ロック・ダンテロン国際ピアノ音楽祭、ジャコバン国際ピアノ音楽祭、ハイデルベルク春の音楽祭などの著名な国際音楽祭に出演している。
録音では、デビュー・アルバム『A la russe』(BIS)が、クラシカ誌の年間最優秀ショク賞に輝き、ディアパゾン誌、ピアノニュース誌の特薦盤に選ばれるなど、広く注目され高い評価を得た。BISレーベルからは、『リスト:ピアノ協奏曲集』、『サン=サーンス:ピアノ協奏曲第3・4・5番』(ディアパゾン・ドール賞と年間最優秀ショク賞2019を受賞)、最新盤『ブラームス、バルトーク、リスト』(ディアパゾン・ドール賞と年間最優秀ショク賞2020を受賞)がリリースされた。
2019年、フランス批評家協会賞の年間最優秀新人音楽家部門を受賞。
2020年には、先述のサン=サーンスの協奏曲アルバムで、フランスの最も権威ある音楽賞「ヴィクトワール・ド・ラ・ミュジク・クラシック」の2部門(年間最優秀録音部門/年間最優秀器楽ソリスト部門)を同時受賞するという快挙を成し遂げた。
これまで、ピエール=アラン・ヴォロンダ、イーゴリ・ラシコ、フランク・ブラレイ、レナ・シェレシェフスカヤに師事する。サフラン財団賞および、バンク・ポピュレール財団賞を授けられ、助成を受けている。

アレクサンドル・カントロフ(以下K):私はプログラムを作るとき、まず、ぜひ自分が演奏したい曲をひとつ選びます。今回の場合、シューマンの《ピアノ・ソナタ 第1番》でした。

シューマンのこのソナタには、極端な両面性があります。また、シューマンの初期の創作ですが、彼の不安定さが現われています。ここから一体どこへ進むだろうかという疑問が湧きあがってきます。暗い作品ですが、明るい部分もあり、音楽はハッピーエンド的に終わりますが、どことなく落ち着かず、完全にハッピーではない。彼のパニックに陥りそうな感情が強く表れている創作だと思います。

そして、リストをいくつか演奏します。シューマンを演奏する前に、《J.S.バッハのカンタータ「泣き、嘆き、悲しみ、おののき」BWV12による変奏曲》をとり上げるのは、とても良いと考えました。この作品は、ある面でシューマンと似ています。音楽には半音を含むモティーフが多用されています。実際、その表現のなかに、人間が永遠に彷徨うような不安や怖さを感じるのではないでしょうか。

スクリャービンの作品にも、そのような印象を覚えます。人類の後には何があるのだろうか、音楽の向こうに何が待ち受けているのか…そういう謎めいた部分をスクリャービンが探求していたのではないかと思います。

シューマンの《ピアノ・ソナタ 第1番》は、比較的早い時期に書かれた作品ですね。

K:確かに、シューマンの若いころの作品ですが、その書法はシューマンらしいと言いますか、彼特有の両面性も感じられます。この時点で、彼の創作には成熟ぶりが感じられます。

この作品には、最初から大きな悲劇を感じます。第1楽章のイントロダクションだけでも、ひとつの作品になるような完成度です。彼は、この作品の構成に真摯に向かい合い、それまでのソナタ形式ではないものをここで提案しています。どちらかと言うと、ベートーヴェンの幻想的な《ピアノ・ソナタ 第14番「月光」》のような路線を探っていたのではないかと思います。

一方で、スクリャービンの《焔に向かって》は晩年の作品ですね。

K:このプログラムの後半は、「人類の向こうに何があるのか、音楽の向こうに何が待ち受けているのか」。そのような疑問を、スクリャービンは探求していたのではないかと思います。実際、音楽はすべての分子に熱を帯びさせ、それが光を放って爆発を起こす…と言うようなことが書かれています。

「私にとって、リストはロマン派のなかで最も重要な作曲家のひとりです」とカントロフは語る。かつて、父の指揮でもリストのピアノ協奏曲をレコーディングした。昨秋のリサイタルでも、今回演奏するリストの「ダンテを読んで」を取り上げている。今回のリサイタルではその他に、「ペトラルカのソネット第104番」(《巡礼の年第2年「イタリア」》より)、《別れ》、《悲しみのゴンドラ》も演奏する。

このプログラムのリストの作品には、後半生の創作も含まれていますね。

K:リストは、とても好奇心旺盛で、自分のまわりにあるすべてのものから触発を得ようとしていました。年齢が進むとともに、そのような欲望が非常に強くなってきましたし、音楽的にもそうだと思います。ただし、彼の後期の創作には、彼の欲望はそれほど反映されていません。規模も小さくなり、調性も超越し、どちらかと言うと、印象派に近い音楽になっていきます。

同じようなことが、スクリャービンにも起こっていると言いますか、ふたりとも同じようなことを思っていたのではないかと考えます。彼らは、ピアノの演奏では到達できないような、さらなる何かを創作しようとしていたのではないでしょうか。謎めいているものが、彼らの作品にはありますよね。それでも、最終的にはシンプルな形で作曲をするようになっていく点は興味深いです。

プログラムを決めるときは、「本能的な部分に頼っています」と教えてくれた。次回のレコーディングでは、ブラームスもリストも規模の大きな作品をとり上げたいという。

カントロフの演奏を聴いていると、冷静な眼差しと燃え立つようなパッションの両面をもち、名ヴァイオリン奏者の父の演奏を想起させる。

お父さまのヴァイオリンの演奏を、私はライヴで聴いたことがあります。フランクの《ヴァイオリン・ソナタ》でしたが、とても情熱的でした。

K:彼は、よく日本を訪れていたと思います。僕のそばには、いつも父がいました。知らず知らずのうちに、僕は父から音楽を学んでいたのだと、最近とくに感じるのです。

父はヴァイオリンを弾くとき、直感をとても大事にするタイプです。いつも感情を前面に押し出す演奏をする人です。彼の音楽を聴いていると、ヴァイオリンを聴くというよりも、彼のエネルギーそのものを聴いている印象が自分にはあります。

父と最初の頃に弾いたのは、フランクの《ヴァイオリン・ソナタ》だったと思います。二人でコンサートをやった時も、フランクのその作品を演奏しました…昔のとても良い思い出が蘇りますね。近年、父はヴァイオリンの演奏を再開しましたので、また一緒に弾くようになりました。

ご両親ともにヴァイオリニストですが、カントロフさんはなぜピアニストに?

K:子どものころの私は、面倒くさがり屋でして(笑)…ヴァイオリンもやってみたのですが、自分には向いていないことがわかりました。そういう意味では、ピアノは自然でした。楽譜を早く読むことのできる子どもだったようで、音符の一つひとつをゲーム感覚で覚えていくことができました。ヴァイオリンとは違い、ピアノは鍵盤に触れるだけでその音を出すことができ、すぐに曲を弾けるという満足感に満たされました。

読譜の早い子どもでしたが、作品を掘り下げて解釈していくには、勉強も必要です。そのようなレヴェルに達するまでには、やはり時間はかかります。

このインタビューのあとに開催されたトッパンホールでのリサイタル2公演は、完売の盛況だった。ホールには著名なピアニストも多く訪れ、カントロフの注目度の高さを知ることとなった。同世代の彼の演奏を聴き、刺激を受けたという若手ピアニストも少なくない。

世界の音楽ファンが熱いまなざしを注ぐ稀有な天才、アレクサンドル・カントロフの演奏をぜひ聴いていただきたい。