KIYOSHI
SHOMURA
INTERVIEW

荘村清志 スペシャル・プロジェクト vol.4
デビュー50周年特別公演

Guitar

KIYOSHI SHOMURA

あふれ出た想いがギターを通して歌になる
2020年、荘村清志の新たなる挑戦

ギタリスト・荘村清志インタビュー

TEXT BY SATOSHI OGAWA
PHOTOGRAPHS BY YURI MANABE

50年で変わったギターとのかかわり方

2019年にデビュー50周年を迎え、ますます活動を充実させている荘村清志。

ほとんど前例のなかったクラシックギターでの海外留学を終えて21歳で華々しくデビュー。東芝EMIからアルバムのリリースやNHK教育テレビ「ギターを弾こう」への出演、武満徹に初のギターソロ作品を委嘱し、日本人ギタリストとして初めてNHK交響楽団と協演するなど、若くして輝かしいキャリアを積み上げ、50年を経たいまも第一線で活躍し続けている。誰の目からも順風満帆な音楽人生を送っているように見えるが、昨年、朝日新聞の連載「人生の贈りもの」で半生を振り返るなかで、二度の大きな「挫折」があったことを語っている。

「9歳から親父に教え込まれてギターを始めましたが、最初は自発的ではなくて、ギタリストになりたかった親父の夢を託されただけでした。スペインで4年間ナルシソ・イエペス先生に師事していたときも『修行』のような感覚。好きでギターを弾いているというより、『とにかくうまくなりたい』という気持ちで何時間も練習をしました。そんな状況でデビューリサイタルを迎えたので、終わったあとものすごい空虚感に襲われて。技術的には完璧に近い状態だったと思いますが、内容的に自分で物足りないし、何より演奏していて楽しくなかったんです」

デビューリサイタルのあと、充電期間を作り、ギター以外のことに触れる時間を増やすことで、このとき壁を乗り越えられたという。しかし、根本的な原因を突き止められなかったことで、二度目の挫折を招くことになる。1994年、サントリーホール大ホールで開催されたデビュー25周年記念リサイタル。荘村のために書かれた武満徹3作目のギターソロ作品《エキノクス》の初演を含む、今日振り返っても歴史的に重要な公演だ。

「これがまたすごいプレッシャーで、『みっともない演奏はできない』と自分で自分を追い込んでしまいました。演奏会前1ヵ月もまともにご飯が食べられなかったのは、後にも先にもこのときだけです。練習の仕方も若いときのような方法に戻ってしまい、難しいパッセージばかり抜き出して何度もさらって。もう弾けているのに、不安を克服するためにまた弾いてしまう。これだと技術的には弾けても、リスクをとらない消極的な演奏だから、本当の意味で弾けているとは言えません」

「ただ、サントリーホールで弾いた1週間後に、大阪のいずみホールで同じプログラムを弾いたときは、すごく清々しい演奏ができたんです。本番当日までギターにまったく触(さわ)れませんでしたが、その前にさんざん練習しているから指は覚えている。心理的な面がどれだけ音楽に影響を与えるのか実感し、驚きました。それと無駄な力を省くこと、つまり脱力の重要性に気づいて、演奏スタイルや練習方法を徹底的に考え直しました。最終的には5年くらいかかりましたが、いますごく楽に弾けるようになったのは、このときの『挫折』があったおかげだと思います」

気持ちを込めて「歌う」ことが楽しい

荘村がギターの演奏を見つめ直していた1990年代後半は、人間関係でも不幸が重なった時期だった。1996年には、作品の委嘱をきっかけに親密な関係を続けていた武満徹、1997年には師ナルシソ・イエペス、そして1998年には父親と、自身の人生に大きな影響を及ぼした人々が続けて他界した。一方で、現在では荘村にとって無二の愛器ともいえるイグナシオ・フレタは、父の死をきっかけに「再会」することができたという。

荘村清志(ギター)
Kiyoshi Shomura,Guitar

9歳よりギターを始める。1963年に巨匠イエペスに認められ、翌年スペインで師事。67年と68年にはヨーロッパ各地でリサイタルを行ない、69年の日本デビューで、「テクニック、音楽性ともに第一人者」との高い評価を得た。71年には北米で28に及ぶ公演を行い、国際的評価を不動のものにした。74年にはNHK教育テレビ「ギターを弾こう」に講師として出演し、一躍全国にその名と実力が知られることになった。2007年NHK教育テレビ「趣味悠々」のギター講師として再登場し、改めて日本ギター界の第一人者としての存在を強く印象づけた。2008年ビルバオ交響楽団の定期演奏会に出演。同団とは《アランフェス協奏曲》を録音、09年にCDをリリース、日本ツアーのソリストとして同行し好評を博した。2015年10月にはイ・ムジチ合奏団と共演、レコーディングを行い、ジュリアーニ、ヴィヴァルディのギター協奏曲を含むアルバムが16年1月にリリースされた。17年から20年にかけてギターの様々な可能性を追求する「荘村清志スペシャル・プロジェクト」(全4回)に取り組んでおり、第1回は17年にさだまさしと、第2回は18年6月(いずれも東京オペラシティコンサートホール)にcoba、古澤巌、錦織健と共演し、ジャンルの垣根を越えたコラボレーションが話題となった。本年はデビュー50周年に当たり、5月に初のバッハ・アルバム「シャコンヌ」をリリース、全国各地でリサイタルを行っている。現在、東京音楽大学客員教授。

「スペイン留学中に入手したフレタは、当時は音の良さがわからず、ずっと親父が使っていました。そのフレタが、親父が亡くなって僕のもとに戻ってきて。最初は使うつもりはなかったのですが、当時使っていた楽器を長期間修理に出さなくてはいけなくなったとき、必要に迫られて使ったら、フレタの音のクオリティの高さに気づいたんです」

このことは1990年代後半に、荘村が演奏に対する方針を大きく転換したこととも無関係ではないだろう。昔ながらの銘器は、タッチに繊細さが求められるかわりに、幅広い表現を可能にしてくれる。若いときは「うまくなりたい」という気持ちだけで弾いていたギターを、本当に好きだと感じられるようになったのもこのころからだという。

「感情が自分の中から飛び出ていくのは楽しいですよね。感情が内に籠ってしまうと辛いし、苦しい。やっぱり泣いたり笑ったりしたい。50歳をすぎて、いままで経験した苦しみ悲しみ楽しみ、いろいろなものが音を通して外へ出ていくようになってから、ギターを弾くのがすごく楽しくなりました。ヴィブラートをかけるのも気持ちのあらわれで、何回やるかとか考えるのではなく、あふれ出た気持ちが自然と指に伝わる。ギターは音が減衰するので歌わせるのが難しいですが、歌心のある人とない人ではすごく差が出ますよ」

「武満さんの《ギターのための12の歌》も、『楽しくギターを弾いてほしい』という意図で書かれています。楽しむということは歌うこと、自分の気持ちを込めて弾くことです。世界中の美しいメロディーをギターのために編曲すれば、旋律に酔いしれて弾けるんじゃないか、という親心みたいなものですよね。武満さんは生前よく、いろいろな『窓』をオープンにして新しい風を吸収しなさい、ということを言っていました。たとえばラジオを聴いていて気に入った曲に出会うと、私に電話をくれたりして。ギルバート・オサリバンの《アローン・アゲイン》を教えてくれたときのことなんてよく覚えていますよ」

いまだからこそできるスペシャル・プロジェクト

谷川俊太郎や岸田今日子、小室等をはじめクラシック音楽家に限らない幅広い交友関係や共演歴のある荘村だが、2017年から続くスペシャル・プロジェクトは、そのような荘村の活動の幅広さを端的に表した企画ともいえる。Vol.1のさだまさしとの共演では、幼少時から本格的なヴァイオリンの教育を受けてきたさだまさしの音楽性を引き出した。

「単にお互いのソロとか、僕が伴奏するだけじゃつまらないから、さださんのヴァイオリンと僕のギターでピアソラをやりましょうと提案しました。本番1ヵ月前はうまく合わなかったのに、1週間前のリハーサルでは完璧に仕上げてきてて。結局、本番がいちばんいい演奏。ミュージシャンとして素晴らしいのはもちろんですが、頭の回転がはやくて話が面白いし、サービス精神も旺盛。とてもショーマンシップのある方ですよね」

3月29日にサントリーホール大ホールで行われるスペシャル・プロジェクトの最終公演Vol.4はコンチェルト特集。代表的なロドリーゴのギター協奏曲2曲に加え、この日のために新作を委嘱している。武満徹、三善晃、間宮芳夫、猿谷紀郎など、若手時代から一貫して日本人作曲家の新しいギター作品にこだわり続けた荘村らしい企画だ。今回、アコーディオン奏者としても活躍するcobaに委嘱したのはどのような経緯からだったのだろうか。

「cobaさんにはこれまで2回、新作を委嘱していますが、最初に委嘱する以前に、cobaさん、古澤巌さん、東儀秀樹さん三人での演奏会を聴きに行ったことがありました。そのときに聴いたヴァイオリンとアコーディオンのための作品がとても良い曲だったんですね。それから、毎年違う人に新作を委嘱しているHakujuギター・フェスタで、例外的に2年続けて書いてもらいました。それがまた素晴らしい曲で。cobaさんはある意味メロディーメイカーの作曲家だと思います。今回も良い曲を書いてくれるだろうという確信をもってお願いしました。ちなみにこのギター・フェスタは2006年から白寿ホールが主催してくださって、福田進一さんと一緒に毎年プロデュースしていますが、3日間にわたってギター音楽の魅力をお楽しみいただくギターの祭典です」日本だけでなく、世界のギタリストたちにとってギター作品の金字塔となった《フォリオス》を、荘村が武満に委嘱してから50年近く。20世紀初頭には乏しかったギターのレパートリーは、セゴビア、イエペス、ブリームといった名演奏家たちが作曲家へ積極的に働きかけたことで格段に広がっていった。日本ではまぎれもなく荘村がその原動力となり、今では日本人作曲家によるギター作品は数えきれない。しかし、荘村はまだまだ足りないという。たしかに、演奏会で取り上げられるギター協奏曲は今も《アランフェス協奏曲》一辺倒だ。

「可能性を求めていって、レパートリーを広げるのは大事なことだと思います。とくに日本人の素晴らしい作曲家に、良い作品を作ってほしい。僕が委嘱した作品を次の世代のギタリストたちがうまく弾いてくれているのを聴くと、抱きしめたいくらい嬉しい気持ちになります(笑)。作品に対しては演奏家というより作曲家の目線ですね。誰が委嘱した作品でもギタリストみんなで共有してどんどん弾いていくべきですし、それが叶うのは喜ばしいことだと思います。今回cobaさんに委嘱したコンチェルト“Tokyo”も、いろいろな人に弾き継いでいってほしいですね」