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2020/05/16 | ニュース

◆スタッフが語る「あの演奏家・思い出エピソード」(3)―― ショルティ編


第3回は、これまた歴史的な大巨匠。熱血指揮者のゲオルク・ショルティです。
ショルティといえば、シカゴ交響楽団の方がイメージとして先にたちますが、これは1994年、ウィーン・フィルと来日したときのこと。

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1994年秋の夕方、オフィスに電話が鳴りました。
「おい、いっしー。Sさんからだよ」

Sさんは当時の私の直属の上司で(現在もおります)、ショルティさんの担当をしていました。ウィーン・フィルそのものは某会社の招聘だったのですが、ショルティさんに関しては弊社が契約していたのです。

「すまないが、大至急ホテル〇〇に行って、マエストロの忘れ物をピックアップして、神奈川県民ホールに来てもらいたいんだ。とにかく大至急!タクシーを使ってもいい。前半が終わるまでには必ず間に合わせてくれ。その忘れ物は君に渡してもらうよう、ベル・キャプテンに頼んである」

「わかりました!すぐ向かいます。
あのぉ、ところで忘れ物とは?」
「・・・」
「え、聞こえないんですが」
「・・・(パンツだよ)」
「えっ!パンツ!?アンダーパンツですか??」
「そうだよ!四の五の言わず、早く行け!!」

というわけで、ダッシュでまずはホテルへ。
打合せ通り、ベルボーイさんが預かってくれていて、「確認、お願いします」と言われますので、複雑な思いで紙袋の中をのぞくと、うん、洗濯したての白いパンツですね。

受け取って今度は横浜の神奈川県民ホールへダッシュ。本当にタクシーで行ったのか、電車で行ったのか、ちょっと覚えていません。ただ、その間に「マエストロはあれだけ精力的に振るからなあ。きっと汗びっしょりになって着替えたいんだろうなあ」と想像を巡らせていたことだけは覚えています。そう、これは大事なミッションなのです。

ところでこの日のウィーン・フィルの演目はストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」とチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。ということは19時半には着いていないと・・・。

19時20分くらいにホールに着きました。Sさんもホテルのベルボーイの連携もよかったし、とホッとします。
すぐに楽屋に向かうと、Sさんが「よかった!でかした」と安堵の顔で言ってくれました。

そして「ペトルーシュカ」の演奏が終わり、マエストロ・ショルティが何度かの盛大なカーテンコールを受けて楽屋に戻ってきました。すると開口一番、「パンツは?」。
Sさん「私の部下が間に合わせてくれました」
マエストロは「Oh――!Thank you!!!これは本当に大事なミッションだったんだ。着替えてさっぱりして後半を新たな気持ちで指揮することは、自分にとっても音楽にとってもMustだからね」といったことを言いながら、強烈な力で握手してくれました(早口なので正確に聞き取れていたかわかりませんが・汗)。
当時、御年82歳。
そして、「ちょっと待っててくれ」と奥に行ったかと思うと、CDを1枚持ってきてくれ、そこで速攻でサインをし、「お礼だよ」と言って私にくれたのです。
感激です!・・・今でも「パンツのお礼CD」(笑)として、家宝のように大切に持っており、今でもたまに聴きます。(1969年にウィーン・フィルを指揮したシューマンの交響曲第1、2番の録音です。ものすごくアクティヴな演奏)



そうして後半のチャイコフスキー「悲愴」は舞台袖から聴くことができ、私はなんだか清々しい気分でいました。
演奏もマエストロの精密さとバイタリティが一緒になった指揮とウィーン・フィルの柔らかく雅な響きがとけあって、実にしなやかなチャイコフスキー。

この時の来日では、そのあと、インタビューなどでも立ち会うことができ、その音楽と一緒で、ショルティさんは年齢関係なくいつまでも気持ちが前向きで、すこぶる元気。「今はショスタコーヴィチが面白いんだ。ここ数年の大発見だよ」とそのスコアを持ち歩き、目をキラキラ、いやギラギラさせていました。
なんて魅力的な人なんだろう!と私も一緒にいて、気持ちが高揚したのを覚えています。

亡くなられたのはそれから3年後でしたが、それだけに信じられない思いがしたものです。
 

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