ALEXEI
VOLODIN
PIANO
RECITAL

アレクセイ・ヴォロディン
ピアノ・リサイタル 2019
「Fairy Tales」

Piano

Alexei Volodin

ロシアン・ピアニズムが伝える
ファンタジーとユーモア

ピアニスト アレクセイ・ヴォロディン インタビュー

TEXT BY ARISA IIDA
PHOTOGRAPHS BY KAORI NISHIDA

最初の一音から、人を惹きつけて止まないアレクセイ・ヴォロディン。ロシア人作曲家によるピアノ作品はとかく音数が多いが、音楽を複眼的に捉えるヴォロディンの演奏は、クリアに整理された幾重もの声部が、大きなうねりとなって進んでゆく。羽のように和やらく軽やかな響きから、大地が割れるかのような深みある轟音までを自在に操り、どんなに長大な作品も、まるで一瞬のことだったかのような不思議な充実感を聴き手の心にもたらしてくれる。

そんなヴォロディンが、2019年秋のリサイタルを「Fairy Tales」と題した。これは、ニコライ・メトネルの作品「おとぎ話集」、そしてチャイコフスキー(プレトニョフ編曲)のバレエ「眠れる森の美女」組曲という、物語をテーマとした作品をプログラムの中心に据えたことで掲げられたタイトルである。 20世紀前半に活躍したメトネルとその音楽は、今日でこそ日本でも知られるようになってきたが、作曲家の、そしてヴォロディン自身の祖国であるロシアでも、知名度については日本と違わないという。

アレクセイ・ヴォロディン(ピアノ)
Alexei Volodin, Piano

1977年レニングラード生まれ。モスクワ音楽院でヴィルサラーゼに師事し、2003年にはチューリヒのゲザ・アンダ国際コンクールで優勝。以後ゲルギエフ、アシュケナージ、ナガノらの指揮でロンドン響、マリインスキー劇場管、モントリオール響、N響などと共演、ウィーン・コンツェルトハウスやフィルハーモニー・ド・パリなどで定期的にリサイタルを開いている。今シーズンはローマ・サンタ・チェリーリア管やロイヤル・フィルなどに招かれ、ほかにもロンドンのインターナショナル・ピアノ・シリーズや、アムステルダムのコンセルトヘボウでのマスター・ピアニスト・シリーズに登場する。録音も多く、ラフマニノフ、シューマン、ラヴェル、スクリャービンの作品集を出し、最新盤はゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管との共演によるプロコフィエフのピアノ協奏曲第4番。ショパン作品集はショク賞やディアパゾン誌の5つ星を獲得した。
スタインウェイの専属アーティスト。

「熱心な音楽ファンや専門家の間ではよく知られるようになってきましたが、やはりラフマニノフやプロコフィエフの知名度に比べると、そこまでではありません。しかし、私は13歳か14歳のころに、メトネルのピアノ・ソナタの楽譜を見て、ほぼ一目惚れしました。以来、ソナタや協奏曲を何度も演奏してきましたし、30曲以上ある『おとぎ話』も全曲を知り尽くしています。今回はコンサートの前半に、およそ40分でお聴かせできる12曲を選びました」

そう語るヴォロディンにとって、メトネルの音楽の魅力とはどんなところにあるのだろうか。

「彼の同時代人であり、親しい友人でもあったラフマニノフの音楽と比べると、ラフマニノフのメロディーは聴き手にダイレクトに訴える力があります。たとえば、ピアノ協奏曲第2番や第3番のように最初の主題で聴き手の心を掴んでしまうのです。一方、メトネルの音楽は、非常に内省的で、深淵で、ピアノの書法が繊細に練られています。ラフマニノフほどの明るさはないけれど、美しさや深みの面では、まったく引けを取りません。ちなみに、メトネルとラフマニノフはとても仲が良く、メトネルはピアノ協奏曲第2番を、ラフマニノフはピアノ協奏曲第4番を、お互いに献呈し合っています。両者ともに、根底には民族的な和声感を有しているという共通点を見出すこともできます」

「おとぎ話」とは、「ノクターン」や「バラード」などと同様に、メトネルが確立したピアノ音楽の一ジャンルであると、ヴォロディンは見なしている。

「ストーリーを語りかけてくるような、自由な表現に満ちた小品のジャンルです。小品とはいうものの、中にはソナタの楽章1つ分ほどの規模を持つものもあり、壮大な楽想をもったものもあります。そのほとんどにタイトルは付けられておらず、メトネルが具体的にどんな物語をイメージしていたのかは定かではありません。しかし、奏者は楽譜に書かれていることを、書かれているがまま、自然に演奏することで、お話が自ずと浮かび上がってくるのです。タイトルを持つものの一つにOp.20-2『鐘』がありますが、これとて鐘を直接的に描写した音楽ではありません。絶えず鐘の音が響き渡るロシアの人々の魂を描いていると言えるでしょう」

音数の多い、濃密なメトネルの音楽。ヴォロディンはしかし、どんなに声部の混み入った音楽であっても、それらを立体的に美的に整理し、充実した音楽的時間へと昇華させてゆく。情熱的な演奏で、聴き手の心を高揚させるヴォロディンだが、ロシア的な芸術観・死生観について、落ち着いた声音で語る。

「ロシアの音楽は概ね音の数が多く、密度が濃いですね。ロシアの芸術全体にも、重厚で悲劇的なものが多いように思います。ドストエフスキー、チェーホフ、トルストイらの文学作品に見られるように。そうした芸術はみな、人生を映し出しています。私の年齢で人生を語るのは早いかもしれませんが、しかし、生きていれば悲劇的なことに必ず見舞われます。病、愛するものの死、そして自分自身の死。そうした人生の真実は、音楽では抽象的に描かれるわけですが、悲劇を再創造するという芸術的行為は、真実に迫るプロセスであり、それは同時に非常に美しいプロセスなのです。悲劇的な音楽に触れると、魂はその美に魅せられ、幸福感をも得ることができるのです」

コンサートの後半は、プレトニョフ編曲によるチャイコフスキーの「眠れる森の美女」を選んだ。

「プレトニョフは、ピアニスト、指揮者のみならず、編曲家としても非常に優れた才能をもっています。まるでリストのように、コンサート・ピアニストとしても卓越し、ピアノをよく知り尽くしているからこそ、作品がもつオーケストラのような響きをピアノで実現させています。一方で、もとからピアノのために書かれたのではないかとも思えるほど、ピアノ作品としての完成度も高い。彼はチャイコフスキーの作品の指揮もしていますから、解釈者としての力量も発揮された素晴らしいアレンジとなっています」

そしてバラキレフの「イスラメイ」という技巧的な作品で締めくくる。

「華やかな作品として知られていますが、ただ、表面的に華やかなだけであれば、音楽史上残ることはできません。オリエンタリズムやファンタジーの要素なども織り交ぜられた、卓越したピアニズムの世界があり、音楽的な面での質の高さを感じ取ってもらえるよう、演奏したいと思います」

日本の聴衆の、集中度の高さをリスペクトしているヴォロディン。

「ピアニストは一音一音を大切に弾いており、日本の皆さんは高い注意力・緊張感をもって、耳を澄ませて聴いてくださいます。そうした空間で演奏できることはプライスレスです。皆さんとお会いできるのを楽しみにしています」