ORCHESTRE
PHILHARMONIQUE
ROYAL DE LIÈGE

クリスティアン・アルミンク指揮
ベルギー王立
リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団
来日公演2019

Piano:

AIMI KOBAYASHI

自分を信じて、ピアノと歩んでいく
小林愛実のこれから

ピアニスト・小林愛実インタビュー

TEXT BY HARUKA KOSAKA
PHOTOGRAPHS BY KAORI NISHIDA

23歳にして、今年でデビューから10周年の節目を迎える、ピアニストの小林愛実。神童と呼ばれた頃の情感豊かではつらつとした演奏も魅力的だったが、最近は一段と、作曲家の心情に寄りそうようなあたたかみのある音楽を聴かせてくれるようになった。 アメリカへの留学、ショパン国際ピアノコンクールへの挑戦などを経て、音楽に向き合う心境にも大きな変化があったという。良い仲間に恵まれた留学生活の様子や、今改めて見出したピアノに対する想いなどを伺った。

ピアノを弾く意味を探して

小林愛実はすでに国内外でさかんに演奏活動を行っていた17歳のとき、コンサート活動を休止してアメリカに留学。数年間、勉強に専念する時間を過ごした。

小林愛実(ピアノ)
Aimi Kobayashi, Piano

7歳でオーケストラと共演、9歳で国際デビュー。数多くの国に招かれ、ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラなど国内外の多数のオーケストラと共演。14歳でEMI ClassicsよりCDデビューし、サントリーホールで日本人最年少となるリサイタルを開催。15年「第17回ショパン国際ピアノ・コンクール」ファイナリスト。18年よりワーナークラシックスのインターナショナル契約アーティスト。

アメリカに行ったことは本当に大きかったです。あのまま日本にいたら、今のような考え方ができるようにはなってはいなかったと思います」

自身とピアノの関係について考え直すようになったきっかけは、16歳で受けたジーナ・バッカウアー国際ピアノコンクールのヤングアーティスト部門で3位となったことだという。それまで受けたコンクールでは優勝が常だった彼女にとって、3位に終わったことは、十分に挫折を感じる出来事だった。自分はなぜピアノを弾いているのか、本当にピアノが好きなのかを自問するようになり、いっそピアノをやめてしまおうとさえ思ったという。

「そこから3年間、すごく悩みましたが、結局は自分でどうにかするしかないんだなって。もちろんいろいろな方に助けてもらいました。でも、いざ道を決めて進んでいくとなったら、自分を信じ、守ってあげられるのは、自分でしかないと気づきました。今は、ピアノが好きでやりたいからやっているのだとはっきり言うことができます」

ピアノを弾く意味を探して

小林愛実が留学したのは、カーティス音楽院。ラン・ランやユジャ・ワンの出身校であり、また最近は主要コンクールで次々上位入賞者を輩出している名門だ。そこで同世代の才能に囲まれたことが、大きな刺激となったという。

「上には上がいくらでもいるということを知りましたし、そういう環境に身を置いていると逆に楽だとわかりました。同じ立場で上を向いて頑張る仲間がいるので、私も頑張ろうと思えます。日本にいたら現状に満足して、視野が広がることもなかったでしょう。あと、性格も柔らかくなったとよく言われます。昔はもっとえばっていたんじゃないでしょうかね(笑)」

それでも、留学当初は思うようにいかないことも多かった。

「とにかく日本から出て環境を変えたくて、勧められたカーティス音楽院への留学を決めました。でも、ピアノをやめようかと思っていたくらいなのでレッスンにも行かなかったし、時々行くと、先生から弾き方を直すことばかり言われて嫌になってしまって。でも、ちゃんと勉強をしようと気持ちを入れ替えてからは、本当に多くのことを学びました。現在も師事しているマンチェ・リュウ先生は幅広い知識を持つ本当に頭のいい方で、何を質問しても答えてくださいます。でも、決して自分の考えを押し付けることはなく、自由に音楽を表現すればいいと言ってくれます」

2015年「第17回ショパン国際ピアノ・コンクール」ファイナルの様子。

2015年のショパン国際ピアノコンクールにむけてじっくり音楽と向き合ったことも、大きな経験となったという。

「自分のために、そして作曲家のために弾くという感覚を大切にしたいと思うようになりました。さらにその後、学校の寮を出て一人暮らしを始め、より自由になったことで、自分がどうしたいかを自分自身に聞いて決断することが増えました。演奏活動のことを含め、子供の頃はどうしても周りに決めてもらうことが多かったですから」

アメリカでの一人暮らし

一人暮らしで、自炊もするようになった。カーティス音楽院の友人たちが遊びに来ると、カレーを振る舞うことが多いという。

「日本の食事を作ってと言われたとき、カレーなら大人数でも楽だと気がついて、日本食材のお店でカレールーを買ってきてよく作るようになりました。玉ねぎは30分炒め、すりりんごや味噌などの隠し味も入れて作るんですよ。アメリカの子たちはパーティー好きが多いですが、私は仲のいい何人かの友人たちと集まって、おしゃべりをしたりお酒を飲んだりするほうが好きです」

そんなとき、ピアノの話をしたりクラシックを聴いたりすることはほとんどないという。たわいないおしゃべりをしながら、最近は友人の影響でジャズを聴くようになった。

「ジャズは聴き始めたばかりでまだよくわからないのですが、楽しくて。この前は初めてジャズクラブに行きました」

もともとポップスも好きで、日本にいた頃はよく聴いていたというが、自分が演奏したい音楽はやはりクラシックだと感じているそうだ。

「何百年も前の曲が弾き続けられているのは、それだけの魅力があるからだと思います。作曲した人がもういない作品を楽譜を手掛かりに演奏するので、考え方や捉え方が無限。そこを探ることが楽しいですね」

長くひき続けてきたモーツァルトの魅力

もう一つ、アメリカ生活が長くなるにつれて変わった感覚の一つに、海外のオーケストラとの共演が心地よくなってきたこともあるという。

「かしこまった挨拶がないかわりに、みんなが対等で、一人一人音楽を楽しんでいる雰囲気が感じられて、私も楽に音楽と向き合えます。ただコンチェルトを演奏するときは、よりはっきり自分の音楽を持っていないと、共演者から“何がしたいの?”と思われてしまう。強い音楽をもって指揮者の方やオーケストラの方に伝えなくてはならないことには、プレッシャーもありますが、楽しいですね」

この7月には、アルミンク指揮リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団と、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番で初共演する。彼女がこの曲を初めて演奏したのは、2009年、ワルシャワ国際音楽祭でのこと。指揮は故フランス・ブリュッヘンだった。

「まだ12歳でしたから、どれだけすごい指揮者なのか意識できていなくてもったいなかったのですが、子供だった私からすると、彼はものすごいおじいさん。舞台に手を引いて出て行ったことや、いつも私が本番前に食べるチョコレートを、一緒に分けて食べたことを覚えています」

モーツァルトは、子供の頃から長く弾き続けているだけに、自分になじみ、自信の持てる作曲家の一人だという。

「モーツァルトの曲には必要最低限の音しか使われていないので、全ての音符に意味があることがより感じられます。ここはこう歌おう、こんな楽器の音のように弾こうと、オペラやオーケストラを想像しながら音を作っていると、難しいところもありますが、楽しいという感覚の方がずっと大きいです。久しぶりに20番の協奏曲の楽譜を開いたら、昔日本で勉強していた頃の先生からの注意がカラフルに細かく書き込んであって、なつかしくなりました」

私は私。誰かと比べても意味がない

もともとピアノを始めたのは、人見知りをなおすために何か習い事をと思った親御さんの勧めがきっかけだった。

「今では、ピアノという存在があるから自分の中でバランスがとれていると感じることが多いですね。例えば失恋をしても、ピアノに逃げることができる。言葉で伝えることはあまり得意じゃありませんが、人に言えないような辛いことがあっても、音楽に感情をぶつけることができます。ピアノがあることで、いつでも言いたいことを言える場所があると思えるのです」

そういう意味で、芸術家は辛い経験も仕事の糧にすることができる数少ない職業のひとつといえるかもしれない。

「いいのか悪いのかわかりませんが、そうかもしれませんね。苦しい経験も、時が経てばいい音楽になっていくでしょうから。でも、だから口に出さずに溜め込んで、演奏家はみんなちょっとひねくれた性格になってしまうのかも(笑)。学校の友達にも、変わった子が本当に多いですからね!」

幼少期から注目され、ピアノと生きる人生を送ってきた彼女は、早いうちにピアノを弾く意味を見つめ直し、迷いを乗り越えることができた。もうこの先は、音楽の道を邁進するのみだ。

「今は、大勢でなくても誰か一人にでもちゃんと伝わる演奏ができれば、自然と想いは届くはずだという考えでステージに立つようになりました。これから取り組むレパートリーも、急がずゆっくり見つけていくつもりです。私は私だし、誰かと比べても仕方ないですから。ピアノを弾きたいという気持ちが自分の中にある限り、弾き続けようと思っています」