1951年
5月1日大阪・曽根崎新地に設立
(代表者 梶本尚靖)
アーティスト・マネジメント、企画制作、コンサート・マネジメントを開始。
1962年
東京事務所を銀座に開設。
外国人アーティストの招聘、邦人アーティストの海外派遣など海外との業務に着手。
1966年
当時気鋭の若きピアニスト、ダニエル・バレンボイムを初めて日本に招く。
1967年
フランスの名ピアニスト、サンソン・フランソワを招聘。
1968年
フランスの名門、パイヤール室内管弦楽団を初めて日本に招く。
1970年
大阪万国博EXPO‘70クラシックスの一切の制作、宣伝業務を行う。
現代最高のピアニストのひとり、マルタ・アルゲリッチを初めて日本に招く。
20世紀音楽の発展に大きな貢献を果たしたパウル・ザッハーが率いる、チューリヒ・コレギウム・ムジクムの初来日を実現、武満徹『ユーカリプス』を世界初演(フルート:オーレル・ニコレ、オーボエ:ハインツ・ホリガー、ハープ:ウルスラ・ホリ ガー)。
1973年
フランスの天才トランペット奏者、モーリス・アンドレを初めて日本に招く。
フランスから打楽器アンサンブルの草分け、ストラスブール・パーカッション・グループを招く。
1975年
海外オーケストラ招聘の手はじめとして、サンフランシスコ交響楽団(指揮/小澤征爾)を招く。
1979年
團伊玖磨のオペラ『夕鶴』訪中公演のマネジメントを行う。
1980年
梶本尚靖がフランス政府よりフランス共和国国家功労章シュヴァリエを受章。
“ギターの神様”アンドレス・セゴヴィアの21年ぶりの日本公演を実現。その後の82年、90歳近くで再来日。
1981年
ボストン交響楽団創立100周年世界ツアーの最初の公演国として日本公演を実現、指揮は小澤征爾。
1983年
“伝説的ピアスニト”ウラディーミル・ホロヴィッツの待望の日本公演をついに実現。86年にも再び招く。
1984年
ヘルベルト・フォン・カラヤンとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を招聘。88年にも再び招く。
齋藤秀雄没後10年メモリアルコンサートのマネジメントを行う。後にサイトウ・キネン・オーケストラへと発展。
1985年
“世紀のディーヴァ”ソプラノのジェシー・ノーマンを初めて日本に招く。
1986年
シカゴ交響楽団を招く。指揮はサー・ゲオルク・ショルティとダニエル・バレンボイム。90年に再び招聘。
オランダの至宝、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を招聘。指揮はオイゲン・ヨッフムとウラディミール・アシュケナージ。
サントリーホール開館記念公演にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(指揮/小澤征爾)を招聘。
厳格なるマエストロ”セルジュ・チェリビダッケ率いるミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団を日本に招く。
1987年
ウィスキーのCMの美声が爆発的な人気を呼んだソプラノ、キャスリーン・バトルの初来日公演を実現。
クリーヴランド管弦楽団を招く。指揮はクリストフ・フォン・ドホナーニ。
サイトウ・キネン・オーケストラの初のヨーロッパ公演のマネジメントを行う。
1991年
クラウディオ・アバドの指揮によるヨーロッパ室内管弦楽団を招く。
1992年
梶本尚靖が取締役会長に、梶本眞秀が代表取締役社長に就任。
セルジュ・チェリビダッケの指揮によるミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団を招くと同時に、独奏者として“幻のピアニスト”アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの12年ぶりの来日を実現、リサイタルも開催。
“当代随一の知性派巨匠”ピアノのアルフレッド・ブレンデルを招く。
1994年
世界屈指の名オーケストラ、ニューヨーク・フィルハーモニックを招く。
フランス国立リヨン管弦楽団を招く。指揮はエマニュエル・クリヴィヌ。
1995年
20世紀音楽の歩みを振り返り、21世紀の音楽を展望する「ピエール・ブーレーズ・フェスティバル in Tokyo」全13回公演を主催。
1996年
ロンドン交響楽団を招く。指揮はチョン・ミュンフン。
1997年
フランスのリヨン国立歌劇場を初めて日本に招く。指揮はケント・ナガノ。同管弦楽団を東京オペラシィコンサートホールのオープニングシリーズに提供するとともに、ビゼー『カルメン』公演(コンサート形式)を主催。
(東急文化村との共催)。
1998年
長野オリンピック冬季競技大会・長野パラリンピック冬季競技大会関連の文化プログラムの制作に携わる。
NHK交響楽団(指揮/シャルル・デュトワ)のアメリカ演奏旅行のマネジメントを行う。
1999年
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を招く。指揮はヘルベルト・ブロムジュテット。
2000年
ヨーロッパ有数の音楽祭と密接な連携をとった独自の音楽祭ツアー、「カジモト・ムジークライゼ」シリーズをスタート。
2001年
梶本眞秀がフランス政府よりフランス共和国芸術文化勲章オフィシェを受章。
クラシックコンサート専用のチケット販売サービス、「カジモト・イープラス」を開始。
パリ・リエゾン・オフィスを開設。
2002年
米国よりウィントン・マルサリス率いるリンカーンセンター・ジャズ・オーケストラを招く。
“完璧の体現者”ピアノのマウリツィオ・ポリーニとともにルネサンス期から現代まで人類の音楽遺産を体験する「ポリーニ・プロジェクト2002 in 東京」全9公演を主催。
2004年
“伝統と革新”「パリ・シャトレ座プロジェクト」をスタート。第1弾、ジェシー・ノーマンのモノ・オペラ公演を実現。
フランス国立管弦楽団の日本ツアーを実現。指揮はクルト・マズア。
パリ室内管弦楽団の日本ツアーを実現。指揮はジョン・ネルソン。
2005年
「パリ・シャトレ座プロジェクト」第2弾として、ベルリン州立歌劇場、シャトレ座との共同制作による『武満徹~マイ・ウェイ・オブ・ライフ』を上演。
ルネ・マルタン(アーティスト・ディレクター)がフランス・ナント市で創設し、東京国際フォーラムが主催した音楽祭、「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 熱狂の日」音楽祭の制作を行う。テーマは「ベートーヴェンと仲間たち」。
上海事務所を開設。
映像界の鬼才、ブリュノ・モンサンジョンの作品上映とトークによる「モンサンジョンとの3日間 in Tokyo」を開催。
音楽監督・大野和士率いるヨーロッパ随一の歌劇場、ベルギー王立歌劇場(モネ劇場)を初めて日本に招聘し、モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』を主催・上演。
2006年
2年目を迎えた「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 熱狂の日」音楽祭のアーティスティック・プロデューサーを務める。
ネスカフェ ゴールドブレンド プレゼント「ルツェルン・フェスティバル・イン・東京 2006」をサントリーホールと共催。同ホールにて9日間にわたり、クラウディオ・アバド率いるルツェルン祝祭管弦楽団のオーケストラコンサートを軸に、マウリツィオ・ポリーニ ピアノ・リサイタル、室内楽コンサート、ルツェルン祝祭チェンバー・フェストなどを行う。
「パリ・シャトレ座プロジェクト」第3弾として、ラモー「レ・パラダン-遍歴騎士」をBunkamuraと共催。
ニコラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの26年ぶりの日本ツアーを実現。
2007年
3年目の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 熱狂の日」音楽祭のテーマは「民族のハーモニー」。
来場者数100万人を突破する。
ハーディング指揮ロンドン交響楽団、エッシェンバッハ指揮パリ管弦楽団など一流オーケストラをはじめ、ピアノのアンドレ・ワッツ、バリトンのマチティアス・ゲルネなど多くの著名アーティストを招聘する。
梶本眞秀がイタリア政府より、「イタリア連帯の星」勲章の中でも最高位「グランデ・ウッフィチャーレ章」を受章。
2008年
ピアノの名匠、アンドラーシュ・シフを9年ぶりに招聘。
テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィルによるチャイコフスキーの主要交響曲、主要協奏曲、バレエ曲などを集中的に演奏する《チャイコフスキー・フェスティバル》
ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団による、プロコフィエフの交響曲全曲と主要管弦楽曲、協奏曲を集中して演奏する《プロコフィエフ・チクルス》、ルネ・マルタンのプロデュースによる、ショパンのピアノ作品を生涯に沿ってすべて網羅する《ル・ジュルナル・ド・ショパン(ショパンの音楽日記)》を開催。
2008年
4年目の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 熱狂の日」音楽祭のテーマはシューベルト。去年に続き来場者数は100万人を越えた。
世界的に注目を集めている、音楽教育を通じて貧困層の子供たちを犯罪から救い善良な市民への教育を図る「エル・システマ」によって生まれたシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラを、同楽団出身で、初来日となった指揮者、グスターボ・ドゥダメルと共に招聘。










