2011.11.16(Wed)


●リスト室内管・来日企画(本日東京公演)!リスト伝説3 ~自称ハンガリー人編~


今晩、いよいよ東京オペラシティにて リスト室内管&幸田浩子さん&佐藤俊介 の公演が行われます!リストの作品のみならず(とはいえハンガリー狂詩曲から歌曲まで、すでに盛りだくさんですが)、パガニーニのヴァイオリン協奏曲(←ラ・カンパネラの原曲!)やモーツァルト、ブラームス、ラフマニノフの作品も絡めて、リスト・イヤーにふさわしい個性的なコンサートを用意している彼ら。
リスト室内管の来日と2011年の終わりにちなんでお贈りしてきた短い連載「リスト伝説」ですが、最終回では、リストが生涯愛したハンガリーをテーマとし、リスト室内管を生んだ「リスト音楽院」の創立エピソードにも触れてみたいと思います。

***

~ハンガリー語を話さなかった"自称"ハンガリー人~

リストはしばしば、ハンガリー生まれの生粋のハンガリー人であると思われがちですが、(多くの方がすでにご存知のとおり)実はリストの生地は、厳密にいえばハンガリーではなく、現オーストリアの小村ドボルヤーン。リストの父親の生まれもネメシュヴュルジ(現オーストリア)で母語はドイツ語でしたし、母親はドイツ系で生まれもウィーンに近いクレムス(現オーストリア)でした。
ちなみに、リスト家で話されていた言語はドイツ語。ティーンのころにパリへ移り住んだリストが生涯に渡ってもっとも得意にしていたのはフランス語でした。
リストは晩年、ブダペストに家を持っていましたが、ハンガリー語はほとんど話せなかったといいます。

リストは1823年、12歳でハンガリーにて演奏会デビューしますが、面白いことに、このときの演奏会チラシには「私はハンガリー人ですよ」と丁寧に書かれていたとか。
同年末にパリへ到着したリストは、その後またたく間にこのコスモポリタンな大都会で成功を収めていきますが、人種差別によりパリ音楽院の入学を拒否されるなど、何かと出生やアイデンティティの問題では苦労の連続だったようです。
リスト自身が「私は心の中では常にハンガリー人なのです」としばしば口にしていたとおり、彼の"心"の故郷、それがハンガリーでした。
リストはヨーロッパ中を絶え間なく旅しましたが、彼はハンガリーに常に心を寄せ、特別な愛情を注いでいました。

たとえば、リストがライフワークとして行っていた支援演奏会でもっとも有名なのが、1838年4月にウィーンで行われた10公演連続コンサート。これは洪水で大被害を受けたハンガリーへの義援金を集めるためのチャリティ公演でした。ちなみに、クララ・シューマンの父ヴィークやツェルニーがこの演奏会を聴きにいったそうです。
さらにリストは79年にも、川の氾濫で被害を受けたハンガリーのために、ブダペスト他でチャリティ・コンサートを行っています。

少しさかのぼりますが・・・73年には、ブダペストでリストの芸術家活動50周年を祝う大祝典が、ハンガリーの国家行事として行われました。ブダペストはリストの生前からすでに、彼をあたたかく支える故郷であったわけですね。


~リスト音楽院のあゆみ~

そんなリストが、常に情熱をもって目論んでいたのが、「ハンガリーに音楽院を設立すること!」でした。
リストはこの夢を叶えるべく、1840年代からコツコツと動いていたといわれています。リスト音楽院の前身となった歌の学校にも多額の寄付をしていましたし、長年、音楽学校設立のために資金を積み立てていたとか。
念願かなってリストがようやくブダペストに「ハンガリー王立音楽院」(現・リスト音楽院の前身)を設立したのが、1875年11月。もちろん、この音楽院は世界で唯一、「リストにより設立された学校」です。

リストは学長として実際に指導にも当たりました。
ちなみに・・・現在のいわゆる「マスタークラス」を確立したのも、リストだといわれています。

音楽院は79年にブダペスト内で一度引越しをし、アンドラーシ通りに住所を移しますが、ここには現在、リスト記念館があります。リストがブダペストに滞在するときに住居として使用していたのが、まさにこの旧リスト音楽院でした。
1907年、音楽院はリスト・フェレンツ通りに移り、現在に至ります。




写真:現在の音楽院

(ちなみに、音楽院の名称はハンガリー王立音楽演劇学院、国立ハンガリー音楽専門学校、などと何度も変更されており、現在の正式名はリスト・フェレンツ音楽大学です)。


リスト自身が、音楽院創設にあたって最もこだわったのは、ハンガリーの音楽の発展に寄与する人材を輩出すること、そしてハンガリーの民族音楽の研究や演奏をサポートすることでした。
さらにリストは、歌手や打楽器奏者を含めたピアノ専攻"以外"の学生にもピアノをきちんと習得させるカリキュラムを組み、教会音楽のコースを独立させて重視しました。

この名門音楽院から、やがてバルトークやコダーイ、ドホナーニら、のちにハンガリー音楽史を支えることになる名音楽家&教育家たちが巣立っていきます(この3人は、さらにリスト音楽院で教鞭もとりました)。
コダーイは現在でも、リスト音楽院の"名誉学長"です。

このほか、ジェルジュ・リゲティ、ゲオルク・ショルティ、アンタル・ドラティ、アンドラーシュ・シフ、ペーテル・エトヴェシュもリスト音楽院の卒業生です。
のちにはジャズ科も設立されていますし、リスト音楽院の"名誉教授"陣にカザルスやコルトー、エルガー、グラズノフ、レスピーギ、ライヒ、シベリウス、トスカニーニらが名を連ねているあたりからも、音楽院の長い伝統とその教育的成果の多様性が垣間見えます。


さて。
最後にお話するのは、1963年に、リスト音楽院の卒業生により結成された、リスト室内管弦楽団のこと。
初代リーダーは、音楽院教授だったフリギエシュ・シャンドール。彼が79年に他界してから現在まで、ヤーノシュ・ローラがコンマスと芸術監督を務めてきました。
皆さまにはこれまで、彼らの迫真の演奏動画や、充実したリスト・イヤーを過ごした彼らのレポートをご覧いただいてきましたので、あとは演奏をお楽しみいただくのみ!

リストの音楽的遺産を体現するリスト室内管の注目の公演、いよいよ今晩です。


【フランツ・リスト室内管弦楽団 東京公演】
11月16日(水) 19:00開演 東京オペラシティ コンサートホール
公演の詳細とチケットのお申し込み


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Wednesday November 16, 2011