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2018/11/20 | KAJIMOTO音楽日記

●ゲルギエフ&ミュンヘン・フィル、来日を前に【番外編】―― 園田高弘、楽団「中興の祖」セルジュ・チェリビダッケを語る


ゲルギエフ指揮ミュンヘン・フィルは明日11/21、22に韓国、24、25に中国公演を行い、いよいよ11/30の福岡公演を皮切りに日本ツアーがスタートします!

今年創立125周年を迎えるミュンヘン・フィルは、その歴史の中で時代を代表するマエストロたちがそれぞれ首席指揮者や音楽監督を務めてきましたが、それを顧みたとき、この楽団にとってなんといっても、セルジュ・チェリビダッケこそが「中興の祖」だったといえると思います。

前回はミュンヘン・フィルのこれまでを振り返ってのエッセイをご紹介しましたが、今回は少し本筋から離れてこのチェリビダッケのことをぜひ若い音楽ファンにも知っていただきたく、かつて共演したことのある、日本を代表するピアニストであった故・園田高弘さんがこのマエストロについて語った貴重なエッセイをご紹介します。
少々長い文章ですが、ぜひ時間のあるときにでもお読みいただければ幸いです。
(この文章は、チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルのコンビが初来日した、1986年の公演プログラムに掲載されたものです)





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セルジュ・チェリビダッケ氏のこと


園田高弘(ピアニスト)


 セルジュ・チェリビダッケ氏に初めて会ったのは、1960年ころであったと思う。その頃、私はベルリンに住んでいて、嘗てはフルトヴェングラーの個人的マネージもしたという、ベルリンのパッシェ氏の世話になっていた。
 一度チェリビダッケに面識を得ておくべきだという彼の肝入りで、イタリア・ミラノのホテルでチェリビダッケ氏と会うべく、私は彼につれられてはるばるミラノまで出かけて行った。
 ホテルのロビーで夕刻6時に、という約束に今か今かと腕時計を凝視しながらかたずを飲んで待っていると、殆ど定刻に分秒たがわずチェリビダッケ氏はホテルの入口に現れた。一直線に我々の座っているところに直進して来て、パッシェの紹介によって、初対面の私を数秒の間照射した彼の目の鋭さは、まさに眼光紙背に徹するのたとえの如く、私の全身を貫き焼き尽くさんばかりの強烈なものであった。その時の電撃的な印象は今も鮮烈な思いとなってよみがえってくる。
 彼のいくつかの質問に対して、当時の私はたどたどしくドイツ語で懸命に答えていたのだが、パッシェ氏が気をきかせて座をもたせる会話を挿もうとするのをチェリビダッケ氏は制して、「何も云わなくても、良く解る」と云い、「言葉というものは語れば語る程、音楽の本質から遠ざかるものだ」という意味のことを私に向かってポツリと云って、彼は初めて私にほほえんでみせた。
 このほんの10分位の出会こそは、私にとって「一人の偉大な芸術家に会った」、という決定的な認識であったし、初めての体験であった。次にチェリビダッケ氏と会ったのは、その一年後、同じミラノで、イタリア放送協会(RAI)のオーケストラの演奏会で、ブラームス《ピアノ協奏曲 第2番》を協演することになった時のことである。
 パッシェ氏から、マエストロが1回のオーケストラのコンサートに、通常リハーサル12回(午前午後6日間)という伝統的に有名な沢山のリハーサルを要求するということはきき知っていたが、私のブラームスにも6回(計3日)のオーケストラ練習と、そのための事前の指揮者との打合わせ2回、という予定をきかされて全く驚いた。
 そして第1回目のピアノだけの打合せに行くと、チェリビダッケ氏は時間前からスコアを拡げて待っていて、挨拶もそこそこに私の椅子のかたわらに椅子をひき寄せ、早速ブラームス《ピアノ協奏曲》の第1楽章の最初から一点一画、一行一句のソロのパートに耳をかたむけ、そこはどう考えるか、これはどうあるべきかを間髪を入れずに質問した。速度は勿論のこと、楽譜に書かれてあるリズム、ダイナミク、フレーズ、楽節の分析、そして大きくは提示部、展開部、再現部と微に入り細にわたり、音楽の進行関係を質問し確認してゆくという、音楽思考の綿密な再構成には驚歎させられた。
 こうして2楽章から3楽章へと進んで、かれこれ3時間程も経ったとき、突然、「今日はこれで止めよう」とマエストロは云い、「明日からオケと一緒に練習しよう」と、云い出したのには、私はこの分ではまだ厳格な長い打合せと準備を覚悟していただけに面くらったものの、内心ひどく嬉しかった。
 この演奏会がきかっけとなって、ヨーロッパでチェリビダッケ氏とその後数年間にベートーヴェン《ピアノ協奏曲第4番 ト長調》、フランク《交響的変奏曲》、テーリヒェン《ピアノ協奏曲》初演など、数々のコンサートに協演する幸運にめぐまれた。
 こうしたチェリビダッケ氏との協演の体験とは別に、私はもう一人のチェリビダッケ氏、教育者としての偉大なマエストロを身にしみて感じている。氏は当時、毎夏、数週間にもわたって、イタリア中部のシエナ市でオーケストラを集めて指揮者のための夏期講習をしていた。私は度々の協演や、各地の折々の演奏会を聴衆として訪問したり食事を共にしたりして、随分と親しくなってきたある時に、「おまえも、今年は是非講座を見学に来い」と云われて、シエナ迄出かけていった。
 シエナでのチェリビダッケ氏の講座は午前午後と1日2回あって、午前中は夏のイタリアとしてはまだ涼しい早朝の8時から昼1時迄、ぶっ続けに講義があり、昼の長い休息の後、午後は5時から夜8時までオーケストラを使っての指揮の実習的な試演であった。
 私は朝の講座には時々顔を出し、あとはもっぱら殆ど午後のオーケストラの実習を見学したのだが、そのオーケストラの実習では、音楽家芸術家として基本的に必要な精神的鍛練と育成という、実に心に響く数々の体験を目のあたりに見て胸を打たれた。
 たとえば、若い学生が身振り格好よく棒を振るのを制して、「指揮(音楽)は手によって振るものではない」と云って、マエストロは後手に手を組み、後から見ては微動だにしないまま気合でもって、ベートーヴェンの《エグモント》の出だしのオケのフォルテの全奏を鳴らしてみせたりした。又、生徒がベートーヴェンやモーツァルトのシンフォニーの緩徐楽章の旋律提示を、苦心惨憺してばらばらに振り始めるとそれを瞬時にしておしとどめ、その部分の音楽旋律がどの様にして始まり、発展し終結するかを説明し、音楽全体はどこに向かって進展していくのか、それがどこで終結するのか、どれが基本線であり、それに対してどの部分が装飾であるのかを、マエストロ自身がオーケストラを指揮して説明して見せ、生徒に実習させ、その欠点を指摘し叱咤激励してゆくのである。
 こうして、チェリビダッケ氏と共に数週間を過ごし、数々の作品、たとえばハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、ベルリオーズ、シューマン、ブラームス、ドビュッシー、ラヴェル、チャイコフスキー、ムソルグスキー、バルトーク、ストラヴィンスキー、という数々の実習によって若い音楽家達が一緒に学ぶということは、たとえそれが一人の若い指揮者にとって曲目の目まぐるしい変化であったにしろ、毎日、音楽的に最高の緊張による講義と実習を兼ねて学び、偉大なマエストロの監督と指導のもとに行われるということが、いかに貴重なことであるかを痛感したし、講座に参加することによってそれを目のあたりに見て共に体験することが出来るのは、何という幸運であるかをしみじみと思った。こうした音楽的思考思索は、当然のことながら指揮者だけに必要なのではなく、音楽家全般にあてはまることがらである。
 今にして思えば、チェリビダッケ氏の言わんとすることは多分、「音楽というものは、勿論、或るフォーム(形式)によって部分にいたるまで形成されてはいるが、それは又一つの現象であって、それぞれの現象はただそこにあるだけではなく、よって解決すべき必然性をそなえている。そして各々は関連をもって有機的に結ばれているということを認識すべきなのだが、それは仲々出来るものではない。またそれが認識されても、今度はその配列に音楽的思索を伴わなければ、部分から全体的なものへとの統合の作業が出来ない。こうしたことを指揮者は常に知っていなければならない。また、それはオーケストラの能力、演奏の現実に即して解決してゆかなければならない、という教訓を実際に若い音楽家達に講座を通じて示したかったのであろうと思う。こうしたことを純粋に体験を通じて習得してこそ次第々々に「音楽は見えてくる」のである。
 「オーケストラなり楽器なりは鏡のようなものだ」。「音楽家の芸術に対する謙虚な心や純粋性が少しでも虚飾や虚栄によって濁りがあれば、それは必ず映し出される。オーケストラや楽器という鏡が良ければ良い程、それは正確に反映され見えるものであることを知るべきである」などなど。
 参集した若い指揮者はイタリア、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツと各国人さまざまで、グループを成して会場のあちらこちらに席を占めているのだが、チェリビダッケ氏の説明は、今イタリア人に長々とイタリア語で説明していたのに、瞬間的にフランス人にはフランス語で、それをアメリカ人には英語で、そして私には「解ったか」とドイツ語で説明し直す、というまるで言葉のアクロバット。それはあたかも機械のスイッチを切り換える早さであって、マエストロは7、8ケ国語は話せるということは知っていても驚異でしかなかった。
 指揮者チェリビダッケ氏の華々しい活躍はあらためてここに書き連ねる必要はないが、氏は多くのオーケストラに計り知られない程、渇望され尊敬され畏敬されているにも拘わらず、必ずしもオーケストとの関係は平穏無事ではない。かくして彼はイタリア放送オーケストラと芸術上の争いから決裂し、その後長い間、ストックホルム国立放送オーケストラの常任として演奏会をし、次にバンベルグ交響楽団の演奏旅行を経て、シュトゥトガルトの南ドイツ放送オーケストラと変わり、その後も、パリのオーケストラ・ナショナル、ロンドン・シンフォニーとの協演演奏旅行など、そして現在ではミュンヘン・フィルハーモニーをひきいて全ドイツを演奏旅行している。
 その演奏曲目も実に多種多彩で、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、シューマン、ドビュッシー、ラヴェル、ブルックナー、レスピーギ、バルトーク、と得意中の得意、極めつきの作品は驚く程多い。そしてそれらの演奏は演奏会の生の演奏によってしか、チェリビダッケ氏の真価を体得することが出来ない不思議な一回性の緊迫感と感動があるのである。それは聴衆にとっては勿論のこと、音楽家達にとっても啓示多いチェリビダッケ氏の祭典であり、音楽の醍醐味を味わせてくれるばかりでなく、それは常に未知の新しい感動を呼び起こすものである。


1986年9月
(1986年ミュンヘン・フィル来日プログラムから転載)






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