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2017/10/30 | KAJIMOTO音楽日記

●ガッティ&ロイヤル・コンセルトヘボウ管 来日を前にVol.3 ―― ガッティに聞く!(2)「これからの方向性、そして日本ツアーについて」




――現在はマエストロご自身が、彼らの演奏曲目を決める立場にあるわけですが、RCOとはどのような音楽を奏でていこうとお考えですか?特に深めたいレパートリーなどがあればお教えください。

私の持論では、選曲という行為そのものが、音楽家のキャリアを形成する重要な要素を成しています。時に悪しきプログラムは、悪しき演奏よりも大きなダメージを音楽家に与えますからね。指揮者は、もしも人生のある時期に特定の作曲家と相性が合わないと感じたら、無理にその作品を取り上げるべきではありません。繰り返しますが、賢いプログラミングは、大きな成功の鍵のひとつであると私は考えています。
首席指揮者に就いて以来、私はつねに、RCOの主たるレパートリーを尊重するよう心掛けてきました。具体的に挙げるならば、後期ロマン派のR.シュトラウスとブラームス、そして何よりもまず、マーラーとブルックナー。つまり、レパートリーに関するあなたの質問にお答えするならば、「楽団のこれまでの路線を継承していく」ということになります。実際、昨シーズンの開幕ではマーラーの第2番を取り上げ、ブルックナーの第4番も演奏しました。今シーズンのレパートリーに含まれているブルックナーの第9番は、すでに夏の音楽祭ツアーで披露しています。この第9番は、1月にカーネギー・ホールにも持っていきますし、録音も行う予定です。来年に演奏するブルックナーの交響曲は第3番です。日本の皆さまにお聴きいただくマーラーの第4番は、先のツアーで取り上げたばかりです。このように毎年のプログラムに、マーラーの交響曲を1曲か2曲は含めていきたいですし、マーラーに関しては新たな映像・録音シリーズも企画しています。
このほか早いうちに、マーラーと関係の深い新ウィーン楽派、つまりシェーンベルク、ベルク、ウェーベルンの作品にじっくりと取り組みたいですね。一方で、ワーグナーやベルリオーズといった、マーラーに至る道を準備した作曲家たちにも光を当てていきます。マーラーはドビュッシーから大きな影響を受けていますから、フランス音楽も無視できません。昨年はデュティユー、ドビュッシー、ラヴェルと、沢山のフランス作品を取り上げました。
さらに、ハイドンと現代作曲家にも力を入れていく方針です。現代音楽に関しては、すでにヴォルフガング・リームの作品を演奏しており、今シーズンはギョーム・コネソンに新作を委嘱しています。ブラームスにも本腰を据え始めたところですので、日本に第1番を携えていくことは楽団の将来にとって意義があります。ゆくゆくはベートーヴェンにも向き合いたいですね。
ところで、RCOとは6月にアムステルダムの歌劇場で《サロメ》を演奏しました。アムステルダム市との共同プロジェクトで、ほぼ毎年、RCOがオペラ上演に関わることが決まっています。



――さて日本ツアーのプログラムについて、具体的なお話を。ブラームスの第1番とマーラーの第4番を指揮する際に、マエストロは特にどのような点に意識を向けますか?そして聴衆には何を伝えたいとお考えでしょうか?

難しい質問ですね。ある楽曲を指揮するうえで、たったひとつの決定的な、そして最終的な解釈が自分の中に存在するわけではありませんから。日本でマーラーの第4番を指揮した6か月後に、ヨーロッパやニューヨークで再び同じ曲を指揮する時には、何かが変わっているはずです。なぜなら私は指揮者という立場から、その作品をつねに探究し続けているからです。過去の自分の演奏を聴くと、「どうしてこう振ったのだろう?」と驚くこともあります。もちろん、舞台に立つ時にはいつも、「これが私の現時点での最終的な解釈だ」と言う強い確信を抱いています。それでも演奏の翌日には、早くも「あの解釈で良かったのだろうか」と自問し始めるのです。ですから今、2か月後の日本での演奏について確実なことは何も申し上げられません。当然、私の頭の中には、各曲について明確なアイデアはありますが……。いずれにせよ聴衆の方々には、私の解釈に関する前知識は持たずにご来場いただいて、演奏を聴きながら、おのおの自発的にオーケストラと関係を築いていただきたいと思っています。私がマーラーやブラームスについて自分のヴィジョンを予め伝え、先入観を与えることは望ましくありません。


――聴衆に新鮮な驚きを与えたいということでしょうか?

その通りです!


――今回ソリストを務める大家、フランク・ペーター・ツィンマーマンとは、以前にも共演なさっていますね?

以前共演したベルクの協奏曲は、ベートーヴェンの協奏曲に近い作品であると思います。私にとってツィンマーマンは、今日、ベートーヴェンの協奏曲を取り上げる際に望むべき最高のパートナーです。彼はじつに知的で、とても謙虚な演奏家。凄腕のヴィルトゥオーゾである一方で、ヴァイオリニストというカテゴリーを超越した存在でもあります。彼は、たとえチェリストであったとしても、歌手であったとしても、突出した才能を発揮したはずです。

―ハイドンの協奏曲のソリスト、タチアナ・ヴァシリエヴァについては、マエストロもよくご存じですね。

ええ、RCOの首席チェロ奏者ですからね。彼女がRCOに入団する数年前、2011年に、パリでサン=サーンスの協奏曲のソロを弾いてもらったこともあります。彼女と共にハイドンの協奏曲を演奏するのは初めてですので、とても楽しみにしています。私は個人的に、オーケストラの首席奏者に協奏曲の独奏を任せることが好きですし、彼女自身、卓越したソリストでもありますから。


――マエストロが最後に日本を訪れたのは2009年です。

おっしゃる通り、2009年のミラノ・スカラ座とのツアー(ヴェルディ《ドン・カルロ》を指揮)以来の訪日となります。1999年にはロイヤル・フィルを率いて、日本のほか、クアラルンプール、台湾、マカオ、香港をまわっています。ボローニャ歌劇場との日本公演は1998年と2002年です。


――コンサート・オーケストラを率いて来日するのは1999年以来18年ぶり、ということになりますね。マエストロは多くの日本の音楽ファンにとって、コンサート指揮者よりもオペラ指揮者として馴染み深い存在かもしれません……

「オーケストラ指揮者」「オペラ指揮者」という区分は無いと思っています。もしも区分が在るとすれば、それは取るに足らない話題に上る時だけです。例えば、「彼はイタリア人。イタリアと言えばオペラ。だから彼はオペラ指揮者」といった類の……。その場合、インド生まれのズービン・メータは、果たしてどちらに区分されるのでしょうか?では、もしも指揮者がアゼルバイジャン生まれだったら?音楽はあくまで音楽であって、管弦楽とオペラの指揮に境界を設けるべきではありません。あるいは、日ごろ歌手たちを「伴奏」する機会が多い者を安易にオペラ指揮者と呼ぶことも、誤りです。オペラ指揮者というカテゴリーが定着してしまったのは、単に特定の指揮者たちが、若い頃に頻繁にオペラを振り、オペラを通してそのキャリアを発展させていったからでしょう。確かに多くのイタリアの指揮者たちには、まずは交響楽よりもオペラの分野で頭角を現していく傾向があります。しかし、トスカニーニのことを忘れてはいけません。ヴィクトル・デ・サバタ、カルロ・マリア・ジュリーニ、クラウディオ・アバド、リッカルド・ムーティ、ジュゼッペ・シノーポリ、リッカルド・シャイー。彼らは皆、世界最高峰のシンフォニー・オーケストラのシェフを任されています!彼らはオペラ指揮者でしょうか?そうとは思いません。もちろん、オペラ作品だけを振る指揮者もいますが、それは比較的まれな例ですし、あくまで彼らの意志によるものです。


――実はオーケストラ指揮とオペラ指揮のアプローチの相違について伺うつもりでした(苦笑)

先ほど述べた通り、オーケストラにとっては、歌手の「伴奏」も、首席オーボエ奏者のソロの「伴奏」も、同次元のアプローチです。また、オペラを指揮する時には当然、ドラマを扱うことになりますが、それは交響作品の指揮にも共通することです。マーラーの交響曲はドラマを展開していく音楽であり、絶対音楽ではありません。モーツァルトもR.シュトラウスも、優れたオペラ作品と交響作品を残しました。ふたりをオペラ作家、あるいはオーケストラ作家に分類することは無意味であり、聴衆に間違ったメッセージを発信することにもなります。指揮者は、オペラの世界と交響楽の世界を同時に探求することが出来る幸運な「音楽家」なのです。交響曲を振るのが下手な指揮者は、オペラを振るのも下手なはずです。


―マエストロとRCOの初の日本ツアーを楽しみにしています。

こちらこそ。私も心待ちにしています。
 


(2017年9月 アムステルダムにて)

質問作成: KAJIMOTO東京・編集室
取材・文: KAJIMOTOパリ・オフィス
訳: 西 久美子


*当インタビューの完全版は、公演会場で販売されるプログラム冊子に掲載されます。

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