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2017/07/22 | KAJIMOTO音楽日記

●ピーター・ゼルキン 「ゴルトベルク変奏曲」を弾く (インタビューVol.2)




《ゴルトベルク変奏曲》はあまたの可能性を秘めています。思い返せば、私はこの作品を1度たりとも、以前と同じように演奏したことはありません。ただし、その都度あらかじめ「こう弾こう」とすべてを決めて舞台に立つわけではなく、だからと言って、一時の気分に振り回されて恣意的にさまざまな奏法を「でっちあげ」ているわけでもありません。それはまるで即興のように、その場の自発性に委ねることを意味します。

「繰り返し」の問題には、長年にわたって多様な角度から向き合ってきました。最初はすべての繰り返しを省いていました(この点について音楽学者のトーヴィーは、《ゴルトベルク変奏曲》において全リピートを順守することは、学問的に正しくなく、また非音楽的だと述べていたように思います)。しばらくしてから、試しにリピートを取り入れるようになりました。ただし、すべてを機械的に繰り返すのではなく、大抵、繰り返しをする個所としない箇所を即興的に決めていました。いずれにせよ、リピートをする場合には、ひとつの変奏曲の中で前半も後半も同様に繰り返すようにしていました。

やがて、あらかじめ各リピートの有無を決めてから舞台に立つことが多くなりました。《ゴルトベルク変奏曲》の構成曲は、模倣しあう声部の音程が次第に広がっていくカノン形式の変奏曲、華麗で技巧的な変奏曲、「規格外の」変奏曲の3種に分類されます。私が「規格外の」変奏曲と述べているのは、トリオ・ソナタ(第2変奏)、ストレット(第4変奏)、ジーグ(第7変奏)、フゲッタ(第10変奏)、アリオーソ(第13変奏)、フランス風序曲(第16変奏)、ミュゼット(第19変奏)、ストレット(第22変奏)、ト短調のアダージョ(第25変奏)、ベートーヴェンの楽譜のようにトリルの構成音が記された第28変奏、そしてトッカータ(第29変奏)、騒々しい合唱が繰り広げられるクオドリベット(第30変奏)です。ここに挙げたすべての「規格外の」変奏曲のみで(あるいはそのうちの数曲のみで)リピートを行うのも、納得のいく面白いやり方のひとつであるとの考えに至りました。

その後、ドイツのフライブルクで《ゴルトベルク変奏曲》を弾くことになったのですが、なんと演奏前に、良き友人でもあった当時のマネージャーから「すべてのリピートを省いてくれ」と頼まれました。コンサートを早く切り上げて、ゆっくりと食事をし、お酒を(沢山!)飲もうという誘いでした。そこで私は、まずアリアの前半・後半をいずれも繰り返して、その後すべての変奏曲ですべてのリピートを行いました。これは舞台上でふと思いついて実行した「いじわる」です。マネージャーにとっては、45分で終わるはずの演奏会が、90分かかってしまったのですから。ところが私はその時、全リピートの順守が、じつに感動的で説得力があることに気づかされたのです。以来、しばしば冒頭にウェーベルンの《ピアノのための変奏曲》を置き、すべての繰り返しを行う《ゴルトベルク変奏曲》を後半に配するプログラムで演奏するようになりました。

フライブルクでの公演はライヴ録音され、プライヴェート・レーベルからリリースされています。ホ短調の《パルティータ》を同時収録した、より最近の演奏(こちらはリピート無しです)が、まもなくVivace Recordsから発売予定です。つまり私はこれまでに5回、《ゴルトベルク変奏曲》を録音したことになります。

このように、繰り返しをどう扱うかという問いには数多くの答えが存在しうるわけですが、テンポ、曲調、表現、フレージング、アーティキュレーションに関してはさらに多くの可能性があります。《ゴルトベルク変奏曲》をめぐる果てしのない探求は、演奏家の音楽世界をより奥行きのあるものにしてくれるのです。

バッハの《ゴルトベルク変奏曲》や他の作品を「こう演奏すべき」という枠に押し込めようとし、演奏者の意図をがんじがらめにしてしまうのではなく、無数の「正しい」可能性があると考えることが最善だと私は考えています。そうすることで、そのときそのときの演奏に、開かれた心で柔軟にのぞむことができるからです。
 

(続く)
 

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