NEWSニュース

2017/07/20 | KAJIMOTO音楽日記

●ピーター・ゼルキン 「ゴルトベルク変奏曲」を弾く (インタビューVol.1)


今月29日に八ヶ岳高原音楽堂で、8/1にすみだトリフォニーホールで、大ピアニスト、ピーター・ゼルキンがJ.S.バッハの畢生の大作「ゴルトベルク変奏曲」を弾きます。

この曲について、ゼルキンが弊社からのインタビューに答えてくれました。
ファンの方はご存知と思いますが、インタビューには頑なに、滅多なことでは応じてくれなかった彼が(冒頭からまさにそうコメントしています)、こうして言葉を紡いでくれたことは実に貴重な機会ですので、ファンならずとも、音楽を愛する方にはぜひ読んでいただけたら、と思っております。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私は普段、あまりインタビューをお受けしないようにしています。私自身、話すことがあまり得意ではありませんし、音楽というものは、言語化するよりも、演奏して直に語らせるべきだというのが、演奏家としての私の持論だからです。しかし今回は、せっかくの日本からいただいたリクエストですので、心を込めて、いただいたご質問にできる限りお答えしてみたいと思います。


まず、《ゴルトベルク変奏曲》は私にとって大切な楽曲であるか、というご質問について。答えはもちろん「イエス」です!!!私にとって、J.S.バッハが残したすべての音楽が特別な存在であることは言うまでもありません。バッハの全作品が、筆舌に尽くしがたい魅力を放つ傑作です。なかでも《ゴルトベルク変奏曲》は、私の人生の重要な一部であると言えます。私はバッハとともに育ちました。幼い頃から、《インヴェンションとシンフォニア》はもとより、《平均律クラヴィーア曲集》や《フランス組曲》や《イギリス組曲》の一部、そして他のバッハの作品を弾いていたのです。《ゴルトベルク変奏曲》を初めて演奏したのは13~14歳のときです。《ゴルトベルク変奏曲》はピアニストにとって難曲ですから、早い時期からこの作品と向き合えたことは幸運でした。

以来、私はつねに、チェンバロの2段鍵盤を思い浮かべながらこの作品を演奏してきました。実際しばしば、演奏中の私の目には2段鍵盤が見えています!鍵盤がひとつしかないピアノで《ゴルトベルク変奏曲》を弾く際の難題は両手の交差ですが、そのほうが楽だからといって左手の音を右手で弾くことはありませんし、逆もまた然りです。この考え方が、ある意味で父(ルドルフ・ゼルキン)の影響を受けていることは確かです。父は譜読みに関してとても厳格で、どんな作曲家の作品であっても、片方の手の音をもう片方の手で弾くことは決してしませんでした。つねに作曲家の指示に忠実であったわけです。これを《ゴルトベルク変奏曲》で順守してみると、頭の中で各声部がかなり明確に浮き上がってきます。ですから、両手の音の配分については必ずバッハの指示に従っています。しかし一方で、いつも積極的に新しい指使いを試みていますし、円滑な両手の交差を求めて色々な方法を試しています。

父もまた、若い頃から《ゴルトベルク変奏曲》を演奏していました。父は死の数日前に、会話もままならない状態で、ベッドの上で指を動かして《ゴルトベルク変奏曲》を弾いていました。私がそれに気づいた時には第13変奏を弾いているところでした。第15変奏はじつに力強く、そのまま音楽は続いていきました。実際に音は出さずに、別世界で演奏していた父のかたわらで、それを見つめる私の頭の中では父がつむぐ音楽が響きました。

長い人生を《ゴルトベルク変奏曲》とともに歩むことは、心躍る冒険に喩えられます。永遠に深い考察を重ねることを奏者に求める作品だからです。バッハの作品には通常、彼自身による演奏指示はほとんど書き込まれていませんので、おのずと「実験」が必要になります。徹底的にさまざまな方法を試した後に演奏にのぞむと、バッハの音楽はより素晴らしく、また説得力をもって響くのです。こうした「オープンな」解釈は歓迎すべきものであり、演奏者の順応性や想像力を育んでくれるものだと思います。
 

(続く)
 

PAGEUP