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2017/02/15 | KAJIMOTO音楽日記

●マーク・パドモア(Ten)&ティル・フェルナー(Pf)の「冬の旅」―― 初日・横浜公演レポ


歌曲を歌ったら現代屈指、テノールのマーク・パドモアと、ウィーンの俊才ピアニストであるティル・フェルナーのデュオ・ツアーが始まりました。昨夜の横浜みなとみらいホール・小ホールで歌われたのはシューベルト晩年の大作、80分におよぶ歌曲集「冬の旅」。



2/14バレンタインデーという、およそ「冬の旅」の世界とは対極にある日でしたが(笑)、約450席の会場は満席。シューベルトの歌曲を愛する人たちばかりであろう、集中した熱気が漂います。

「冬の旅」の世界・・・と書きましたが、それはなんたる暗く重い世界でしょう。シューベルト自身が前半を書き終えた時点で、友人に「とんでもなく暗い音楽を書いてしまって、ひどく辛い気分だよ!君も聴いてみてくれ。僕の気持ちがわかるから」という旨のことを言ったそうですが、むべなるかな。
しかし閉塞的で、何かこう、気持ちの出口を見出だせない難しい空気が充満する今という時代、むしろこうした歌を聴くというのは、同化?浄化?のカタルシスを得られるものかもしれません。だからこそ、こうしてたくさんの方々が「冬の旅」を聴きに来る・・・(のかも)。

少し前置きが長くなりましたが、こうした思いは他ならぬパドモアとフェルナーの真摯な姿勢の演奏(そして2人はこの歌曲集の演奏を長い間かかって練り上げてきたのです)を聴きながら、自分の胸に湧き上がってきたことでした。
そして特にパドモアが舞台に登場し、拍手に応じて軽くおじぎをした後、真剣な表情で身じろぎひとつせず、ずっと直立している佇まいは、これから始まる‟絶望と立ち向かう“旅を強く予感させてくれました。

パドモアという歌手は・・・人を、演奏家をカテゴライズすることはあまりよくないこと、と思いながら・・・イギリスという国からよく出てくる、古楽系の、バッハのオラトリオなどにおける福音史家(エヴァンゲリスト)や自国のブリテンの作品を得意とする、細くて透明な美声をもち、言葉をはっきりと「語り」、「叫び」、「演じる」表現を得意とする歌手の系譜に連なる人だ、というのは今回の「冬の旅」を聴いていてもよくわかります。(シェイクスピアを生んだ国の伝統?)
かつてブリテンのパートナーだったピーター・ピアーズ然り、アンソニー・ロルフ=ジョンソンやジョン・マーク・エインズリー、少し毛色は違いますがイアン・ボストリッジもそうかもしれません。
そうした声は「演じる」ことに長けた反面、色彩や豊かさにちょっと欠ける面があったりすることもあり、時としてシューベルトの歌との親和性ということでどうなのか?と思う瞬間もあるにはあり、パドモアの「冬の旅」もはじめの方の数曲では、ささやくピアニッシモと叫ぶフォルティッシモのバランスが悪いところがありました。

が、ピアノのフェルナーのこれまた真摯・率直なピアノから湧き出る(ウィーン的な?)色彩に補われ、全体的にどんどん調子やバランスも良くなっていき、私に強い印象を残したのは、なんといっても最後の5曲。「道しるべ」から「宿屋」、「勇気を!」、そしてラストの「幻の太陽」から「ライアー回し」。
‟虚無“と‟美”が手を取る奇跡的な瞬間。素朴さとは無縁で、およそローカルな抒情というものが削ぎ落されたモノトーンの世界をピアニッシモ主体で綴っていくこのあたりは、私としても今まで色々な人の「冬の旅」を聴いてきましたが、ちょっと類例のない体験でした。特に「道しるべ」~「宿屋」の「止まりたいけれど、歩かねばならない」といった絶望を超えたところにある(着々と淡々とした)決意のようなものに、ぎゅっと強く胸うたれました。



***

2/22(水)には、500席の浜離宮朝日ホールで、もう一度この「冬の旅」がパドモア&フェルナーによって歌われます。残席僅少ですが、ぜひ多くの方と、こうした世界に浸ることで初めて得られるものを一緒に感じられれば、と願っています。  (A)


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