親友シューマンと共にドイツ・ロマン派を確立したメンデルスゾーン。
田部京子が奏でるドイツ・ロマンティシズムは、
メンデルスゾーン生誕200年の今年、記念すべき一夜となる!
田部京子が語る「シューマンとメンデルスゾーン」2009年7月1日 待望のメンデルスゾーン作品第二弾リリース!(試聴できます)◆「シューマン・プラス」について
「シューマン・プラス」は、シューマンの生誕200年の記念年である2010年に向けて進行中の、浜離宮朝日ホールでのコンサート・シリーズです。私にとってシューマンは、これまで取り組んできたシューベルトとは違った意味で特別な存在で、演奏していると無条件に魂が揺さぶられる思いがします。実に奥深くて、その魅惑的な世界に惹き込まれ、挑戦したいという気にさせられる作曲家なのです。
シューマンは19世紀ロマン派中心的作曲家・評論家のひとりとしてその潮流を引っ張る一方で、時代の中で異色の存在でもありました。このシリーズでは、シューマンのみならず同時代を生き互いに影響を与え合った他の作曲家たちの作品を一緒に取り上げることで、19世紀初期ロマン派という充実した時代を辿り、その中でシューマンがどんな存在であったかを浮き上がらせることができたらと思っています。それで「プラス」と銘打ったわけです。
◆シューマンの魅力について
シューマンは、いつかは集中して取り組みたいと思っていた作曲家でした。
シューベルトのシリーズを一段落させた後、北欧の作曲家(シベリウス、グリーグ)を取り上げる機会を得ました。シベリウスには「北欧のシューベルト」、グリーグには「北欧のシューマン(・・・ショパンにも通じる)」を感じていました。グリーグの作品には北欧の自然、民族色が色濃く反映されていますが、若い頃にライプツィヒで学びシューマンの影響を受けたこともあり、作品の根底に共通点を感じます。和声感、リズムの使い方、音楽的な高揚感など、弾いているとシューマンを想起させられるのでした。
シューマンの音楽は、夢の世界にいるように夢と現実の挟間を行き来したり、憂鬱と快活が交差したりと、シューマンの複雑な心の中の動きを何かに託して(一種のフィルターを通して)音にしている。「フロレスタン」と「オイゼビウス」のように架空の性格を持つ人物を登場させて自分の心を投影させるような感じですね。シューマンはどこか行き着くところがわからないような、変容をし続けるような特質、たとえば「ここがゴールだ」といったことが曖昧な、起承転結がない、構造が多面的で複雑な感じを受けます。この点が他のロマン派作品とは一線を隔すところであるように感じますし、シューマンを集中して取り上げたいと思った部分ですね。
シューマンと向き合うと、なにかものすごい高揚感、大きなエネルギーをもらえる感覚があります。それが何だろうかと考えると、技術的に安易ではないとしても、魅力的なメロディと反復されるリズムのなかで和声が興味深く変わっていったり、内声と外声が複雑な動きをしたり、小節線をまたいでシンコペーションが多用されていたり、そんな音楽的な絡みが弾いているとすごく面白くて、自然にかきたてられるだと思います。
立体的な中に色々な要素が混在し、浮いては消え、動きの中で変わり続けていくというのがシューマンらしくて興味深いところです。それぞれの声部の縦横が絶妙に絡み合い論理的な構造でありながら、非常に奔放で幻想的なものを表現するという、特異な魅力を感じます。