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ネルソン・フレイレはピアノ界で最もよく保たれてきた秘密というべき存在である。世界のジャーナリズムが彼をラフマニノフ、コルトー、ホフマン、ルービンシュタイン、グールドに比すべき現代の大ピアニストの一人と賞賛している。彼は故国ブラジルではスターであり、アメリカでは「ピアノの力のハリケーン」と形容され、「指の一本一本に小さな脳がある」ほど音楽をよく知っていて「呼吸するのと同じくらい自然にピアノを弾く」大ピアニストと言われている。彼のキャリアは40年以上にわたり、その中ではマルタ・アルゲリッチをパートナーとするデュオも相当の比重を占めている。このように賞賛を博しているにもかかわらず、フレイレはスポットライトを浴びるのを避けて、友人や熱心な愛好家と共に音楽することに集中している。
ネルソン・フレイレは1944年にブラジルの小都市ボア・エスペランサに 5 人兄弟の末子として生まれた。彼が異常な才能の持ち主であることは早くから明らかであった。母親は 3 歳の「ネルシーニョ」が姉のレパートリーを耳から覚えてピアノで弾きこなしているのに気づき、更に進んだ音楽教育を受けさせるため一家揃ってリオ・デ・ジャネイロに移住した。5歳で最初のリサイタルを開いたころには40曲以上を弾くことができたこの神童はリオで暖かく迎えられ、いわば偶然の幸運からブラジルで最良のピアノ教師であるニセ・オビノとルシア・ブランコに就くことができた。ブランコはリストの弟子であったベルギーのピアニスト、アルトゥール・デ・フレーフに師事した人である。彼らの指導と自らの熱心な練習によって、フレイレは完璧な音楽教育・ピアノ教育を受けることができた。
10歳のときにはボア・エスペランサの通りに彼の名がつけられ、12歳で第1回リオ・デ・ジャネイロ国際ピアノコンクール(審査員にはギオマール・ノヴァエス、マルグリット・ロン、リリー・クラウスがいた)で優勝した。彼はすでに完成された芸術家であった。コンクールの本選ではベートーヴェンの皇帝協奏曲を弾き、ブラジル大統領の奨学金を獲得して、1959年にヴィーンでグルダの師であるブルーノ・ザイドルホーファーの弟子となった。
ヴィーンでのデビューは15歳のときで、ヴィーン音楽院でブラームスの嬰へ短調ソナタを演奏し、未曾有の技巧、豊かな響き、見事な音楽的構想、活気あるリズムに教師も学生も驚嘆した。フレイレは15歳にしてすでに大ピアニストであった。以後長く続くマルタ・アルゲリッチとの友情もこのころ始まったもので、フレイレにとってアルゲリッチは常に心を通わせることのできる親友となった。
ヴィーンでの修行の後は、ラフマニノフ、ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、あるいはブラジル最大のピアニストであったギオマール・ノヴァエスなど、霊感の源であった巨匠たちの演奏を聴き込むことで研鑚を深めていった。ノヴァエスと同じくフレイレも音楽と人生との関係を神話的に捉えており、二人の間には互いに尊敬し合う強固な結びつきが生まれた。
ネルソン・フレイレは十代でヴィアンナ・ダ・モッタ国際コンクールで優勝し、ロンドンではハリエット・コーエンの授与するディヌ・リパッティ・メダルを受けた。彼の国際的キャリアは4大陸で行った一連のリサイタルやコンサートに始まり、当代第一のピアニストとしての評価を確立した。
フレイレとこれまで共演した指導的な指揮者には、ピエール・ブーレーズ、オイゲン・ヨッフム、ロリン・マゼール、ラファエル・クーベリック、小沢征爾、シャルル・デュトワ、クルト・マズア、アンドレ・プレヴィン、デイヴィッド・ジンマン、ヴァーツラフ・ノイマン、ヴァレリー・ゲルギエフ、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、ジョン・ネルソン、ルドルフ・ケンペらがある。ケンペ指揮ロイヤル・フィルとは米国とドイツを数回演奏旅行している。
フレイレはベルリン・フィル、ミュンヘン・フィル、コンセルトヘボウ、ロッテルダム・フィル、ヴィーン交響楽団、ロンドン交響楽団、ロイヤル・フィル、パリ管弦楽団などの有名オーケストラとの共演を含めて、年間40〜50回ステージに立っている。最近では1999年にワルシャワで開かれたショパン没後150周年コンサートで第2協奏曲を演奏して大成功を収め、ニューヨークのカーネギー・ホールでは小沢征爾指揮ボストン交響楽団と、またサンクト・ペテルブルクではアレクサンドル・ドミトリエフ指揮サンクト・ペテルブルク交響楽団と共演してラフマニノフの第2番とブラームスの第2番を1晩で演奏、さらに「プラハの春」音楽祭ではシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団と共演(アルゲリッチと共にプーランクの「2台のピアノのための協奏曲」)している。2000/2001年シーズンにもアメリカとヨーロッパで多数のコンサートが予定されている。
ヴィデオ・フィルメス・ブラジル社は最近ネルソン・フレイレの伝記映画を完成した。このなかには世界各地で収録されたコンサートの映像も含まれている。
ネルソン・フレイレの録音は驚くほど少ない。1968年に発売された最初のレコードでアメリカの批評界を驚かせて以来、数少ないレコーディングはすべて飛ぶように売れ、ピアノ音楽通の愛蔵品となっている。フレイレは2001年10月にデッカと専属契約を結び、『ショパン作品集』と『シューマン作品集』がリリースされている。 |